第54話 魔法の杖(3)
「ごめんね、邪魔しちゃったよね」
近くに空いている席がないと分かったキュレルは、さらりとそう言ってその場を去ろうとする。
しかし、委員長はそんな彼を不満そうに睨みつけた。
「……え、まさかあんな思わせぶりな事を言っておいて、教えてくれないんですか?」
委員長の言い分は尤もであった。
先程のキュレルの言い方だと、レタリーの杖には何らかの秘密がある事が明らかである。
そこまで言っておきながら、肝心の内容を言わずに去るなど、生殺しも甚だしい。
元々知的好奇心の強い委員長にとって、それは耐え難いことだった。
「たはは……」
(さっきは、勝手に他人の情報を漏らすなって言ってたのに……)
委員長の、上級生に対しても物怖じしない態度を横目に、シエルはただ苦笑いを浮かべるしかなかった。
キュレルは「えーと……」と呟いて目を泳がせていた。
が、すぐに観念したようで、通路スペースの端に立ったまま話し始めた。
この男は、如何せん他人に流されやすいのである。
「……レタリーはね。魔法が使えないんだ」
……。
「……使えてる……よ?」
沈黙を打ち破ったのはレビィ。
ステージを指さし、訝しむような、何とも言えない表情でキュレルを見つめた。
「ああ、ごめん! 言葉足らずだった。
レタリー本人は、潤沢な魔力を持っているんだけどね。
あの本と羽ペンが無いと、魔法を使うことができないんだ。
……だから彼女、昔は結構苦労したらしいよ」
(なるほど、ね)
キュレルの言いたい事を理解した委員長は、再びステージに立つレタリーを見つめた。
――確かに、魔力は持ち合わせているものの、杖を使わないと魔法を使う事もできないという者が、ごく稀に存在する。
しかし、それ自体は大した問題にならない。
なぜなら、一般的にそのような特性を持って生まれた者が育つ環境は、『魔法を使えなくても困らない環境』だからである。
例えば、魔法使いとは縁のない家系でたまたま強い魔力を持って生まれた者がいたとして。
その者が魔法を使うことなく一生を終えることはなんら珍しくもない。
その人物と、その周りを取り巻く環境において、魔法というものが『元々縁遠いもの』であるからだ。
一方で、例えば、魔法使いの名家の生まれであったとしたら、この話は全く変わってくる。
魔法が使えるのは当たり前。
問題は、その魔法の熟練度をどこまで高めることができるか――。
そんな考え方が根幹にあるような家庭で、『杖がないと魔法が使えない者』が生まれたらどうなるか。
――まず、魔法が使えるのか?
使えるとしたら、どんな条件下で使えるのか?
杖があったら使えるとして、市販されている一般的な木製の杖で使えるようになるのか?
木製の杖では使えない場合、その者にとっての杖とは一体なんなのか?
手探りでこれを探そうとした場合、もしかしたら人間の寿命は短すぎると言えるのかもしれない。
それ程までに、その人物が生きている間に、自分に適した杖を見つける事は困難なのだ。
そして、そんな者に対する周りからの視線がどのようなものになるのかは――想像に難くなかった。
おそらく、レタリーの生まれは、そういった魔法使いを多く輩出する家系だったのだろう。
彼女の『自分はできない子』と自らを卑下するような口癖は、そんな境遇から来ているのかもしれない。
――委員長はおもむろに、懐にしまっている自らの木製の杖に手を伸ばした。
委員長はレタリーとは違い、杖がなくとも魔法を使うことはできる。
杖はあくまで、コントロール用の補助道具。
しかし、彼女は心のどこかで、そんな自分自身に苛立ちを覚えていた。
こんな補助道具がないと、私は一人前になれない、と。
実際、著名な大魔道士でも杖を使う者は多々いる。
杖を使う者と使わない者――そこに魔法使いとしての優劣はない。
それは分かっているつもりだ。
しかし、それでも心の奥底では、杖に頼っている自分に嫌気がさしていた。
時には怒りに任せて、自らの杖を折ろうとしたこともあった。
そんな委員長にとって、きちんと向き合うのは初めての経験だった。
『杖なしでは魔法が使えない者』の存在。
未熟者の象徴だと思っていた杖。
でも、レタリーにとっては、自分の存在意義と言っても過言ではないほどの、大事な杖――。
レタリーの苦しみに比べ、自分はなんとちっぽけな悩みを抱いていたのだろうか。
やがて委員長の胸に、何らかの熱い気持ちが込み上げてきた。
その気持ちの正体はわからなかった。
だが、湧き上がってきたその気持ちを噛み締めるように、懐の杖をギュッと握りしめた。
「――ただね。彼女の杖はただの杖じゃないんだよ。
彼女の魔力をそれぞれの属性に自在に変換して、魔法形成までやってくれるんだってさ。
さながら『変換器』ってところだね」
「そのまんまじゃないか」
アルテアの冷静なツッコミを受け、「ははっ」と笑ったキュレルはさらに続ける。
「だから、彼女は体内で魔力を練る感覚も、狙いを定める感覚も知らないんだ。
それどころか、魔法を形作るときの、あの精密な作業をする感覚もわからないんだって。
もったいないよね? あれが楽しいのに……。
……とまあ、これが、彼女が複数属性の魔法を同時に扱える理由だよ」
――彼女自身は羽ペンに魔力を流し込み、使用したい魔法の詠唱を書き込むだけ。
あとは自動で、『変換器』が彼女の意思に合わせて、魔力を練り、魔法を形成し、発射してくれる。
複数属性の魔力を同時に練るのが困難なのだが、彼女の場合は、そもそも魔力を練らないのだ。
一見すると、理不尽なまでに強力な、いわゆるチートスキルにも思える。
しかし、周りから冷ややかな目で見られていたであろう彼女の幼少期の経験を加味すれば、それくらいの救いはあってもいいと思えた。
「――それにしても、そうやって他人の秘密を勝手に漏らすのは感心しないな」
「わっ! ご、ごめん!」
(それ、さっき私が言ったやつ……)
アルテアがキュレルに言い放った言葉に、委員長は眉を顰めた。
「……え、でも。ちょっとおかしい」
不意に声を上げたレビィ。
シエルと委員長は「?」を浮かべながら彼女を見た。
「……複数属性を使えるのは分かったけど……。
なんであんなに早く撃てるの?
あの本には、詠唱を書かなきゃいけないはずなのに」




