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第57話 魔法の杖(6)

「……ぶべっ!」


 背中の方から着地した俺。奇声が飛び出てくると同時に息が止まった。

 ……やべぇ。だせぇ。

 なにより、痛え。ちょっと涙出た。



 仰向けで大の字に倒れたまま、目にうっすらと涙を浮かべつつも、首だけを動かしてレタリーさんを見る。


 レタリーさんが魔法を使う際には、必ずあの本に何かを書き込んでいた。

 だからこそ、あの本にはなんらかの秘密があると思ったんだが……実際のところはどうなのだろうか?




「……あ、れ……?」


 レタリーさんは、未だ状況が飲み込めていない様子だった。

 本を持って突き出していた腕は、今もそのまま。

 ただ、本は俺が掠め取ったため、彼女はただ(から)になった手を前に掲げているだけである。


 しかし、急に軽くなった自分の手の感覚で状況を把握したのだろうか。

 先程までの怒りの表情から一変して、悲しそうな顔で、か細い声をあげる。


「……本、取られちゃいました」



 消え入りそうな彼女の弱々しい声から察するに、やはりあの本は彼女の魔法に大きく関係していたのだろう。

 おそらく、その本が奪われた今、彼女は魔法が使えない。

 どうやら、うまくいったようだ。


 ――俺の勝ちだ。



 そう思った瞬間、全身の力がどっと抜け、「ははっ……」と力無い笑いが(こぼ)れた。

 しかし、そんな喜びも束の間だった。



 レタリーさんの顔は、悲しさを通り越して、みるみるうちにくしゃくしゃにシワが寄っていき――

 

「う、うぅ……うわぁぁーーーーんっ!!」


 ――泣き出した。



「負けちゃいましたあぁぁぁ! アルテアあああぁぁぁぁぁ……」


「あーあ。マルヌス君、女の子泣かしちゃったー」



 静まり返った会場の中に、マリーさんの茶化すような声が響く。

 ……あれ? これ、俺が悪いみたいになってる?



 すぐに、俺に駆け寄ってくる人影が一つ。

 その人物は、依然仰向けに倒れている俺の顔を覗き込むなり、小さく声をかけてきた。


「おめでとう、彼女のことは任せてくれ」



 声の主は、クールビューティー生徒会長――アルテアさんだった。

 おそらく、観客席から颯爽とステージに降り立ったのだろう。

 見ていないがわかる。その光景が目に浮かぶ。

 俺もこの試合、そんな感じでクールに決めたかった……。



 くだらないことを考えている俺をよそに、彼女は簡潔にそれだけ言い残すと、俺が奪い取ったレタリーさんの本を手早く掴み、すぐにレタリーさんの(もと)に駆けて行った。



「レタリー、よく頑張ったな」


「……ひっぐ……うん……ありがどぉ……」


 アルテアさんに肩を抱かれながら退場していくレタリーさん。

 この戦いにおいて、彼女は無傷だった。

 (もっと)も、この大衆の前で泣き出してしまうという事態は、彼女の心に大きな傷を残したのかも知れないが。



 対して俺は――


「……しょ、勝者! マルヌス・ターヴィン!」


 小さな女の子を泣かせている男の図。

 そんなとんでもない光景を前に、なんとも言えない雰囲気に包まれた観客席から歓声が上がることはなかった。

 勝ったというのに俺の方がボロボロだ。……身も心も。



***



「三回戦はお昼休みのあとだよー。オレガノー、ベビーカステラいこー」

「あんた、また食べるの!?」


 会場中に聞こえるアナウンスなのに、相変わらず自由だなぁ。


 二回戦も全試合が終わった。

 と言っても、俺は見ていない。

 例の如く、レビィによる『エクレール家直伝マッサージ(えれくとりっく・さんだー・ぼると)』のお時間だったからだ。

 早くも癖になりそうになっている俺がいる。自分で自分が恐ろしい。



 そして今、俺は控室で冷めた焼きそばをすすっていた。

 一回戦直前に買ったものの食べられず、委員長に預けたものだ。


「冷めてるのも美味しいから!」


 そう言って熱烈に推してきたシエル。

 食に並々ならぬ思いを抱くシエルがそこまで言うのならばと食べてみたが、なるほど、うまい。

 しかしこうなると、是非とも温かいのも食べねば。



「――いよいよ次はディックだ。

 今までの戦いを勝ち抜いてきたあんたなら、問題なく勝てる……と思うんだけど……」


 何やら含みのある言い方をする委員長。


「……どうしたの?」


 レビィが心配そう訊ねる。


「いや、ね。さっきの二回戦、ディックの対戦相手の三年生の様子がちょっとおかしくて……」


 委員長曰く、その三年生は、これから試合をするとは思えないほどに虚な目で入場してきたらしい。

 そして、ディックが中級魔法を形成している最中も力無く呆けたまま、妨害しようともしなかったそうだ。

 しばらくして、観客席からの野次を受けてハッと我に帰った彼は、急いで魔法を出そうとしたものの、ろくに魔力も出力できていなかったらしい。



「ふーん? なんだろ、お腹痛くなっちゃったとか?」


「そんなわけないでしょ!」


「いや、普通にあると思うけど。

 俺、クリスタルオイスターにあたった時はまともに魔法出せなかったよ?」


 するとレビィも頷いた。


「……私も。便秘の時はイライラして。集中できない」


「やめーーい!!」



 委員長はずり落ちてしまったメガネを整え直しながら、呆れたと言わんばかりに「まったく……」と呟く。


「あんた、そんなんでよくレタリーさんに勝てたもんだわ。

 アルテアさんとキュレルさんから聞いたけど、あの人こそ、逆境に負けない不屈の精神の持ち主だわ!

 お気楽なあんたも、ちょっとは見習いなさい!」


 不屈の精神はガントだろ?

 そんで、キュレルさんって誰?


 疑問符を浮かべる俺。

 しかしそんな事はお構いなしに、なぜか説教じみた口調でレタリーさんの生い立ちを語り始めた委員長。

 ……そういうのは勝手に言わない方がいいんじゃないのか?



「――その時、魔法が発動したというわけ! どうよ?

 魔法はおろか、魔力を練ることもできなかったレタリーさんは、不屈の精神でそれを乗り越えたのよ!

 すごい人だと思わない?」



「そんな話だったっけ?」


「だいぶ脚色されてる」


 こそこそと話すシエルとレビィ。

 そう思うならツッコんでくれよ、とはとてもじゃないが言えない。

 こんなに気持ちよさそうな委員長の話の腰を折るには、相当な勇気が必要なことは皆の共通認識だ。



 ただ、こればかりは言わずにはいられなかった。

 これがわからないままこの話を聞き続けるのは、それはそれで失礼だと思ったから。



「……あのさ。『魔力を練る』って、何?」

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