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最終話 4 空

 

「プラウタ。これからおまえがこの飛行機を動かしてみろ」

 

 父のその言葉を彼は待っていた。初めて父の操縦する飛行機に乗せてもらってから、どれくらい一緒に空を飛んだか。ずっと、自分の力で空を飛びたかった。

 

「いいか、プラウタ。空を飛んでいると思うな。飛ばせてもらっていると思え。空が本気になれば、こんな飛行機なんて一瞬で鉄屑だぞ」

 

 飛行機の整備士をしていた彼の父は、空にばかりいた。どんな風の時も、どんな霧の時も、彼を乗せて空にいた。

 

「プラウタ。いい飛行機乗りってのは、うまく空を飛べる奴の事を言うんじゃない。きれいに飛行機雲を描ける奴の事を言うんじゃない。飛んだら、ちゃんと帰って来る奴の事だ」

 

 彼の父は帰ってこなかった。いい飛行機乗りではなかった。彼は思った。

 

 世界で一番いい飛行機乗りになってやる。

 

 青空が斜めに切り取られる。視界の端がほつれて黒く消えてゆくような、意識がスピードに追い付かず目の前にある色彩を曖昧に溶かして見せている。雲が素早い生き物のように突っ走る。不安定に振動を続ける機体に風が触れて流されるのが操縦桿を通して伝わってくる。

 空を飛んでいると思うな。飛ばせてもらっていると思え。

 力の強い飛行機に乗るといつも錯覚してしまう。自分が空を動かし、支配していると。しかし、そんな時はいつもうまく飛べない。ぎこちなく風と接触して空から滑り落ちるように高度を保てない。蒸気飛行機に乗り換えてから、飛ばせてもらうと言う感覚が肌に染み込むように理解できた。

 空は生きている。まったく同じ瞬間を見せない。ほんの少しの気圧の差が風を産む。風は空を流れ、空気を移動させる。その力をほんの少し借りるのが、飛行機だ。たとえそれが、世界で最も優れたジェットエンジンでも同じだ。ヒトがどんなに頑張っても、所詮は二本の脚で地面を蹴る生き物だ。空にはかないっこない。

 プラウタはあらためてそう思った。

 アービュウェイを飛ばし、レイジの乗るトゥーイに追われる。実験機を飛ばし、完成機に機銃で撃たれる。これ程につまらない空は初めてだ。ジェットエンジンは、言うなれば力づくで空を押し込めるような飛び方だ。馬の手綱を強引に引き、血が滲む程蹴りまくるような飛び方だ。こんな飛び方じゃ、野生の馬に追い付ける訳がない。ジェットエンジンは確かに力強いが、風を掴みきれず、空に乗りきれない。

 レイジのトゥーイは、さすがと言うか、ぴったりとプラウタのアービュウェイの真後ろにつけている。からかうように機銃を単発で撃ってくる。この速度と距離では、到底当たりっこない。プラウタがほんの少し軸をずらすだけで、機体は大きく空を移動する。そしてレイジがそれを追う。

 他に誰もいない、青い空の真ん中で。

 ちょうど頭上の右端に主島が見えた。そのまま重力に引きずりこまれ、空と海とが溶け合うように回転する。自分の魂が身体の中心から少しずれるような居心地の悪さを感じる。翼が海面と水平になる瞬間に操縦桿に力を込めてエンジンを吠えさせる。きりもみ落下を解除し、また太陽へ向けて急上昇させる。トゥーイが同じように機首を空の頂点へと向ける。

「……プラウタ」

 ヘッドフォンからレイジの声。プラウタはコクピットで身体をねじって背後を直接見てみた。小さく光る点が、真後ろに見える。トゥーイだ。

「どんな気分だ。背中から撃たれるのは?」

 プラウタは応えない。アービュウェイは少し速度を落とした。背後の光の点が、翼を広げた鳥のように見える。

「……何故俺の邪魔をする。そうすれば、このまま撃ち落とされる事もなかったのに」

 ぐんと近付くトゥーイ。アービュウェイに装甲板をくわえた分だけ、筋肉の盛り上がった猛禽の姿がそこにある。

「おまえは確かにいい腕してるよ。だがな、空を飛ぶには素直すぎる。おまえは何の為に空を飛んでいるんだ?」

 アービュウェイは動かない。

「何を黙っているんだ、プラウタ。もうお別れの時間だ。何か言えよ」

 トゥーイはアービュウェイの真後ろにいた。もう目を凝らせばコクピットのプラウタの姿が見えそうだ。この距離ならば機銃は外さない。この速度で飛行中に弾丸が当たれば、装甲のない実験機は木っ端微塵だ。音も無く砕け散り、息を吸う間もなくあっと言う間に背後に消え去る。

 プラウタは帰ってこなかった父を思い出した。ただ、空を飛ぶ事が楽しくてたまらなかったあの頃を思い出していた。

「……んねえよ、レイジ」

 プラウタがやっと口を開く。しかしノイズがまじり、レイジには聞き取れなかった。レイジは聞き直す。短い間だったが、少なくとも同じ機体に乗った男の最期の言葉だ。

「つまんねえんだよ!」

 アービュウェイが揺れた、ように見えた。そのままスライドしたかと思うと、機体が縦に伸びたかと錯覚するような勢いで高度を下げる。レイジの視界からアービュウェイが一瞬で消えてしまった。機首を下げて、自らの機体が邪魔して見失った獲物を探す。その瞬間、アービュウェイが後ろ向きに飛んでいるかのようなスピードで迫って来た。

 レイジは息を飲み込み、身体が堅くなった。

 激突する!

 しかしアービュウェイは空気の流れに乗り、トゥーイをぎりぎりなめるようにその身体を捻り、きっちり二回転して、ぴたり、水平を保ってトゥーイの真後ろについた。

「何の為に飛んでいるだと? 理由がなきゃ空も飛べないのか、レイジ!」

「プ、プラウタ!」

 一瞬で、背後を取られた。自分は何も出来なかった。何を考える事も出来なかった。実験機に乗った民間人ごときにあっさりと背後を取られた。

「何が国の為だ! 自分の為に飛べないような奴に、僕を墜とせるとでも言うつもりか?」

「……なんだと?」

「おまえこそ僕の邪魔をするな、レイジ!」

「邪魔?」

「僕はただ空を飛びたいだけだ!」

「ただ、飛びたいだけの奴が俺の邪魔をするのか! だったらどこへでも飛んで行けよ! 俺はこいつを国に持ち帰らなければならないんだ! そうすれば……」

 レイジが一瞬言葉を詰まらせた。プラウタは暴れ狂うトゥーイの尾翼をぴったりと追い続けながらレイジの声を待った。

「……誰も、俺に指図しなくなる。俺は、やっと解放されるんだよ。国の呪縛から」

「……気持ち悪いな」

「何?」

「何が指図、解放、呪縛だ! そんなに自分が可哀相か? 気持ち悪いんだよ! 飛びたいから飛ぶ。でも、トゥーイが戦争に使われたら、空を思うように飛べなくなる。だから、そいつをおまえに渡したくはないんだよ! さっさと降りろ! 空はおまえに優しくはしない!」

「黙れ、黙れ! 俺の……!」

 レイジは思った。何故こうも言葉が出てこないのか。プラウタの言う通りだと認めているのか? 

 母国のガストガルにトゥーイを持ち帰れば、極秘のこの任務を無事終了させれば、まっとうな市民権を手に入れられる。他民族の血が混じった自分でも、もう、誰にも邪魔される事なく、最強の翼に乗り、すべての人間の頭上を飛び続ける事ができる。

「お、おまえが俺より優れているだなんて認めない! 認めないぞ!」

 

 フウは空を仰いだ。あらためて思うと、なんと空の広い事か。あんなに遠くにあるのに、その全体を見渡す事すらできない。

 いま、プラウタはどこを飛んでいるのか。元気にいつものように笑みを浮かべながら風に乗っているのか。

「フウせんせー。この虫なあにー?」

 無邪気で楽しそうな弾む子供の声がフウを空から地面へと引き戻した。花壇に群がる子供達。今日は大学付属の幼稚園の授業に呼ばれた。子供達の昆虫採集の手伝いだ。

「だめよ、そんな持ち方しちゃ虫さんが苦しんじゃうよ」

 ひょいとかがんで、子供の手から小さな甲虫を渡してもらった。鈍く虹色に光る甲虫はフウの指先を登り、指の天辺で行き先を失って立ち往生した。子供達がしゃがんだフウの回りに集まる。

「この虫はね、……あら?」

 もう一人、研究室の学生が来てくれている。フウ一人では、さながら虫のように歩き回る子供達を統率できそうになかったから、お昼ごはんで手を打った学生だ。

「フウさん、あれ、何かしら?」

 彼女が髪をたくし上げて空を見上げた。子供達も、フウも、彼女の視線を追う。空に二つの光る点があった。すぐ近くを小さな虫が飛んでいるようにも見えるが、それがはるか遠くの空にいる事が、徐々に大きくなる光からわかってきた。飛行機だ。それも、二機。すごいスピードでこちらに向かって来ている。

「飛行機ね。全然音がしないから、わからなかったわ」

 翼が見て取れる程接近してきても、音がしない。フウは、指先から甲虫が飛び立つ小さな羽音を耳にして、ふと、プラウタの話を思い出した。

 

 ジェットエンジンなら、音速を越える事ができる。音よりも速く飛べるんだよ。そんな飛行機を外で見るとどんなふうに見えると思う?

 

 音よりも速い飛行機。音すらも置き去りにして飛ぶ飛行機。飛行機が飛び去って、初めて、音がものすごい勢いで追いかけて行く。

「……ま、まさか」

 フウは唾を飲み込んだ。もう、飛行機は頭上すぐを飛んでいる。まだ、音もしない。あまりに速過ぎるのだ。

「みんな! 耳を塞いで伏せてえ!」

 きょとんとする学生と子供達。アービュウェイとトゥーイが頭上を通り過ぎた。まるで音がなく、夢で見る光景のようだった。

「はやく伏せるのよっ!」

 とにかく子供達を押し倒すように伏せさせた。耳を塞がせた。

 幼稚園のグラウンドに音も無く砂埃が舞った。その瞬間、校舎のガラスが吹き飛んで行くのが見えた。遠くのガラスからキラキラと砕け散り、それが砂埃に飲み込まれていく。砂埃が津波のように迫ってくる。砂粒一粒一粒が見てとれそうだ。そして、轟音が牙をむいて襲いかかって来た。荒い紙を束ねて頬を打たれたような衝撃を感じた。子供達が何人か風に押されて伏せたまま転がった。冷たくも熱くもない水をバケツで勢い良くぶちまけられたような、肌をざらざらとこすりつける空気の流れを感じた。息もできない。空気が硬い壁になって倒れてきたみたいに身体が押さえ付けられる。いままでに聞いた事もない轟音が耳に押し入って来て頭の中でがんがんと反響する。

 もうあのジェットエンジン飛行機は遠くに光る二つの点となっている。それなのに、グラウンドの砂埃はまだもうもうと踊っていて、耳にわんわんと風の叫び声が残っている。子供達が泣き出す姿が見えているが、まだ声が聞こえない。きーんと鳴る耳鳴りが、目と目の間に深く突き刺さっていくみたいに痛い。

「プラウタくん?」

 声を出してみるが、自分の声じゃないように思える程震えていた。かすれて、裏返り、自分自身聞き取れない。

 初めて見るが、あれは間違いなくジェットエンジンだ。プラウタが乗っている実験機なはずだ。でも、こんな低空を飛ぶだなんて、きっと普通の事じゃない。

 フウはまだ耳鳴りが続いていたが、一緒にいた学生の手を借りて子供達をまとめて、とりあえず幼稚園の中に避難させ、ある人達に連絡しなければ、と考えた。

 ある人達。プラウタに教えてもらった、空に関して、何か困った事があったら力になってくれるちょっと変な老人達。

 

 きっと、プラウタくんに何かが起きている。ジェットエンジン機の実験で、何かよくない事が起きたに違いない。

 

 フウは耳の痛みをほぐすように両耳を塞いだまま走り出した。



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