#11 呪歌ガルドル
文化祭が終わり、11月も半分が過ぎたある朝―――――――――私は普通に、JR町田駅のホームから、電車に乗る。乗る時間的には通学通勤ラッシュで混み合っている時間だが、今日乗り合わせた電車は始発駅から出た電車ではなかったため、普段の事を思うと空いていたのである。
だからといって、座れる程空いている訳ではないけど…
それでも、優先席を含めて席が一通り埋まっている光景を見ながら、私はふとそんな事を思う。
あれ…?
この時、私は少し離れた優先席に座っている一人の老人が目に入る。
髭が胸近くまで伸びている、相当長い髭で初老の老人だ。周囲が困惑や警戒している気配がない所を見た私は、それが誰なのかが手に取るようにわかった。
あれが、”長髭の神”ブラギ…。確か、詩芸に秀でた神だったかな…?
実際に目にしたのはこれが初めてだが、彼はオーディンと顔が似ていると噂されている神のため、面識がない私でもすぐにわかった。ただし、彼は戦を好まない神のため、”強い神力を得られる”とされるこのミッドヴェルガには、ほとんど興味を示さないはずだ。そのため、何故この場にいるかすらも不明だ。
…まぁ、このあいだ遭遇したラタトクスみたいに、迷い込んだ可能性もある…よね?
そう考えながら、視線を再び電車の窓の外に広がる景色に移す。
自分が知恵の神ミーミルである事を悟ってからも、毎日見るこの景色。自分を創ったとされるユミルは、何を想いこの綺麗な景色が広がる世界を創り上げたのか。はたまた、神すらも及ばない考えを、彼が持っていたのか―――――――ユミルの直系にあたる自分にすら、この世界の存在意義がまるでわからなかった。
今はただ、アスガルドへ帰る術を探すしかないよね…
物思いにふけながら、私は軽いあくびをする。
「あれ…?」
気がつくと、次の駅までもう少しかかるのに、電車の速度が徐々に落ちていくのに気がつく。
この周囲は停止信号で止まる事は滅多にないので不思議の思っていると、電車は完全に停止してしまう。
『ただ今、停車駅にて、人身事故が起きました。それにつき、暫くの間、電車を停止させて戴きます。お急ぎの所、申し訳ありません』
車内に駅員のアナウンスが入った事で、何故急停車したのかを唐突に理解した。
…もしかしたら、1限目遅刻かもなぁー…
時計で時間を確認した際、私は授業に遅れる可能性を示唆した。
しかし、だからといってここで慌てても意味がない。電車が動かないと学校に行けないので、ひたすらに待つしかないとわかっていたので、変わらず外の景色を眺めていた。それでも、いくらか暇なので音楽でも聴こうと、鞄から音楽プレイヤーを取り出そうとしたその時だった。
「っ…!!?」
私は、自分の目の前を通り抜けた物体を視認した時、目を見開いて驚いた。
電車のドア近くにある手すりに寄りかかっていた自分の前を突き抜けたのは、まっすぐに伸びた右腕。その拳は強く握られており、私のすぐ近くにあるドアにぶつかってガラスにヒビが生えていた。その拳が顔面に直撃していたら、どうなっていたかと思うと、背筋に寒気が走る。
「うぅー…」
「何…これ…!!?」
私は自分の目の前に拳を突き出した男性と、その周囲の風景を見た途端、全身に鳥肌が立つ。
電車に乗り合わせていた人間のほとんどが白目を向いており、まるで生きる屍のようだ。
「ぎゃぁぁぁぁっ!!!」
状況を整理しようとした私に、更なる動揺を誘う出来事が起きる。
乗客の中でも平常な人間は何人かいたが、その内の一人が苦悶の悲鳴をあげたのだ。気がつくと、その男性の首筋に、男性よりも大柄な男性が噛み付いている。それは言うまでもなく、白目を向いている男性で、悲鳴をあげた男性の首筋を歯で噛み砕いていく。
「消え…た…」
首を噛み付かれ地面に放り出された男性は、出血多量の即死のように見えたと思った刹那、硝子が割れるような音を立てて消滅してしまった。
これが、ミッドヴェルガに住んでいる――――というより、”本来は存在していない人間”が”死ぬ”瞬間なのだ。本来ミッドガルドに住む人間は、こういった消滅はしないため、ここが現実世界ではない事を何よりも示していた。
しかし、架空の存在とはいえ、一人の人間という物体が消えうせたのだ。神とて、この世界で致命傷を負えば、魂が砕かれ二度と蘇らないだろう。もちろん、若返りの林檎を食べていれば別だが、私にその存在がをに浮かべる余裕はなかった。
私が乗っている車両内は、一種の地獄と化した。
白目を向いた人間は、そうでない人間にのろくはあるが、ゾンビのような足取りで近づき、襲う。隣の車両へ逃げようとする乗客もいたが、何故か隣へ移動するドアが開かないようだ。
この歌…もしや、これって…!!?
私は悲鳴や絶叫がこだまするので最初は聞き取れなかったが、車内スピーカーから歌らしき声が響いている事に気がつく。
呪歌ガルドル―――――――それは、一部の神が使える原始的な呪術のひとつ。ガルドル律という特殊な韻律に基づく歌を歌う事で、効力を発揮する。その効果は様々で、おそらく一部の人間が不死者化しているのは、この歌のせいだろう。
しかし、私や優先席に座っているブラギのように、一部の神や人間には効いていないらしく、それが不思議でたまらなかった。
『あー…あー…』
すると、車内アナウンスが聴こえるスピーカーから、聞き慣れない女性の声が聴こえてくる。
『あー…そこにいるのよねーブラギー??』
少しハスキーな女性の声を聞いたブラギは、閉じていた瞳と口を開く。
「お主…巫女グロアか」
初老の老人は、落ち着いた口調で呟く。
「巫女グロア…?」
その名を聞いた時、私ですら知らない名前に、困惑した。
『んー??どうやら、そこにはあんた以外の神がいるみたいね?まぁ、あたしが用にあるのは、ブラギ。あんただけだけど…』
声の主であるグロアという女性は、強気な口調で話を進める。
『今回、あたしが歌った呪歌は、どうだったかしら?一部の人間が血に狂い、他の人間を襲う。この歌は、術者が歌うのを止めたとしても、対抗する術を行使しない限り、操られた者は正気に戻らないわ』
「なっ…!!どうして、そんな事を・・・!!?」
いくら仮想世界の住人とはいえ、人間を虫けらのように扱うこの女性に対し、私は憤りを覚える。
『別に、仮想世界の人間なんて、どうでもいいし!!あたしはねぇ、そこのジジイが気に入らないから、歌という挑戦状を突きつけてやりたかっただけよ』
グロアの口調が、少し苛立っているように聴こえる。
この二人がどういう関係なのかは知るはずもないが、おそらくグロアは、ブラギに対してちょっとした対抗心を持っているのだろう。思えば、この空間にいる全ての人間ではなく、一部の人間を操るというのは、術師としては優秀なのだと誰にでもわかる。彼女はおそらく、それを誇示したかったのだろう。
「…話はようわかった」
気がつくと、ブラギが再び話し出していた。
「…お嬢さん」
「えっ…?」
ブラギの視線がこちらを向いた事で、自分が声をかけられているのに気がつく。
ただ”お嬢さん”という呼称はあまり言われた事ないので、少し恥ずかしかった。
もしかしたら、彼は私がミーミルである事までは気がついていなそうね…
自身の名前が出てこない所から、私はそうだろうと判断する。
「わたしは、この人間たちを正気にする呪歌を行使しようと思う。しかし、この術は発動に時間がかかる…。故に、申し訳ないがわたしが集中している間、援護をしてほしいのだ」
「私が…ですか?」
首をかしげながらたずねると、老人は首を縦にうなずく。
「わたしは今、己の剣を所持しておらん。それに、グロアが申すように、お嬢さんもアスガルドの住人ならば、人間を相手にするくらいの護身術は持っているだろうと思ってな…」
「わかり…ました」
私の返答を確認した長髭の神は、右手の人差し指と中指を、同時に動かす。
小さなハープ…そういう事か…
指を動かす事で現れた小さなハープが、彼が詩を語る際に使う楽器だというのが容易に理解できる。それを確認した私は、操られている人間の方に向き直る。
殺すわけにはいかないから…
ヤドリギの若木でできた剣を出現させながら、私は絶対に彼らを殺さない事を誓う。ただし、私は武芸の秀でた神ではないため、加減がしっかりできるかはあやふやだ。ただ、幸いな事に不死者のような動きという事は動き自体はのろいので、私でも難なく刀を振るえそうなのは、少し安心もしている。
「やぁっ!!」
私は剣を鞘に収めたまま、走り出す。
そして、目の前にいた人間のみぞおちに、剣の柄を利用して当て身を食らわせた。操られている人間は人としての意識を失っているため、苦悶の表情だけ浮かべて地面に崩れ落ちる。
ただし、先にも述べたように、私は武術に秀でていない神だ。当て身はうまくできたが、敵の意識を完全に奪う事まではできなかった。それでも、しばらく立ち上がれる状況ではないので、これでブラギの術が行使できれば、そのまま元に戻るであろう。
そんな事を頭の中で考えていた訳ではないが、向き直った私は、操られていない人間に襲いかかろうとしている敵の方へ向かっていく。
「止めなさいよっ…!!」
私は、女性に襲いかかっている大柄な男性に向かって、飛び蹴りを放った。
“飛び蹴り”――――――と言っても、車両の天井近くにある手すりにぶら下がり、てこの原理を利用して自分の身体を相手に衝突させたものなので、本当のそれとは言い難いかもしれない。
それでも、大柄な男の注意を惹きつけるのには十分だった。
「うぅー…」
やはり白目を向いていたが、敵の視線がこちらへ向く。
近づいてくる相手に対し、私は剣を構える。
速いっ…!!!
大柄な男性は、先程とは想像もつかないような素早さで、私に襲いかかる。
「このっ!!」
襲いかかってきた敵は、あっという間に私を覆い尽くしてしまう。
地面に倒れ込んだ私の喉笛を噛み切ろうとしているのか、歯をむき出しにしていた。私は相手を押し戻そうとするが、少しずつ顔が近づいてくる。自分が女性の姿かたちをしている事が、かなり悔やまれた瞬間だった。
「TLZO…」
その時、頭上からブラギの声が聴こえる。
声というより、歌を歌っているようだ。もしかしたら、彼も呪歌ガルドルの使い手なのだろう。ハープの音色に載せて、詩人の神による歌声が車両内を覆い尽くす。
「いやぁぁぁぁ…ぁ?」
恐怖で地面に蹲る女性は、ふと聴こえてきた歌によって、平静を取り戻す。
はたまた白目を向いていた乗客も、次第に元通りとなっていく。
「重いなぁ、もう…!」
そして、私の上に覆いかぶさっていた男性も、元通りになり意識を失ってしまったので、重くのしかかった身体を私は何とかどかす事ができた。
そうして起き上がった際には、全ての人間が元通りとなり、地面に横たわっていたのである。
「グロアはおそらく、この電車には既におらんじゃろうな」
演奏を止めたブラギは、ゆっくりな足取りでこちらへ歩いてくる。
「…偶然居合わせたのが、貴方でよかったです。詩神ブラギ」
私は彼が演奏を止めた事で、攻防は終わったのだと悟り安堵する。
「その言葉、そっくりそなたに返そう。…ああ、そうじゃ。まだ、お嬢さんの名を聞いておらんかったな」
私の台詞に対し、穏やかな笑みで返してくれるブラギ。
平和を好む神なだけあって、何だかこの表情は信頼できるな…
そんな事を考えていると、目の前の老人は、少し深刻な表情をする。
「巫女グロアは…わたしに対して対抗心があったのは何となく理解できるが…」
「…何か不可解な事でもあるんですか?」
私は、彼の言葉から心情を予想し、口に出す。
それは正解だったようで、ブラギは長い顎鬚を下に揺らした。
「うむ。不可解なのは、車両の扉に施されていたであろう我らを閉じ込める術式じゃ。あれは…!?」
「ぐっ…!!」
ブラギが次の言葉を紡ぎだそうとした瞬間に見せた表情と、苦悶の表情を浮かべた私のタイミングは、ほぼ同時だった。うなじの部分に衝撃が走った私の身体は、重力に従って地面に崩れ落ち―――――――はしなかった。その前に、誰かが背後から私を抱きとめたのだ。
「…ご安心を。僕は、貴女自身を傷つけるつもりはない。まぁ、ロキの息子たちを敵に回したくもないですしね」
「お主…その娘をどうするつもりじゃ…!!?」
意識が薄れていく中、ブラギと聞き覚えのある青年の会話が聞こえる。
「僕の目的を果たすためには、彼女が持つこの剣が必要…明かせるのは、そこまでという事です」
この台詞の真意をこの時はまだ知る事はできなかったが、一つだけ悟った事がある。
それは、ブラギが言いかけていた不可解な出来事の答えが“彼”だったのを。
ホズ…。私の剣を…何に…使うつもり…なの…?
心の中で浮かんだ疑問。しかしそれを彼が答えてくれるはずもなく、私の意識は闇に堕ちていくのであった。
いかがでしたか。
何だか、久々に白熱した回になったような気がします。
また、やっと「ここまで来たか!」って実感しましたね★
書き方が遠まわしなのでわかりにくいかもですが、今回で海見が持つヤドリギの若木でできた剣をホズに奪われてしまった事になりますが…この展開は連載開始前から考えていた結構重要な場面。ただ、どうやってホズに奪わせるのかを思案した結果、呪歌ガルドルの存在を知って、今回は書きました。
ちなみに、資料ではブラギはガルドルを歌えるとは書いていません。
ただ、彼はガルドルを使えるオーディンそっくりな神らしく、彼の化身?とも云われていたくらいだから、そういった繋がりで使えるようにしてもいいかな?と思って考えた設定でございます!!
さて、次回は…北欧神話に詳しい方は、どんな出来事が待っているのか、ある程度予想できるかもです。
一応お伝えしておきますが、こんな展開見せても、まだこの章の序盤に過ぎませいん。そのため、この章はこれまでのより少し長めになりそうですね★
では、ご意見・ご感想があれば、宜しくお願い致します!




