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最終話 5 スカイワルツ

 

 音楽が聞こえる。

 

 空は青いと思っていたが、いいや、真っ白だ。

 

 眩しい程に白く、暖かい。


 おお、天使の歌声か。

 

 天使達が歌っている。

 

 

 

 そんな交信を最後に消息をたった飛行機乗りがいた。高度の限界を目指した古い時代のパイロットだった。プラウタもよく知る、飛行機操縦の教本に必ず記されている交信記録だ。

 

 天使達の歌声なんて聞こえないじゃないか。

 

 プラウタはその交信を残したパイロットの名前をレイジのトゥーイを追いながら思い出そうとしていた。とりあえず、ひとつ、悪態をついておきたい。

 

 空なんて、やたらうるさいだけじゃないか。うそつき。

 

 音にばしんと頬を殴られる。

 操縦桿をひねり、機体をぐいと風の下に潜り込ませれば、密度の濃い空気の塊が飛行機を擦れて行く音がくぐもって響いてくる。トゥーイのエンジン音が引き裂かれた空の悲鳴のように聞こえ、その声で次の瞬間のトゥーイのベクトルと位置を読む。レイジの心を知る。

 レイジは心を乱しているようだ。エンジンの音が安定しない。速度を落し、そしてすぐさまフルスロットル。金属の翼がねじれ、飛び跳ね、震える。荒れた飛び方をして背後のプラウタを振り払おうとしているようだが、プラウタは真っ直ぐにレイジの後を追うだけで十分だった。どんなに荒れた不規則な飛び方をしようが、飛行機の進路は翼の角度とエンジンの出力で決まる。プラウタにはレイジの飛び方がすべて見えていた。

 

 音にばしりと後頭部を叩かれる。

 レイジは風にぶち当たった。操縦桿がひどく暴れ、手首からもぎとられそうになる。機体も激しく揺れ、見えない大きな拳に強く小突かれたように頭ががくりと垂れる。両手で操縦桿を強く握りしめ、とにかく機体を安定させて背後のアービュウェイを探した。飛行機としての形がはっきりと判るくらいすぐ近くにいる。

 プラウタの機体はレイジと同じく大きな風の流れにぶつかったようだ。機体が斜めに傾き、流されて行く。しかしレイジのように風に弾かれはしなかった。くいと機首を曲げ、その力強い風に押し流されるようにスライドしてほんの少し上昇して風から揚力を得て、さらに速度を増して迫ってくる。

「……認めない」

 この俺が、プラウタより劣っているだなんて。実験機が、完成機よりも速いだなんて。俺が、負けるだなんて。

「認めない!」

 叫んでしまう。どうして、プラウタはあんな飛び方ができるのか。

 まるで、風に舞う落ち葉だ。ひらりひらりと身を捻り、浮かび、落ち、手の届かない遠くへ運ばれたかと思うと、風の音に負けずエンジン音が聞こえる程近くに現れる。

「レイジが認めなくても」

 ヘッドフォンからプラウタの声。

「空が認めている」

 同じ空に飛んでいるのに、どうして、空は奴だけを認めるんだ?

「君は僕よりも遅いんだよ、レイジ」

 アービュウェイはトゥーイのすぐ後ろ、やや低い位置にいた。レイジは首をひねってプラウタの顔を探す。あった。彼の表情が読み取れる程近い。しかも飛行速度をシンクロさせ、トゥーイが作り出す気流に翼を乗せ、出力の低い実験機でも完成機であるトゥーイの最大出力に迫る飛び方をしている。

 心の底から悔しさが込み上げてくる。ふと、プラウタが顔を上げた。ヘルメットのバイザー越しで直接視線がぶつかったかはわからなかったが、確かに、こちらを見上げた。歯をくいしばる訳でなく、息苦しさに眉をひそめる訳でなく、頭上に咲く見知らぬ樹の花を見やるように少しだけ口を開き、こちらを見上げている。

 レイジはある事に気付いた。アービュウェイとプラウタを視界から消し去る一つの方法に。プラウタは、レイジの突然の行動に対応してアービュウェイに乗り込んだので相応の準備をしていた訳ではなかった。彼は脱出用のパラシュートを身に付けてはいないようだった。

「いいさ」

 レイジはプラウタから視線を外し、真正面を向いた。高度はいつのまにか12、000メートルを越えていた。低層雲がその形を保てずに消える高度だ。ここから上空に雲は生まれない。ただ薄い膜のようなガス状の高層雲がかかるだけだ。

「空が認めてくれないとしても、このまま消えてなくなるまで飛び続ければいい。武器のない実験機では俺は落とせないぞ、プラウタ」

 プラウタは応えない。

「ガストガルへたどり着けば、俺の目的はそれで果たせる。もう、おまえと遊ぶ気はない。勝手に飛んでいろ」

 プラウタは計器を見た。自分の命をかけてまで目指していた高度12、000メートルはいまや自分の足下にある。科学技術の進歩は、いつのまにか人を高みへと連れて来てくれる。今に、子供ですらシートに座っていれば雲を飛び越える高度にあっと言う間に達して、遠い外国まで時間を飛び越すような旅ができるだろう。でも、何か違うと思う。でも、その違うと思う事が自分のわがままだと言う事はわかっていた。

「終わりにしよう」

 レイジの声にはっとするプラウタ。トゥーイが揺れた。気流が乱れる。重い風が押し寄せて機体を流す。大きく迂回するような姿勢に傾いて、トゥーイはさらに出力をあげようとエンジンを吠えさせた。進路をガストガルへ向けるのか。

 攻撃手段のないアービュウェイがトゥーイを止める方法はたった一つしかない。機体をぶつけ、飛行能力を奪う。体当たりだ。だが、当然アービュウェイにも相当のダメージが来る。機体がそれに耐えられるか。

「ま、いいか。戦争を止めるって約束したしね」

 プラウタは操縦桿を強く握りしめた。

 一瞬だけ、アービュウェイがレイジの視界から消えた。機体をひねり、翼の先で気流を切り裂くように風を弾く。風に押し込まれるように翼がねじれ、強力な揚力が生じる。波に乗るように、トゥーイが作り出す気流の流れの先に機体を乗せ、ななめに傾きながら速度を増して離れて行く。

 気流と空気の境目に達し、その際に弾き返されるアービュウェイ。エンジンの出力を最大まで開ける。アービュウェイは真っ直ぐ進もうと叫ぶが、風が機体を押し流す。空を滑るように飛ぶアービュウェイ。機首を少しだけ下げ、その空気抵抗を利用してさらに身を捻り、真横にスライドするようにトゥーイの進行方向に躍り出た。

「さすが。踊るように飛びやがる」

 レイジの真正面にプラウタが現れた。レイジが速度を緩めて旋回している間に、プラウタはさらに限界を越えた速度でレイジを追い越し、そして立ちはだかった。真正面。プラウタの背中がある。

「だが、これでさよならだ!」

 千載一遇。目の前のプラウタの背中に機銃を発射させるレイジ。その瞬間、急激に大きくなるアービュウェイ。プラウタが急速に速度を落としたのだ。

「なっ!」

 叫ぶ事しかできなかった。エンジンに着弾し、火を吹き上げるアービュウェイ。そして、トゥーイはその炎の塊に突っ込んで行った。レイジの視界が真っ赤に染まる。キャノピーが一気に真っ白く濁り、激しい衝撃とともに細かいヒビで埋め尽くされる。

 激突したのか? それとも爆発に突っ込んだか。

 操縦桿が言う事をきかない。すかすかに反応がない。衝突で尾翼を失ったか、翼がひしゃげたか。キャノピーはいまにも木っ端微塵に砕けそうで外の様子はまったく見えない。

 

 何秒経った? いや、1秒も経ったのか?

 

 ひび割れたキャノピーが音もなく弾け飛んだ。細かいヒビで真っ白くなった強化ガラスが小さな破片となってキラキラと砕けて散る。その隙間から陽の光を感じる。ひとかけら、ひとかけら、砕けて飛び散るガラスの破片が太陽の光を反射させてくるくると踊る。パズルのピースを組み合わせるみたいに、恐ろしくゆっくりと青い空が目の前に姿を現し、視界いっぱいに広がる。青で埋め尽くされる。

 

 ああ、空はこんなに青かったのか。

 

 空に吸い込まれる。

 衝撃から1秒後、レイジは初めて、プラウタのアービュウェイがトゥーイの上面をえぐるようにぶつかっていった事を知った。アービュウェイの真下を擦るようにくぐっていった事を知った。キャノピーが弾け、尾翼がねじれ、もはや飛ぶ事もできない。

 そして、空に吸い出され、プラウタと視線がぶつかった。

 何かを叫ぼうと口を開けたプラウタの目を見つけた。

 

 プラウタはエンジンに被弾した事を知った。それと同時に、トゥーイに乗り上げるようにぶつかり、トゥーイが機体下部をえぐりとるようにかすめて行ったのを見つけた。キャノピーがひび割れ、弾け飛ぶ。レイジがいる。両手を広げ、立ち上がったかのように見えたが、そのまま空中に放り出されていくのがわかった。

 アービュウェイのコントロールが効かない。

 レイジが宙を舞う。

 レイジと視線がぶつかった。

「……ッ!」

 自分は何を叫ぼうとしたのか。プラウタには解らなかった。ただ、声が漏れた。

 レイジの目が不思議な程はっきりと見えた。時間が止まってしまったのか、何分間も見つめ合っているように思える。それが、どれだけ短い時間だったのか。解らない。時間が再び動きだした瞬間、アービュウェイのエンジンのエアインテークに吸い込まれて行くレイジの身体が一瞬だけ見えた。

 大きな衝撃が一回。

 咳き込むようなエンジンの音。

 赤い霧。

 プラウタは目を閉じた。

 

 これから、どうしよう。もう、アービュウェイも飛べないな。

 

 自然と身体が動いた。キャノピーを開ける。

 一気に流れ込んでくる空気の塊。まるで津波だ。

 両手を鳥の翼のように広げる。ふわり、浮力を感じる。

 アービュウェイからの離脱。アービュウェイは少しずつプラウタから離れ、小さくなっていく。エンジンから黒煙を吐きながらどんどん遠ざかり、そして、音も立てずに爆発した。炎を吹き上げて細かい破片に砕け散り、大空の一部となった。少しだけ遅れて、アービュウェイの最後の音が聞こえて来た。爆発音だ。

 主を失ったトゥーイは雲に突っ込んで姿を消した。どこへ、飛んで行くのだろうか。

 

 大空にプラウタはたった一人残された。高度12、000メートルのはるか彼方にたった一人。ただ、両手を広げ、飛行機の力を借りず、飛んでいた。

 

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