三十二話 前夜祭
さて、ご退場願いましょう。
行き場をなくした蒸気が漏れ出る蒸気自動車を尻目に赤い服を翻して歩く。
行商人の話に、その商品に目移りしていた彼らの耳目が集まる。
顔に笑みを張り付けて軽く片手で挨拶をする。
行商人にとっては商売の邪魔だろうに視線を移せば笑顔を張り付かせたままだった。
何とも面の厚いことだ。いやはや、そうでなくては。
人をかき分けて寄ってくる者が居る。
ホメイニーだ。
「ご主人様、到着お待ちしておりました。」
「ああ、ご苦労。皆、すまないがここへは物見に来たわけではないのだ。一人ひとりの顔を見て、手を取って語り合いたいがまたの機会とさせて欲しい。」
そう言うと、彼らは喜色を浮かべたまま道を空けた。
嘯いているなんてことは理解しているだろうが、それを指摘するほどの愚か者は居ないようだ。
もしくは、それすら理解できない獣しか居ないのかもしれないが。
「ご主人様、耳に入れておきたいことがございます。」
「なんだ。」
周りに人目がある中でそんな声がかかる。内容次第では躾が必要かもしれない。
「ウィリアム氏が山から降りてきています。そしてこの様子に立腹しているようです。」
「分かった。まずは会おう。」
不穏分子を後回しにするほど、舐めてもいない。
変わり者とはいえ、組織の上層だ。私の動きに意図に気づいていないはずもない。
背景まで悟っているなどとは思わないが。
商館から比べれば前時代的に過ぎるその家屋に足を踏み入れる。
自然光を取り入れることが前提だったのか、薄暗い。
目が慣れない内からホメイニーは先に進む。
足元に不安を覚えながらもその強い香水の臭いを辿る。
「こちらです。」
相槌も入れず、ドアをノックする。
「スリナガル商館代理、ジェームズです。今宜しいでしょうか。」
「入れ。」
使用人スニルがドアを開けた。
中は外と同様に薄暗く、簡素な机に短くなった蝋燭が灯っている。
植物馬鹿の割には部屋にそれらしいものがない。
ウィリアムは仏頂面でベッドの上からこちらを睨んでいる。
「…竜騎兵だったのか?」
「元、です。この方が何かと都合が良いもので。それより、氏は山で調査されていると聞いておりましたが、下山された理由を伺っても?」
「スリナガルの蒸気機関を止めろ。」
愛想の欠片もない。久々に祖国の貴族と会話できるというのに全くその楽しみがない。
これでは、山賊と話している方が幾らかマシだ。
「私は革命ともいうべき祖国の発明を、祖国が作り出す世界をスリナガルにおいても再現したに過ぎません。それを何故止めろと仰るのですか」
「蒸気機関の素晴らしさは分かっとる。だが何故私がここに来たかまでお前は聞かされていなかったのか?」
聞かされているはずのものはとっくに亡くなっていますので。
「それはもちろん。しかしソラフ・ローとスリナガルは十分に離れており問題ないのではないかと愚考した次第です。」
「まさに愚考だな。少しは世界を知って行動しろ。」
お前に言われたくもない。
「これはお厳しい。分かりました、直ぐ様止めるよう手配しましょう。しかしながら既に蒸気機関を中心として回り始めております。関係者の合意があってからとなるでしょう。」
「一週以内だ。それ以上は譲れん。」
「最善を尽くしましょう。とりあえずは小間使いを出します。」
「小間使いだと?お前はどれほどソラフ・ローに居続けるつもりだ?商館の仕事はどうした。」
「どれほどになるかは不明でしたので私の裁量範囲で優秀な者を代理としております。問題ありません。」
「…一体ソラフ・ローに何しに来た?ソラフ・ローにまで蒸気機関を拡げるつもりか?」
「そうですね。これからではありますが結果的にそうなるでしょう。」
「お前はさっきまでの話を――」
ウィリアムの声に怒気が含まれる。
「ええ、ええ存じておりますとも。そして何をしに来たか、ですが氏が隠している彼らに会いに来たのですよ。」
ウィリアムは使用人の方を少し睨み、こちらに向き直る。
そうとも使用人は直接的に言っていない。
こちらの情報と合わせて断定できる状態だっただけだ。
「――何を企んでいる。」
「企みなど。私は徹頭徹尾、尽く、皆乍ら、最初から最後まで万事それが目的でございます。」
「見世物にでもする気か?驕るなよ少年。下らぬ好奇心に晒すな。」
「ふふふ、まさに、まさに少年のような時分から彼らの存在を追っておりました。知り得たばかりの貴方に下らぬと断じられる筋合いはありませんね。」
「なんだと?欲深い貴様を彼らが見逃したとは考えられん。」
「私は口伝てで聞いたばかりです。それでも、両親の命を攫っていった彼らは確かに居ると確信し、そして今まさに出会うばかりとなったのです!」
「貴様、何を――」
「ご安心下さい。前座は終わりです、この舞台に貴方は居ません。残念ながら彼らの牢はあれども貴方の為の牢はございませんのでご了承下さい。」
「ならん、彼らをこれ以上害すな!」
「ああ、なるほど。排煙が彼らを蝕んでいるとでも?それはそれは、何たる僥倖。ここまで御膳立てされると、少し怖くなってしまいますね。」
皺の入った手を震わせる老人を薄目で見下ろす。
老人は立ち上がって、声を張り上げる。
「スニル!この愚か者を締め上げろ!」
だが使用人は動かない。ドアを閉めた時から誰もいない壁を見るばかりだ。
老人が苛立たしく使用人を睨むが、やはり動かない。視線も顔も微動だにしない。
「おやおや、使用人の躾がなっておりませんね。手綱を握っていると思っていたのは飼い主ばかりだったということでしょうか。」
「スニル、スニル!…ちっ。」
使用人が動かないのを見て腰に手を回そうとする。
それを見てホメイニーがマスケット銃を向けた。
そのまま二人が静止するのを見て口を開ける。
「早まってはいけません。使用人のお仕事を奪うような、貴方が殺されないように守り、貴方の動向を伝える任務を失くしてしまうような真似はしませんとも。」
「喚くな少年。その程度の事情は把握しとる。」
「これはこれは。互いに信頼しあっているというわけですね!なんとも美しい結果ではないですか。」
「黙れ。」
「その御命令は受領しかねますな。挨拶はここまでとしましょう、氏と違って多忙の身ですので。ああ、使用人にはお願いしたいことがありますから、代わりに二名貴方の為に用意しましょう。」
「不要だ。」
「召し使えるものが居ることは貴族の嗜みでしょう?ではごきげんよう。」
ゆっくり礼をして踵を返す。
使用人が扉を開ける。
「しばらく黙ってついて来い。」
小声で声をかけて外に出る。階下には話を聞きつけたのか、ホメイニーが集めた人材と思わしきゴロツキどもが集まっている。
その中に見慣れた小間使いを見つけて仕事を与えておく。
あの老人はほとほと諦めなどしないだろう。使用人を連れ出してしまえば後は処分しておけばいい。
本来であれば山に篭った老人に二人ほど派遣して処分するつもりだったがその必要もなくなった。
後はもう粛々と進めるばかりだ。
これで何故失敗などしようものか。
張り付かせる必要もなくなった喜色を浮かべて声をかける。
「さぁ、狩りを始めよう。」




