第十三話
坂口と飲みに行ってから、もう一週間が過ぎていた。
既に引っ越しは終わり、新居に住まいを移している。
そして、もちろんリフォームも終わっている。
引き渡しの日に、作業を想定し歩いてみたが、出てきた感想は完璧の二文字だった。
その姿を確認した関さんは、ゆっくり頷いて、この場を去って行った。
そういえば、最後まで関さんの声を聞くことは無かった。
この家に引っ越してきて数日だが、非常に快適だ。
部屋も風呂も大きくなったし、キッチンの使い心地はいい。
部屋も多くて、まだ余ってるくらいだ。
いつか趣味部屋として使おうかと思ってる。
そして、例の小部屋は、プラネタリウムとして使うこともあるが、モニターを置いて映画を見るときに使っている。
あの暗さの中で見るのが、非常に臨場感が出て、映画に没入出来るので、この家でもお気に入りの場所になっている。
そして今日も、ビールを持ってあの小部屋に向かう。
今日は何の映画を見ようか。
B級映画界のA級サメ映画でも見ようか。
「マスター」
声が聞こえた方を見ると、モニターにクロエが映っている。
「うん? どうした、クロエ?」
今日は、このまま映画を見て寝る予定で、呼び止められるような案件はなかったはずだが。
「マスター。これからの予定は、映画を見て就寝する予定でしょうか?」
「そうだな。そのつもりだけど……」
その答えを聞くと、クロエは少し沈黙したあと、口を開く。
「マスター、忠告します。今日は映画を見た後、必ずベッドで就寝してください」
なぜこんなことを忠告してくるのか、俺は分からなかった。
なので、クロエに聞いてみる。
「どうして、そんな忠告を?」
「はい、マスター。ここに入居してから数日。あの小部屋で椅子に座りながら、いわゆる寝落ちを3度しています。そして、この数日カメラで観察したところ、このまま椅子での寝落ちを続けることで、マスターは急性腰痛症を発症することになります」
聞きなれない病名を出されて、何のことかわからなかった。
「なあ、クロエ。その急性腰痛症って、どんな病気なんだ?」
「はい、マスター。いわゆる、ぎっくり腰です。それでは、この病気の症状を説明していきます」
その言葉に、顔が青ざめる。
「いや、いいよ。その病気の怖さは知ってる」
一歩動くだけで激痛が走り、動くこともままならない。
食べ物を飲み込んだだけでも激痛、腕を動かしても激痛。
あんな地獄は、二度と味わいたくない。
「分かったよ、クロエ。忠告ありがとう。絶対に今日は寝室で寝るよ」
そう言った俺だが、アルコールにより寝落ちをしてしまった。
そして翌々日、『伴魔法修理工房』の開店の日だ。
かと言って、特別なことは何もしない。
お世話になった人には、もうすでに挨拶は済んでいるし、花輪も断った。
「クロエ、表のサイネージを『open』に変えてくれないか」
俺は、一階の和室で横になりながら、クロエに指示を出した。
「マスター。そんな状態なのに、本当に開店するんですか?」
普段は表情に乏しいクロエだが、今は呆れているように見える。
これがただの被害妄想なのか、本当に呆れているのかは、見ないふりをする。
「ああ、頼むよ。一応、人が来たら対応できるくらいには、痛みは引いてきたから」
クロエが指摘した通り、俺はぎっくり腰になってしまった。
昨日の朝、椅子で寝てしまって、立ち上がった拍子に、腰にビキッと衝撃が走った。
一度経験していたから、すぐに分かった。
この時、俺の頭の中では、『ヤバい』の三文字で埋め尽くされていた。
そして、そのまま一時間は動くことは出来なかった。
なんとなく行けそうな瞬間があり、そこからは少し動けるようになった。
クロエにタクシーを呼んでもらい、病院と整骨院で診察を受け、日常生活に支障のない程度には回復した。
前の時は本当にひどかったが、今回は軽度で済んだのが幸いだった。
田島さんの奥さんのぎっくり腰を笑ったつけが、返ってきたのかもしれない。
クロエが田島さんに連絡して、いい整骨院を紹介してもらえた。
田島さんにも感謝しなくては。
本当は昨日、開店のはずだったが、一日延期していた。
このままだらだらと、開店を引き延ばしにしたくなかったので、開店だけは今日のうちにしてしまいたかった。
そう言えば、今回一番世話になったクロエに、まだ礼を言っていなかったな。
「ありがとな、クロエ」
「……? マスター、何に対する感謝の言葉でしょうか。それと、私には感謝は不要です」
「受け取っといてくれ。じゃあ、クロエ。早速、サイネージの表示を変えてくれ」
「……承知しました、マスター」
クロエは、『close』のサイネージを『open』に変更する。
こうして、少し不安な開店初日の営業が始まった。




