二十三話 灯る火
本当に、本当によくも飽きないものだ。
昨日会ったはずだ。それが今日になったからと言って、特別何かが変わるわけじゃない。
彼女だってアルテだってそう感じているだろうし、最近は少しおざなりな態度も見せる。
鳥のように眼球が動かないのか、しきりに首を動かす彼女はまるで子供のようだ。
体全体で想いを顕すような、私達老いた人間には、羞恥といった社会通念によってできなくなったそれを。
ただ、眺めているだけで愛らしい。
彼女も私に興味を持ってくれているのか、全身を隈無く観察されている。
少し位置を変えながら。
満遍なく。
あいにく、私には見られて恥ずかしいところなどない。
肌に浮かぶシミも、曲がり始めた背中も。
全力で駆けてきた結果であって、なるべくしてなったものだ。
幸いなことに祖国では若い連中もこぞって杖を持つ。
それが流行なんだなんぞ言っているが、私から見れば若年性老化現象だ。
老いた紳士が持つからこそ映えるのだろうに。
「まぁいい。
理解できないことを、理解しようとして不満に感じることほど馬鹿らしいこともない。」
「旦那様、何かご不満な点でも?」
ついぶつくさと口に出た独り言をあえて拾い上げたのはいつもの使用人だ。
抑揚の深い言葉に大きな不満が篭っている。
全く、主人に悟られてどうするのか。無論、気づかないふりをするが。
「独り言だ。それで?今日は何を持ってきた。」
「ご用命、頂きました水、塩、パン、ワイン、そして瓶です。麓の者からチーズも少し。」
「ご苦労。で、それをどこに置いとくつもりだ?」
使用人の顔が固まる。やたら鞄を握る手に力が篭っている。
少し、からかいすぎたか。
「…申し訳ございません、気が回らず。」
「まぁ良い。次には頼むぞ。」
使用人の口角が震える。だが、頼むべきことというものがある。
「ああ、それとだな、この花を見たら根ごと摘んでおけ。」
使用人にユリの花を見せる。使用人はゆっくりと目を閉じて深く息を吐く。
「…畏まりました。理由を伺っても?」
「どうやら喉や肺に効きそうな成分が根にあってな。それが感覚的なものか、具体的な効果を望めるものか様々に評価せねばならん。その為には数がいる。そういうことだ。」
「それはそれは、おめでとうございます。」
「付けるべき言葉に抑揚が欠けているぞ。ふむ、お前も少し舐めてみるか?」
「いえいえ、そのような貴重なもの、滅相もございません。」
「遠慮するな。私は散々舐めているし、あのハルピュイアですら舐めていたぞ?」
「一体何をなさって…いえ、まぁ害が無いというのであれば。」
水溶液の入った瓶を渡す。使用人はコルクを開けて、手のひらに少し垂らしてから慎重に舐めた。
主人と使用人の信用関係について今一度話しておくべきかもしれない。
「…なるほど、確かに喉がスッとするようです。これが喉に効く、ということなのでしょうか。」
「分からん。分からんが、刺激があるということは何かしらの効果があるということだ。その結果が人体にとって、咽喉に良い効果を齎すのか、はたまた悪化させるのか、それとも何も起こらないのか。それをこれから見極めねばならん。」
「承知致しました。つきましてはこの小瓶、持ち帰っても良いでしょうか。」
「何故だ?」
「麓の者達には、山から吹く乾いた黒い風に喉をやられたものがおります。旦那様のご活躍を彼らに伝える良い機会かと。」
なるほど、使用人は麓で必要なものを調達しているのだろうから、後ろ盾なく動き続けるもの苦しいということか。
「良い、好きにしろ。」
「ありがとうございます。ああ、失念しておりました。麓で調査しました毒草の特徴とその効能についてまとめましたのでこちらもお渡し致します。」
使用人の癖に強かなやつだ。特に私からフォローがなければそのまま横流しでもするつもりだったか。
まぁ、そんな強かさは嫌いじゃない。
「ほう、概略と所感を話せ。」
「主に山羊の体調を壊すものを毒草としているようです。人間にとっても毒というわけではないかと思いますが、敢えてその植物を摂取することもないということかと。所感ですが、先に述べた通り山羊が食した結果を効能としており、軽微なものでは草の塊を吐き出す、座り込んでしまうといったものから、泡を吹く、嘔吐、糞尿を垂れ流すといったものまであります。また、これらについて山羊に蔓延する病か毒草かの区別がないまま殺処分しているものも少なく無さそうです。」
「毒草の特徴と効能については紐付いているのか?」
「そうであるものと、そうでないものと。ご留意頂きたいのは彼らは専門家でないということです。抽象的な表現などご了承いただきたく。」
「ああ、分かっとる。」
参考になればいい程度の話だ。端から期待していない。紙にざっと目を通す。
中々に要領を得ない内容だ。実際に特徴から採取してみないことには分からんだろう。
この辺で採取できるものがあれば良いが。
「よし、ご苦労だった。また私は森に入るが、お前はいつも通り休んでいけ。」
「はい、頃合いを見て出立します。…またハルピュイアのところですか?」
「下世話な興味をひけらかすのは女だけで十分だ。」
「これは失礼しました。ではお気をつけて。」
答えを知る者に、正直に答えてやるほど愚物ではない。
ただの虚勢に過ぎないが。
コートのポケットに紙を折りたたんで入れて、手袋を嵌める。
何度か手を開閉して心地を確認し、歩き出す。
まだ昼過ぎか、使用人も慣れたものだ。
「おっと、忘れるところだった。」
ベルトに吊るした携帯カンテラを外して、手頃な岩の上に置く。
細い筒状の加圧器を胸ポケットから取り出し、カンテラのツマミを捻って開ける。
中の紐を油が手につかないように少し持ち上げて加圧器の先端で挟む。
溝に引っ掛けて止められているトリガーを外すと
ポシュッ
と軽い音と手に僅かな抵抗感がくる。
手早く加圧器を外すと紐から煙、そして火が灯る。
また、今日もこの火で彼女を呼ばなきゃならない。
私の手から水溶液を舐めとっていった彼女の姿がまだ鮮明に焼き付いている。
少しばかり浮かれていると言ってもいいのかもしれない。
何にせよ、今の私にとって彼女に会わないまま森に入るといった選択肢など、あろうはずもなかった。




