第七話
外で待っていると、田島さんが鍵とバインダーを手に持って、不動産屋から出てくる。
「お待たせいたしました。ここから数分ですが、歩いていきますか? それとも車の方が……」
「いえ、出来たら歩きでお願いしたいのですが」
他人の車に乗ることが居心地が悪いので、歩きで行きたかった。
……正直なことを言うと、他人の運転に自分の命を預けるのが怖かった。
「承知しました。いやぁ、実は運転は苦手なので、少しほっとしました」
少し困ったような笑顔を浮かべ、手に持っていた鍵をポケットにしまった。
その言葉が本心なのか、それとも相手に罪悪感を持たせないための一言なのかは、俺には判断できなかった。
けれど、その思いやりのある一言が、少しうれしかった。
「では、行きましょうか」
そう言って、俺の前を歩いていく。
そこから到着するまでの数分間、このあたりは春になると桜がきれいだとか、ここの店はランチの日替わりがうまいなど、いろいろなことを紹介してくれた。
近くに住んでいたのに、知らないことばかりで、とても楽しい時間だった。
だが、そんな楽しい時間は、早く過ぎてしまうものだ。
「こちらが物件になります」
ついに目的地に到着してしまった。
ただ、外見は普通の一軒家なので、少し拍子抜けだ。
庭の草は刈り取られ、家の壁も築年数に対してきれいだ。
大切に住まれていたことがわかる。
そんな穏やかな時間に浸っていた俺を、不意の震動が現実に引き戻す。
まずい、クロエのことを忘れていた。
ポケットからスマホを取り出す。
「マスター、到着したならすぐに取り出してくれると助かります」
クロエは、こちらの考えを見通したような言葉を投げかけてくる。
「いや、今着いたばかりなんだ。決して忘れていたわけじゃない」
咄嗟の誤魔化しとしては、意外といい線行ってるんじゃないか?
「マスター、心拍数の上昇と多少の発汗がみられます。これは精神的にスト…」
「すまん、一瞬だけ忘れてた」
もうこの先一生、クロエには俺の嘘は通用しそうにないな。
人間やっぱり、素直が一番だな。
「マスター。それでは、これからはスマホを出したまま内見をお願いします」
「了解。それじゃあ、田島さん。玄関を開けてもらってもいいですか?」
「承知しました。どうぞご自由に見学なさってください。お客様に自由に見ていただくスタイルで、うちの会社はやっていますので。それでは、私は店にいますので、鍵を閉めて戻ってきてください」
そう一息に言い切った田島さんの表情は、ここに来る前とは違い、少しこわばっている。
「もう……あの声は聴きたくないんです。……申し訳ありません!」
先ほどの不動産屋での話し方とは違い、早口にそう説明すると、田島さんはバインダーの中から鍵を取り出し、俺に押し付けるように渡してくる。
思わぬ行動に驚き、咄嗟に鍵を受け取ってしまう。
田島さんは鍵を渡した後、おっとりとした外見に似合わない速度で、今来た道を帰って行った。
「はえー」
思わず、口から洩れていた。
「マスター、あの予備動作のない動きと、流れるような重心移動。走り去る際の歩幅などを解析した結果、類似した動きを見つけることができました。どうやら田島さんは、古武術の心得がありそうですね。それはそうと、中に入ってみましょう」
その言葉で、現実に引き戻される。
「そうだな。それじゃあ、開けるぞ」
鍵を開けて、玄関の扉を開ける。
この家に来るときに、前に住んでいた人は半年ほど前に退去したと言っていたので、埃っぽいことを懸念していたが、そんなことは無かった。
玄関で靴を脱いで、中に入る。
廊下を歩いていくと、少し床がキィキィと音を立てる。
確か築十数年と言っていたので、少し床板が劣化しているのだと思う。
「クロエ、これが幽霊の正体とかでは……」
「マスター、それはあり得ません。この程度でしたら、住人が出ていく原因になりえませんし、例の現象が起きている場所とも違います。これが原因という確率は、小数点以下10桁を見てもその可能性を見つけることができませんでした」
ボコボコだぁ。
いや、わかってたよ?
ここが原因なんて、これっぽっちも思ってなかった。
これっっっっぽっっっっっちも思ってなかったから。
ただ……これだったらいいなぁとは、願っていたけど。
田島さんから、この家の間取りをプリントしてもらった紙を見ながら、一階を見て回る。
一階部分は、リビングは20畳と結構広い。
それに、キッチン。
コンロには、魔法が使われているようだ。
それに、トイレ。
あと、風呂は結構大きくて、俺が入っても足が延ばせるぐらいの大きさがある。
最後の一室は、寝室用なのか、畳の和室だ。
「うん、一階を見た感じ、かなり住みやすそうだし、傷みもひどくはなさそうだな」
「はい、マスター。この築年数でこの状態なら、大切に住まれていたのだと推測できます。これが7桁後半の値段で手に入るなら、お買い得な物件と言えますね」
クロエは依然として、この物件を購入することに前向きのようだ。
しかし、俺はまだ購入には後ろ向きだ。
なぜなら、手元の紙で見ないようにしていたが、二階の確認がまだ残っていたからだ。




