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黒き空のハルピュイア  作者: 心鏡
三章 風蝕
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二十九話 窮

潰れていく、崩れていく。



姫様を戦士長が追い出してから、皆落ち着きを取り戻せていない。

姫様を取り戻さねばと、声を上げる者。

人間に被れた姫様では、人間に爪を立てることなんてできないと断じる者。

勿論あたしは姫様に戻ってきてほしかった。

サラだってメフリだってそう。

でも、再三追うな探すなと声を張り上げる目が、沈痛に染まっていて。

それで、誰も強くは言い出せなかった。

そう、皆が混乱している中、咳き込む者は増えて、増えて。

あたしも、少し喉に違和感を覚え始めた。

早く何かしなければと焦れば焦るほど、人間を襲って排煙を止める以外の方法が思いつかなくて。

それで解決する保証も、それで生き残れる保証もなくて。

その決断を誰も出せずに居た。

戦士長は痛めた胸に耐えるばかりで、ナヴィドは終わりのない、同じ議論を仲間内で繰り返すばかりだった。

だから。


「いい加減にしな!このまま朽ちる気がないならさっさと人間の所へ行くよ!」

洞には皆が集まっている。戦士長と姫様が言い争ったような小さな洞じゃなく、私達の住処。

今日も欠員を補いながら仕事をしてきた皆と、いつまでも違和感の残る喉に唾を通し続ける皆を前に、声を上げる。

別にサラのような声じゃないけど、それでも。

「…ライラー、行ってどうする。」

ああ、名前で呼んでもらえるのも、もう少ないかもしれない。

こうも張り合っては、好意的に使われることなどもうないかもしれない。

「人間の街を襲っても、

排煙はその街だけから出るわけじゃない。

排煙の源を潰せるわけじゃない。

多くの犠牲が出る。

より多くの人間が集まってくるだけ。

そんなことは、皆分かってんのさ!」

どこからか歯軋りする音が聞こえる。

その悔しさも、皆同じだと思う。

「でも、あたし達が、あたし達自身で決めてできることがそれだけなんだろう?もう、それしかないんだろう?それが、まだ納得できる在り方なんだろう!逃げるんじゃない!」

皆顔を伏せた。

目尻に涙を浮かべる人もいる。

ああ、これが姫様の嫌いな光景か。

一拍。

二拍。

と空けても皆黙ったままで、その沈黙に身を委ねて。

この悲しみを受けるのにはそれが相応しいと言わんばかりで。

「なんだい!あたしから何を言われてもだんまりかい?戦士長!プラヴァシ!ナヴィド!最後までそんな顔で空を駆けて満足できるのかい!」

あたりで段々と汚い言葉が吐き捨てられていく。

「くそっ!くそっ!俺達が一体、人間に何をした!くそっ!くそっ…。」

「ライラーの言うとおりだ!人間共に一泡吹かせてみせる!」

燃え上がった火は、自らを焦がすものだったとしても。

それがあたし達にできる輝きなら。

「そうだろう!だから――」

「もういい、もういいよライラー。」

メフリが私の言葉を遮った。戦士長もナヴィドも顔を上げている。

確かにもうあたしが出しゃばる必要は無さそうだ。

「すまない、ライラー。辛い役回りをさせてしまった。ナヴィド、準備をしろ。これは私達が私達らしく在るための狩りだ。」

「はい、戦士長。ですが襲うと言ってもどこをどうするのか、今のうちに説明願えませんか。」

「時刻は明日の晩、闇が一番深まる時。狙うべきは人間と排煙を撒き散らす筒だ。まずは筒を蓋してしまうぞ。初動では手頃な岩を抱えて駆けろ。」

「必要な大きさはどれくらいでしょうか。」

「ヒールダードの頭程あれば十分だろう。」

戦士達から笑いが漏れる。ヒールダードは頭が大きく顔の彫りも深い男気溢れる戦士である。

そんなことよりも、戦士長が冗談を口にすること自体、初めて聞いたかもしれない。

その立場から押し殺した自分というものがやはりあったのだろうか。

「人間達は一人でも残せば、すぐに仲間を呼ぶだろう。幼子であっても爪を立てねばならない。だが最善は皆が生き残ることだ。排煙に蓋をした後は、人間共の反撃が始まり次第撤収する。いいな。」

「はい、では明日に備えます。」

「ナヴィド、お前には女たちと胸を痛めた彼らを守ってもらいたい。若い者は残していく。」

「…はい、戦士長。…御武運を。」

「物分りが良すぎるのも困りもんだね、ナヴィド。戦士長、あたし達も人間共のところへ行くよ!」

言ってからメフリに目配せしたら、喉の痛みを我慢しながら拙い笑みを浮かべてくれた。

「ならん。次代を育てるのは男でなく女だからだ。愛した女たちを背負うからこそ、戦士達はその力を出せる。」

「そうは言っても人手は足りてないだろう?人間共がどれだけの数蠢いて集中しているのか知らないけどさ。あたし達より多くて、排煙の筒も一杯あるんだろう。それでどうして断れるのさ。大丈夫だよ戦士長。そこいらの戦士よりあたし達女衆の方がよっぽど覚悟も勇気もある、そうだろう?」

振り向いて声をかければ、調子のいい二三人が、やじを入れてくれた。

「…分かった。夜襲だからな、あまり音のなるものや夜に紛れないものは着るな。」

姫様の一見でもう、誰かと張り合うのに疲れてしまったんだろうか、戦士長はあっさりと折れた。

「分かってるさ!ありがとう、戦士長。」

あたし達の腕はどう考えても夜に紛れない。服は全部脱いだとしても、それでも。

だから、あたし達に死に場所をくれたのだと思う。

表面ではどう取り繕っていても、いつまでも見えない未来に、期待できない未来に心が折れてしまったものが多かったから。

若い者達だけで細々と生きていくことだって難しいだろうけど、それでもあたし達が誰も戻ってこなけりゃそこであたし達は移動することを選べるのだから。

その先がどれほど厳しくても、次へ繋ぐこともできるはずだから。

「あたし達は?あたし達はどうすればいいの?!」

サラが聞いてくる。

あの綺麗な声がすこし掠れていて、痛ましい。

「あんたには必要なことを教えたろう。」

まだだ、まだ全然伝えられてない。

季節の違いも、問題が起きた時の対処法も。

その時にならないと話せないことばかりで、どれだけ母がしっかりあたしに引き継いでくれていたのか、今更になって感謝する。

「でもだからって!あたし達だって一緒に行きたいよ!」

「戦士長の話を聞いてなかったのかい?あんたらは次のために――」

「次ってなに?姫様も、戦士長も、ライラーさんも失って、どんな次があるっていうの?そんなの、あんまりだよ!」

あんまり、か。

そうだね、あたしもそう思うよサラ。

でも、どうか分かって。

「なにさ?あたし達が戻ってこないだなんて今決めつけるなんて、信用してないのかい?」

「信用してるよ!信用してるけど…それでも…。それに、喉が。」

「生きなさいサラ。あんたの憧れた姫様は、最後までまっすぐ戦士長と向き合ってた。人間共の排煙なんかに負けるな。あたし達も明日、勝ってくるから。」

言ってて悲しくなる。でも笑顔で安心しきった、余裕の顔で言わなくちゃならない。

この娘が我慢してるのに、戦ってるのに。

あたしだって負けてはいられない。

サラはぼろぼろと涙を零して、あたしの胸に顔を埋めた。


最近、あたし達は皆、泣き虫になってしまったのかもしれない。

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