三十三話 次代の戦士長より
本当に俺達にはこれしかないのか
また雨が降る。黒い雨が、しとしと。
ニマーやサラは、少し楽になるだろうか。
この雨が空に舞う灰を全て流し去ってくれればとどれだけ願ったか分からない。
空もその汚れに苦しむように泣いている。
「ナヴィド、ちょっといいかな。」
雨音の中でもはっきりとサラの声が聴こえる。
「ああ、どうした?――すまん、ちょっと外すぞ。」
「こんな時に逢引たぁ良いご身分だな、好きにしろ。」
「戻ってきた時のサラの顔で今日の晩飯にありつけるかどうかが決まるぞ。」
「馬鹿は気にするな、早くいけ。」
トゥーラジ、クーロス、ニマーに送り出されて輪を離れる。
口数の少ないニマーが声をだすたびに口を歪めて、俺達はそんなことなんでもないと態度で示す。
そんな気遣いすら賢いニマーには悟られていて、それを知ってなお、それ以上のことは出来なくて。
こうしてサラに引っ張り出されて少しホッとしている自分に少しやるせなかった。
「ねぇ、ナヴィドはどう考えてるの?」
「何の話だ?」
「戦士長と、姫様と。そして明日の話。」
「俺は結局姫様と戦士長が何を争ったのか知らない。もう明日の今日だ。話してくれないか?」
「…そうだね。その…姫様は諦めない人だから。」
「ああ。」
「姫様が人間のとこ、よく行ってたでしょ?その人間はちょっと、大分、あんまり人間を知らないけど多分変わってるやつだった。」
「変わってる?」
「言葉は通じてない、ようなんだけど。姫様がこの空を、排煙を何とかしろって言いに行ったんだよ。」
「そりゃまた…その人間よりも姫様のほうがずっと変わり者に思え、ああいやなんでもない。すまん。」
だから、そんな丸い眼で睨まないでくれ。
「もう。それで人間は土っぽい色の水をくれたんだ。」
「なんだそりゃ。何も通じてないだけじゃないのか?」
「姫様はそれを舐めたんだ。」
「…やっぱり、いや続けてくれ。」
「姫様よりあたしのほうが先に舐めるべきだったんだけど、あたしに安心させる為に先に舐めてくれた。その水は喉がスッとして、痛みが和らいだんだ。」
「…それは。」
「そう、それはあたし達にとって希望になり得た。でも戦士長がそれを赦さなかった。」
「理由は?」
「人間からその希望を受け取れ続けるわけじゃない、ましてやその希望をあたし達で作れるわけでもない。人間に対する想いを捨てて一時の希望に縋ってどうする、とか。そんな話だった。」
「なるほど、な。」
人間からとはいえ、この状況で希望を掴みに行って、何かを掴んできた姫様も。
僅かな希望に、縋りたくなる、泣きつきたくなる想いを振り払って姫様と向き合った戦士長も。
やっぱりどっちもすごい。だからこそ仲違いなんてしてほしくなかった。
「それで何故追放って話になってしまったんだ?」
「姫様は引かなかったんだ。僅かでも希望が残り続ける限り、生き残り続けたいと言って。最後には戦士長が負けたようにあたしには見えた。」
「そうか…。」
最後まで言い争いながら、枯れたくなかったのか。
皆をこれ以上搔き乱して欲しくなかったのか。
戦士長の心情は分からないが。
あの昏い顔からして、悪意だけの追放でないことは確かなんだろうけど。
「姫様はどこへ?」
「分からない。追うなって言われてたし雨も降った。肩に傷も負っていたし、今頃どうしているのかも…。居るとしたら人間の居た洞だと思う。」
「そんなに姫様は人間を信用してたのか?」
「人間って括りだと広すぎるけど、少なくとも洞にいた人間は信用してたよ。人間から透明の筒に入った土色の水を渡されたんだ。人間が長い紐でくくって姫様の首に掛けたんだけど姫様は微笑みながら腕も動かさずに受け入れてた。」
驚いた。それは、
「それは信用してる、の範疇を越えてないか?」
「そうなのかもしれない。何が先で、だからどうしてなんて全部推測にしかならないからあんまり詮索もしたくないけど。戦士長はそれも分かってたのかも。」
「…そんな姫様を明日に巻き込みたくなかったってことか。」
「ちょっと都合良すぎるかな?」
「いいや、俺達の戦士長だ。言葉や行動にはあまり現さないが姫様を大事に思ってるのは間違いない。」
「それで、どう考えてるの?」
冒頭の話か。
「戦士長の諦めきった静かな怒りは尤もだと思うし、俺じゃ姫様のように新しい希望を見つけることはできない。この場所だって、皆を巻き込むばかりで結局は適した移動先じゃなかったんだ。」
「それは違うよ。少なくともここに来た時、あたしは生きていけるって思えた。それくらい、あたし達にとって良い場所だった。」
皮肉じゃない、お世辞じゃない。
心からそう思って言ってくれてる。
それでも、正しく受け止められない。
「ありがとう。姫様、というより人間に対して俺も姫様のように共に在ることはできないと思う。結局どれだけ考えても明日に行き着く。」
「それでいいの?」
良いも何も。
「それしか、ない。それしか残ってないだろう。」
本当に?
「あたしは嫌だよ。」
そんな我儘。
「代わりの良い案があるっていうのか?」
「ないよ。けど、戦士長もライラーさんも皆、生き残れるなんて思ってないし生き残って帰ってくるなんて思ってない。それはやだ。皆生きてて欲しい。あたし達だけ残されてどうするの?」
「…必要な食料が減れば移動先の候補が増える。少しでも排煙の風下から離れられる。」
「その先で右も左も分からないあたし達が一体何できるの?できもしない弔いを何日続ければ安らげるの?そんなの…そんなの…。」
洞の中には皆居る。洞の片隅とは言え、泣き声はよく聞こえてしまう。
声を堪えるように、無理に口を閉じて、ポロポロと涙を流すサラが羨ましかった。
感情のまま想いを相手にぶつけられる彼女が愛おしかった。
戦士長には蹴り飛ばされるかもしれないけど、この想いを伝えなきゃいけない。
俺達の、残される側の想いを声で伝えよう。
その上で駄目だったら、笑って、ああとてもできる気がしない。
このまま行けば残される戦士達の代表になってしまうに違いないのに。
そんな器でもないのに。
サラが泣き終わった所で輪に戻る。
クーロスにどやされるかと思うと、更に気が滅入った。
夢なら、どうか、どうか早く覚めてくれ。俺の心が折れきってしまわない内に。




