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黒き空のハルピュイア  作者: 心鏡
四章 荒廃
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三十五話 凪

風のある空は山は少し寒い。斜面を撫で下ろすように眼下に向かって凪いでいく。



朝一、雨が上がったことを確認して出てきた。

ナヴィドやサラスヴァティーは眼を赤くしていたが、結局そのモノ言いたげな顔を向けてくるばかりで声にはならなかった。

その想いが分からないわけじゃない。この状況で何を言ったところで空々しいばかりだ。

だから、

「すぐ戻る。」

と言い置いたことも、後続のライラーが

「これで安心して冬が越せるんだよ。だから――」

と微笑んだことも、実に虚ろだった。

本当に人間を襲って、この地で冬を越すならば、人間が返り討ちに来ないよう徹底的に潰さなければいけない。

街から一匹も逃さず、排煙を撒き散らすナニカを壊しながら。

この行いが先祖に恥じない行為か、誇りあることかと言われれば間違いなく否だ。

それでも若者達に人間と関わった末路として、最後まで抗ったと胸を張るためにここにいる。

人間たちの作る街という箱にどれほど犇めき、どこまで破壊せねばならないか分からない以上、いつ戻るかは伝えていない。

私の指示か、私が死ぬかで伝令を出すよう皆に伝えてある。

逃げろと。

少なくなるほど、必要な生活範囲も食料も少なくて済む。

もう人間の近くでしか生きられないのなら、なるべく目立たないように、目立たないように細々と生きるしかない。

いつしか人間たちが自分たちの手で滅ぶことを夢見ながら。

娘には酷な生き方だろう。今頃は老いた人間と会っているのか。そしてどうするのか、分からないが、せめてそれが娘の想い通りであることを願うばかりだ。


街へ攻め込むのは夜になる。

だから、運べるだけの岩をいくつも集めた。

時間があれば女達には岩の搬送と補給を頼み、戦士達が利用する形を取りたかったが、今は山の中腹に並べている。

岩の使い道は多い。

やつらの街には夜にも火が灯り続ける。

その火をうまく回せば、多くを焼けるだろう。

排煙を撒き散らす塊へは蓋をする。

外に撒き散らしているのであればこそ、やはりあれは人間にも害なのだろう。

蓋をしてやれば中の人間を効率的に殺せるはずだ。

いくつかの塊へは岩をぶつけて壊せるか試さなければならない。

あとは自慢の両腕で一気に人間の近くまで駆けて空から落とすだけだ。

小振りなものや既に割れているものもあるが、まぁ問題ないだろう。

一人が随分控えめな岩を運んできたところで声をかける。

「準備ご苦労。戻ってきた者から順に待機してくれ。」

「はい、分かりました。」

少し疲労感のある飛び方をしていたが、こちらへ顔を向けた時には気合が戻っていた。

力強く腕を振るって、戻ってきそうな者へ声をかけて回っている。

その殊勝さが今は少し辛かった。

「皆、準備ご苦労だった。後は人間共が寝静まるのを待つだけだ。今のうちにもう一度確認しておく。初撃は人間共も警戒が薄く最も確実に事を進められるだろう。だが、不慣れはこちらも同じだ。慎重に、確実に、そして迅速に事を成せ。この黒い空に紛れながら近づき、排煙目掛けて岩を落とせ。人間共は慌てて飛び出てくるだろう、それを掴み上げて空へ戻れ。やつらは明るい火の近くにいる。黒い空に紛れればまず見つからないだろう。後は適当に人間を放り出せばいい。人間が見つからなければ灯りでもいい。火事を引き起こせ。この繰り返しだが、最初はあまり私から離れるな。できれば一晩で3回以上は攻めたい。今晩が勝負どころだ。」

こちらをじっと見て唾を飲み込む者が多い。緊張か、仕方なあるまい。

「そして言わなければならないことがある。人間共にやられ、付いてこれなくなった者は、たとえそれが軽い怪我であったとしても、恐らくは助けられない。すまない。ここで散る者は皆誇り高かく逝くのだと戦士長プラヴァシの名に誓って言おう。」

何度も見た光景に、何度も胸を抉られるが、皆が陰鬱に顔を伏せている。

私も見ていられずに眼を閉じて、一息ついてから開ける。

「最後だが、ここまで付いてきてくれたことに感謝している。今暫く休め。」


草もろくに生えない岩肌ばかりの山で、腕をたたみ黒い空を見上げる。

あの黒い排煙の向こうには今も変わらず月があり星が瞬くのだろうか。

遠くの森からか、僅かに鳥の声が聞こえる。

風が木々を凪いでいく。

静かに耳を傾ける機会が最後に残っていて良かった。

これを知らずに逝くのは少し、勿体無い。

「感傷に浸りすぎさ。」

ライラーが羽ばたいて傍に降り立った。

散らした羽根が腕に絡む。

その羽根を払う気にもなれず、顔を向ける。

「ライラーか。…好きにさせてくれ。」

「よく頑張った、なんて慰めて欲しいのかい?」

そんな想いは少しも抱いているつもりはなかったが、そういうこともあるだろうかと言葉を返せなかった。

それを是と受け取ったのか、ライラーは唇を額に寄せてきた。

「何の真似だ。あと慰めはいらん。」

「別に慰めじゃないさ。あたしがそうしたかっただけさね。あんたの唇は先代の姫様に捧げたままなんだろう?」

「無論だ。あれほどいい女は他にいない。娘を見れば分かるだろう。」

「目の前のいい女を無視してのろけるんじゃないよ。…あんたの傍にいてやりたい、いいやあたしがあんたの傍に、この短い時間だけでもいたい。」

緊張を発情と履き違えているのか、などとても言えないが。

心の奥底を覗き込もうと見つめてくるその両目から顔を背けられなかった。

「…好きにしろ。」

「時期でもないのに、はしたないのは分かってるさ。でも――」

遮るように大きく腕を広げてからライラーを抱き寄せる。

ライラーの髪に顎を置いて眼を閉じる。

「…暖かいな、ありがとう。」

「い、いや、それは、こっちの、いや、なんでも…」

心身ともにじわじわと体の外側へ暖かさが波打って伝わる。

最後のぬくもりだとしても、今はただ、その波に揺られていたかった。


刻が迫る。


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