二十二話 飽くなき眼
本当に、本当によくも飽きないものだ。
残念ながら、ウルムが話す言葉を名前に知ることは結局なく、恐らくは私が発した声とウルムが聞く音、ウルムが発した声と私が聞く音が違うのだろう。
でもまぁ、小鳥のさえずりを眺めるように、理解できなくとも、そこに想いがあればそれなりに微笑ましく聴いていられる。
何よりウルムの眼は私達以上に輝いていて、それは皆にこそ抱いて欲しい眼だったから。
それが傍にあることが少し好ましくもあって。
まだまだウルムを追い払う目的で来ている方が大きいはずだけど。
たぶん。
建前でなく。
第一人間なんて、本当に、本当に興味を持った所で仕方ないのだから。
そう、自分への言い訳をしてるみたいで嫌になる。
以前より暖かい所とは言え、洞のある山の頂上付近は十分に寒いし、この暗い空のせいか大地にも暖かみが少なくて。
だから、実りの季節なんてものも期待できないんじゃないかという話が増え始めた。
それは一部の木々が葉の色を変え始めたからだ。
空から見ればそれはとても直感的で、尚更にその説が強く支持された。
そうなれば私達は長い、長すぎる寒さを越えなきゃいけない。
はっきり言って人間なんて構ってられない。
戦士長は非常に強くなった寒さの中で人間がやってくることを懸念してる。
いくらなんでも、来ないだろうと思う。
ただ、来られてしまうと為す術がない。
動けないほど寒い時は皆で暖めあって、あまり長い時間起きてはいないし、うまく体を動かせる気もしない。
人間なら動物の革を被って寒さを凌げるみたいだけど、それも限界があるだろうし。
その辺の見極めもできればいいんだけど、ウルムはちょっと特別な気がする。
たまに、若い人間も連れている時があって、その二匹が人間についての数少ない情報源にもなってる。
今でも厚い動物の革を被っているところを見ると、これ以上の寒さには無理なんじゃないかとも思う。
初めて見た頃から何も変わらないから分からないけど。
「姫様。」
「はい、向かいます。」
もう最近斥候の彼は最後まで言ってくれない。
確かに言わなくても分かるんだけど。
あからさまに確認しない内から次の行動に移り始めているのはどうかと思う。
ゆったりと空へ駆け出すと、近くの木の上でライラーさんとメフリさん、セラが何やら話し込んでいるのが見える。
人間がいつやってくるか、いつここを離れなきゃならなくなるか分からないから、皆、継承を意識してる。
いざ教える立場になって、祖父母からアドバイスを貰えないことを嘆く声もある。
後悔なんて、しても仕方ないししたくもないけど。
それでも老いた戦士や母が居てくれるだけでどれほど助かったろうか。
私も子をなして継承すべきなんだろうけど、この忙しい状況じゃ、保険がいるのかもしれない。
セラに余裕があるならちょっと話してみたいけど、またライラーさんとも話してみよう。
ウルムはいつも灯りを持って斜面に立っている。
最初の内はどんどん迫ってきて森に入ろうかという勢いだったけれど。
もう私が来てくれると分かっているのか、むしろ私に気付かれやすいように灯りをもっている気がする。
いくら暗いとは言えども大地が見えないほどじゃないだろうし。
「こんにちはウルム。ごきげんよう。そしてお帰り下さい。」
いつもの定例文を告げる。
斥候もいなければ、ウルムに言葉は通じない。
言ってみたかった皮肉みたいな言葉でもなんでも言って、何の責任もない。
ちょっとした気楽さをこんな形で求めても仕方ないのだけれど。
私が表情一つ変えずに告げるせいか、ウルムは名前の所だけを聞いてかいつも通り表情豊かに物語ってくる。
いつもと違う所は動物の革の一部が膨らんでいること、首にも何かわからないが綿に色をつけたようなものを巻いている。
あれも人間の寒さ対策なんだろうか。
あとは…少し痩せたのかもしれない。窪んでいた顔がさらに鋭さを増しているようにみえる。
でもまぁそれくらいだ。
ケホッ。
最近少し咳が出るようになった。
酷く風が強い日は目に見えるように無数の黒が風に運ばれているから、喉に黒が引っかかってるんじゃないかと思う。
それを見てウルムが革の膨らみから、液体の入った、透明な入れ物…?を取り出す。
中の液体は土色で、蓋は裂けた木肌の色をしている。
人間は本当に何でも作るなぁと目新しさに興味を覚える。
ウルムはそれを指差しながら、
ガラガラ、ガラガラ。
ゲホッ、ゲホッ。
と声を発した。
その後、瓶の蓋を軽い音をさせながら外し、指先を土色にする。
指先についた土色を舐めてそれはもう仰々しく飲み込んだ後元の通りの声に戻った。
…喉に良いと言いたいのだろうか。
私たちにも、どんなものを食べればどんな症状に聞くのか、経験や伝承によって知ってる。
でもこんな土色の液体に、むしろ雨上がりの大地のようなものにそんな効果があるなんて思いもしなかった。
それにここに来てからはそんな知識もまだまだ足りてなくて、でもあまり優先するわけにもいかなくて。
ウルムは右手を窪みのように形作るとそこへ土色の液体を揺蕩わせた。
そんな簡単に液体を持てるなんてちょっと羨ましい。
ウルムはそれを少し高く掲げると私に目で尋ねてきた。
私は興味本位で斜面に降りると、今度は私の口の高さに手を下げてきた。
彼の手の間から液体が染み出して落ちる。
少し前かがみになり舌先でそれを舐めるとすぐに刺激があった。
思わず吐き出したほうがいいかとも思ったけれど、その刺激は妙に喉に心地よくて。
僅かなそれを口の中で吟味し、害が無さそうだったから、今度は大きく舐めとった。
また口の中に刺激が拡がる。
強く、長く。
刺激に誤魔化されてるのかもしれないし、一時的かもしれないけれど、確かに喉は楽になった気がして。
ウルムに微笑みかける。
流石にウルムももう呆けてはくれず、笑み(おそらく)を返してくれる。
もう一舐めと顔を近づけたら、ウルムは慌てて手を引っ込めた。
少ない土色の液体が土に戻る。
少しムッとしてしまったけれど、たぶん、おそらくは摂りすぎても問題なんだろうと思う。
祖母も似たようなことは言っていたし。
苦笑いを返しながら、空へ戻る。
まぁ今日はこんなところかなとウルムに微笑む。
ウルムは最近決まって同じ身振りを別れ際にするようになった。
両手を前に差し出してから内側に円を描くように一転してまた前に出す。
その動きにどんな意味があるのか知らないけれど、ちょっとしたいたずら心が湧く。
両手の動きと同じように空中で一回転して見せると、ウルムは非常に喜んだようで、最初の頃のように破顔していた。
その姿に、私もちょっと、満足した。




