第十二話
それからの二か月間は、エンジニアをしていた時と同じくらい、忙しい日々を過ごしていた。
むしろ、この期間の方が、精神的にはきつかったかもしれない。
不動産屋の田島さんと打ち合わせた翌日、会社設立の申請をし、一週間程で無事設立が認められた。
書類や定款を作成し、それぞれを適切な役所に提出する。
まとめればこんなに短い言葉になるが、素直にプロに頼んでおけばよかったと後悔していた。
クロエの「マスター、今後のことを考え、節約できる場所は節約したほうがいいでしょう。会社の設立は書類さえあれば、どなたでもできます」の一言に納得し、それならば、とやってみたが、もう二度とやりたくない。
そして、動いていたのはこれだけではない。
家のリフォームも、同時に進めていた。
何しろ、普通の一軒家を工房として使うのに、今のままでは設備が不十分だった。
リフォーム業者は、田島さんに紹介してもらった。
なかなかに癖のある、関さんという人だった。
こちらからの要望を紙で一覧にして渡すと、一通り眺めた後、胸元からペンを引き抜き、何かを書き始めた。
そして、無言で渡してくると、部屋のレイアウトが出来上がっていた。
これがプロの仕事かと感心していたが、いくつかの設備がないことに気づいた。
それについて聞いてみると、パソコンを取り出し、説明の資料を提示してくれる。
今の魔法コンロで代用できることや、耐久荷重が過剰であることなど、俺の疑問にピンポイントで答えてくれるものばかりだった。
ここまで考えてくれたのかと、改めて感心してしまった。
俺はこの人を信頼して、リフォームを任せることができた。
その後も、住所変更や引っ越しの準備をしたり、そんなこんなで二か月がたっていた。
そして今日は、久々に何も予定が入ってない一日だ。
引っ越しは来週だし、のんびりできる。
今日は昼間から酒を飲んでも、誰にも何も言われないはずだ。
さて、何を飲もうか……。
「マスター」
その一言で、動きが止まる。
いや、大丈夫だ、今日は完全なオフだ。
大丈夫……大丈夫……。
「どうした? クロエ?」
「マスター、メッセージが届いていますが、読み上げますか?」
ふぅ、よかった。
ただの通知だったか。
「はい、マスター。坂口様からメッセージです。『よっ、元気にしてっか? 急だけど、今日、飲みにでも行かないか? いつでもいいから連絡くれよ』以上です」
同僚だった坂口か。
そういえば、退職して以来、一度も会ってなかったな。
よく飲みに行ってたが、最近忙しくて誘えてなかったな。
ちょうどいいし、あいつと飲みにでも行くか。
「クロエ、返信を頼む。『じゃあ、いつものあの店で先に飲んでるわ。来たかったらご自由にどうぞ』この文面で送信しておいてくれ」
「承知しました、マスター」
それじゃあ、出かける準備をしますか。
と言っても、元同僚との飲み会なんだ、そこまで気負わなくていいな。
適当な服を着て、スマホと財布を持って外に出る。
空は鉛色で、雪が舞っている。
今日は本格的に降ってなくてよかった。
この前までは、大雪で外に出るのも厳しかったからな。
それじゃあ、行きますか。
俺は、近くの駅に向けて歩き始めた。
それから十分ほど歩いて、店に着いた。
同僚たちと飲むとなると、決まってここの店だ。
店に入って、店主に後から人が来ることを伝え、テーブル席に座る。
さてさて、今日は何を飲もうかな。
ここは日本酒の種類が豊富で、季節ごとに種類を変えているのが、こだわりなんだそうだ。
「おう、待たせたか?」
その声に振り向くと、色黒のガタイのいい男が立っている。
「いや、今着いたとこだよ。なんかでかくなったか? 坂口」
退職する少し前に坂口と話したが、その時より一層大きくなっている気がする。
「お~、分かりますかぁ。来月にボディビルの大会があって、ちょっと今、頑張ってんのよ」
そう言ってまくった腕は、身の詰まった木の幹のようだ。
田島さんと比べても遜色ないのは、田島さんがすごいのか、坂口がすごいのか、判断に困るところだ。
軽いやり取りをしてから、料理と酒を頼み、坂口と近況を報告しあう。
俺は家を買ったことや、会社を設立したことを話すと、坂口は口に含んだ酒を吹き出しそうになっていた。
こらえているときの顔がおかしくて、指をさして大笑いした。
俺の近況を一通り話した後は、坂口の番だ。
話を聞いていくと、会社は最近どうも空気がおかしいらしい。
最近出た製品で、不具合の問い合わせ件数が、他と比較してもかなり多いらしい。
その言葉を聞いて、心臓がドクンと跳ねる。
「……それって、どの製品だ?」
俺の設計した製品の発売時期は決まっていなかったが、まさか……。
「ん? ああ、お前がやってたやつじゃねえよ。他のやつだよ」
その言葉に、大きく息を吐いた。
よかった。
あれじゃなかったのか。
「あれだよ、お前のかわいがってた後輩がやってたやつ」
今度は、心臓が止まりかけた。
「……それで、あいつの様子はどうだった?」
これ以上聞きたくないと思う反面、心配の方が勝って、思わず聞いてしまう。
「そりゃ、心配だよな。先週ぐらいに見たけど、まぁ、必死に頑張ってるって感じだったな」
その後も、酒を飲んだり、話もしたが、ほとんど頭に入ってこなかった。




