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黒き空のハルピュイア  作者: 心鏡
三章 風蝕
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二十五話 咳

ケホッ、ケホッ。



喉に違和感がある。

何かが張り付いて離れてくれない感じ。

この兆候はとても、とても良くない。

喉から胸を患って、大地に身を投げ打った者は多い。

彼らも最初は喉が痛い、と言い出した後、胸の痛みを訴え、血を吐き、力尽きた。

叔母も叔母の友人も、そうして失った。

最初は気丈に振る舞った彼女らは長く、長く闘い、抗い、苦悶を浮かべて諦めるように目を閉じた。

そんな姿を見ていたから。

そんな姿を見ていても。

どこか他人事だったのかもしれない。

咳が続き、

呼吸がうまくできず、

喘ぎながら、

腕を意味なく動かし、

目を剥く姿を、

この目で見ていたと言うのに。

あたしは、あたしはあんな姿になりたくない。

皆が褒めてくれた声も失いたくないし、私を見込んでくれたライラーさんにも何も返せてない。

誰かと番って子を()して、仲間と子と一緒に木の実を摘み、他愛もない話に花を咲かせたい。

いやだ。

いやだいやだ。

いやだいやだいやだ。

どうか、どうかこの違和感が、一時的なもので。

清い水を飲めば治る程度のもので。

こんな考えは杞憂なんだと。

今すぐにでも教えて欲しい。

誰か、誰でもいいから。

早く。


喉を痛めているのはあたしだけじゃない。

今の山に来てから発症する人なんて居なかったのに、メフリさんも、戦士のニマーも、その他にも。

戦士長はすぐにこの異変に気づいて動き出してる。

この症状は前の山で、排煙を撒き散らす人間共の近くに居たせいだ。

だから戦士長はまず近くに来ている老いた人間を疑った。

でもそれは姫様からも斥候からも否定された。

その置いた人間は忌々しくも姫様に会った後、付近の森を探索して戻ることを雨のない日は毎日続けてる。

それに、人間独りでここまでのことはできないだろうし。

となれば麓の人間共か、更にその先か。

どこまで、本当にどこまで私達を追い詰めれば気が済むのだろう。

また皆で移動すると言っても、次の場所が安全な保証もないし、探している間にも私達はどんどん仲間を失ってしまう。

姫様に、姫様と話がしたい。

姫様は過去を、起きてしまったことを悔やむ人じゃない。

それでも、それでもこの時にまだその目を上げられるのかな。

もし、そうなら、その強さに縋りたい、甘えたい。

あたしは、ちょっと、辛いよ姫様。


「サラ、どうしましたか?」

蔦を口で編んでいる姫様があたしに気付く。

あたしは、努めて笑顔を作って話しかける。

「編み物、上手になったね。…りましたね?」

「そんな畏まらないで下さい。それから、同じお願いも何度もさせないで下さい。」

薄く笑みを浮かべて注意される。

蔦は既に腕の長さくらいは編まれていて、姫様の首から下がっている。

「姫様の丁寧な口調が治ったらあたしもそうするよ。」

「…まぁいいです。ところで何用でしょうか。また何か教えて、貰えるのかな。」

「ごめんね姫様。今回は別件。そう、別件。」

少し喉が辛くなって一度生唾を飲んだ。

作った笑顔が消えてしまう。

咳をしたら姫様は心配してくれる。

そんなこと、させちゃいけないんだ。

「別件、ですか。…何でしょうか。」

「姫様、あたしに応えて欲しい。メフリさんとかが咳をしてるの、知ってるよね。」

「知っています。それが何を意味するのかも。」

姫様はじっとこちらを見据えてそう応えた。

引き込まれそうなその目に強さが残ってる。

だから

「あたし達は、どこを目指して駆ければいいの?この前の姫様が言ってたとおりに、あたし達は一杯失った。なのに、なのにまたこうやって攻め立てられてる。人間、人間共の、せいで!」

ぶつけてしまう。

甘えてしまう。

「彼らは――」

「分かってる。姫様が会ってる人間は悪い人間じゃない。それでも悪い人間がいて、その人間はあたし達のことを知りもしないのかもしれない。」

姫様は開きかけた口を閉じる。

「だったら、あたし達の想いは一体何にぶつければいいの?あたし達は明日に何を夢見ればいいの?あたし達はこの空の下で、ひっそりと朽ちて行くしか!できないんじゃないの…?」

目がやたらに潤っているのを感じる。

姫様は黙って私を見つめて、ゆっくりと口を開いた。

「ごめんなさい。サラの心を支えられるほど分かりやすい答えを持ちません。でも、できる限り抗うつもりです。今まで出てこなかった案も、全て含めて、皆で全力で抗いましょう。最後の時だというには、まだ少し早いと思います。」

まだ、少し。

もうそれだけしかない。

目尻から溢れて一筋落ちる。

「姫様には、姫様には見えているものが、見えないよ。抗った先に何もないと分かってて、抗い続けるなんて、あたしにはできない。」

「何も残らないなんてことはありません。少なくとも、全力で駆けたと、全てを尽くしたと。そう先祖に胸を張れます。」

「胸を張るなら子供に、子供たちに張りたいよ。それに、今回の大移動は胸を張れるほど全てを尽くしたことだったよ姫様。」

「…ウルムに、あの老いた人間に事情を何とか伝えてみます。戦士長は排煙の発生源を突き止めに行ってくれてますし、ナヴィドは風が直接吹き込まない洞を探しに、ライラーさんは洞の入り口の草を二重、三重にしてみようと動いています。」

「それで、それで今、たった今に咳をしてる皆は助かるの?これ以上欠けてはいけないと戦士長も姫様も言っていたのに!」

「ごめんなさい。分かりません。」

「はっきり言ってよ!助からないって!もう微かな希望に夢見て居られないんだって!」

責めるように姫様の胸に飛び込んだ。

姫様は腕を大きく拡げてあたしを受け止める。

木が大きくざわついた。

姫様の目を見る。

姫様は黙って見返してきた。

これ以上は、何もなく。後は胸を張れるよう最善を尽くすだけだと。

そう決めたような目で、あたしを見る。

姫様も、当事者でない時のあたしのように、分からないのだと、悟ってしまった。

それが、それがとても悲しくて。

姫様の胸に顔を埋めて泣いた。

姫様が優しく腕をあたしの背中に回してくれたけど、的を得ない優しさを正しく受け止められなくて、それが余計に辛かった。

歌を歌っていた頃はあんなにも前を向けていられたのに、とても顔を上げて姫様を見ることが出来ない。


ケホッ。


涙腺と一緒に緩んでしまった喉から咳が漏れる。

ハッとして赤い目を姫様に向けたら、姫様の強い目に動揺が浮かんでいた。

八つ当たりを自覚はしつつも、その動揺が何だか嬉しかった。


「ごめんね姫様。あたしは一緒に空を駆けれないや。」


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