三十四話 道中逢瀬
ガタゴト、ガタゴトと揺れ、息を詰まらせたり吐いたりする蒸気自動車へ項垂れたように体を預ける。
馬鹿な老人がご主人様に口汚く申し立て、あっさり無様に監禁される様は少し胸が漉いた。
ご主人様が何かを求めて、手に入れずに終わることなどありえないのだから。
一切合切、喚くだけ無駄なのに。
ふふ、隠していたおもちゃを取られる子供のように慌てて。
見張りを任された小間使いは、彼は少し気の毒ね。
足が速いだけの、小間使い。
老人はじたばたと足掻くだろうけど、彼からは逃げられない。
「なぜ殺さないのですか?」
身を弁えずにご主人様へ聞いてみたら
「舞台袖に下がらせれば十分だ。殺されたとあっては観客は黙って見てくれない。」
観客、イギリス貴族か、スリナガルの人々か。
正しい観客なんてここには存在しない気もするけど、ご主人様が言うのであれば、まぁそうなんだろう。
続けて質問しようものなら、暫くは傍に置いてもくれなくなりそうなので、そのまま納得した顔をした。
そうして今朝からシンド川にそってバルタルを目指している。
正確にはバルタルとソナマーグの中間ほど、そこから尾根を越える予定。
老人が使っていた経路は、いくら奴らが低能でも見張ってるだろう。
バルタルやソナマーグのような村落であっても同じこと。
ただ、奴らはシンド川から望める稜線を越えてこないらしい。
奴らが身の程を弁えているのか、単に縄張りが違うのか分からないけど。
だからこうして蒸気自動車が勢い良く蒸気を蒸かして、ガタガタとけたたましく走ろうとも問題ない、はず。
ご主人様は黙って稜線を見つめている。その顔があれば暇を感じることなんてない。
「…随分と呆けた面をしているな。それほどまでに歩いて行きたいのか?」
ご主人様は横にも眼があるんだろうか。
「いえ、このままその凛々しい顔を拝見させて頂きたく。」
「そうか、今までご苦労だったな。ここまでで良いぞ。」
それでも視線をよこさないご主人様。
「そちらには私はおりません。しっかり、眼を見て、カカオよりも甘苦く囁いて頂かなければ。」
「お前とじゃれ合うつもりはない。状況を理解できない無能さをひけらかすな、お前の中に多少の価値が残っているなら、特に。」
状況を、理解できない。
ご主人様は稜線を見つめながら揺られており、前後の車両も下衆な視線をたまにこちらへ寄越すばかり。
シンド川は穏やかに流れていて、鉄砲水の危険もなさそう。
野生の獣共は蒸気自動車の音に逃げ出しているだろうし、空は、いつも通り暗い。雨は降るかもしれないけど。
となると、稜線に何かある?いや今は何も、何もない。
ただ山々がそこに横たわっている。
なら、
「ハルピュイア、とやらを待っているのでしょうか。」
ご主人様はすぐに返答せず一度大きく息を吸って、吐いた。
「…そこで思考が止まるか。ハルピュイアに対しそこいらの獣と同じように考えるな。相手を侮って何も得られないようでは、何もしていないのと変わらん。」
ハルピュイア、鳥の羽を持つ化物。
頭と体は人間で、腕と足が鳥。
人と同じく言葉を発して、文化を持つ、らしい。
奴隷のように眼に光なく運転する元使用人から聞いた話。
それすら老人からの受け売りだそうだけど。
なら、奴らはどうする?奴らにとってのこの状況は?
…音だ。警戒網がいくら稜線までしか届かなくても山々に跳ね返って音は届く。
斥候がその音を聞けば、少なくとも様子を見に来る。
そして、
「斥候が見に来るまでにかかる時間が、奴らの組織力を知る一つの情報になるということでしょうか。」
「そうだ、たとえ稜線上空に奴らだと判断できるほどはっきり姿が見えなくとも、この状況で近寄ってくる鳥など奴らでしかあるまい。」
少し、状況に浮かれていたのかもしれない。
一際大きな石に車体が跳ねる。
一緒に稜線を睨んでも良いけどご主人様越しでは視野も狭い。
だから、見えるまでの時間から大凡どれほどかを考える。
動き始めたのは今朝から、もう6、7時間?くらい、のはず。
奴らが音に気づいて動き出すまでを考えたら6時間でいいか。
斥候がそのまま来るか、一度報告しに戻るか。
姿はあんまり見せたくないようだし、6時間も経ってるから戻ってると考えたほうが良さそう。
鷲や鷹はかなりの速度で飛ぶ。コーラホイ山を住処にしてるなら、10分程で稜線は越えてくる、と思う。
なら判断が遅いのか、気付いてなお、人に見られることを避けるのか。
「ここまで姿を現していないなら、奴らはもう出てこないのでは?」
「奴らの住処との位置関係、音の移動方向から推測される様子見。考えられることは多いが、もし奴らが姿を見せればそこには意味がある。少し黙ってろ。」
「はい、失礼しました。」
さっきまでとうってかわって息苦しい。もう少しばかり、なんて。
ガタッ、ガタタと揺れる座席が煽ってくる。
どうしたってソナマーグに着くまでやることなどなさそうで。
適当な小間使いで鬱憤を晴らす口実を、ぼんやりと考え始めた。




