最終話 3 猛禽の離陸
プラウタは占い師ではない。
占いそのものに興味もないし、占いで金を払わせる占い師はむしろ嫌いだ。
だから未来を読みほどく能力など持たないし、考えた事もなかった。
でも、長く空にいる経験上、雲の流れから空を読み取り明日の天気くらいはかなり高い確率で予測できる。それと同じだ。
こうなると、わかっていた。そんな気がする。だから、僕はここにいるんだ。
昼前の飛行訓練が終わり、テストパイロット達はゆっくりと昼食を摂って、午後からのアービュウェイ・トゥーイの初飛行に立ち会う事になっていた。
ついに完成したトゥーイ。世界初のジェットエンジン搭載機。軍用機として攻撃の牙となる機銃も装備し、この世界最速の機が空を飛ぶ事はすなわち空を支配する事を意味し、そして空を支配する事は、世界中を意のままに飛ぶ事ができる事を意味する。たとえ誰の頭上であろうと、牙を持ったこの機械の鳥は自由に飛ぶ事ができる。地を歩く者は、もはや平伏すしかない。
それがいま、飛び立とうとしていた。望まれない形で。
「レイジ! 降りるんだ! 撃つぞ!」
これから何が起こるのか。プラウタはなんとなく理解できていた。やたらと広い格納庫を見渡し、自分が何をすべきか考える。プラウタの隣で、白い髭が彼の年齢をより高く印象づけていたダンクロが銃を抜き放って叫んでいた。
ダンクロの視線の先には、アービュウェイ・トゥーイにいままさに乗り込もうとしているレイジがいる。パイロットスーツを着込み、乗り込みのタラップに脚をかけた状態で身体の動きを止め、パイロット仲間の方へゆっくりと振り返る。
感情のない、まるで澱み腐った沼のような瞳を彼等へ向ける。
「どうぞ、お好きに」
そして背中を見せる。無防備ではあるが、そこには堅実な意志が込められていた。
「俺はこいつを国に持ち帰らないといけないんだ。そのためにテストパイロットになったのだから」
キャノピーが開かれる。ダンクロは撃たない。事を見つめていたゴウンが一歩進み出て、普段と変わらないよく通る声でレイジに問いかける。
「国? 確か君の父親はガストガル人だったな。君ほどの腕の持ち主がガストガルのスパイに成り下がるつもりか?」
大陸の大国の名前を聞き、ダンクロは思わず銃を降ろした。世界で最も大きな国の手に、世界で最も強い飛行機が渡れば、世界に何がもたらされるか。黙ったままタラップを一段踏み込んだレイジを見てもう一度その姿に狙いを絞る。レイジの手がキャノピーの中に伸びる。
プラウタはロエルトの姿を探していた。今、自分が何をすべきなのか。肌に突き刺さる夏の日射しのように熱く感じている。ロエルトの姿は格納庫の隅に見つけた。彼もまた事態を見守っている。しかしすぐにプラウタの視線に気付き、プラウタがゆっくりとうなずくのを見た。
「父の事など知らない」
レイジが言う。
「俺はもう誰にも束縛を受けたくないんだ。これに乗って国に帰れば……」
レイジは動かない。ダンクロはレイジの言葉を待った。その言葉を聴き終えた瞬間に引き金を引くよう、人さし指に力を込めて。
しかし、レイジの声は突然鳴り響いた轟音に吹き飛ばされて誰の耳にも届かなかった。レイジはコクピットに差しいれた腕でアービュウェイ・トゥーイのエンジンを点火させた。
誰にも聞かれる事のないレイジの言葉が掻き消える。
「もう誰にも、俺に指図させない」
爆音が二度立て続けに響き渡る。空気をびりびりと震わせて、誰もが思わず身体を畏縮させ耳を塞いでしまった。その隙にレイジはトゥーイに乗り込み、キャノピーを閉じる。誰よりも早く頭を上げたダンクロだが、彼が見たのはキャノピーが閉じるその瞬間だった。
軍人として迷わず引き金を引く。二度、三度。無駄だと知りながら、四度。この程度の口径の銃では、アービュウェイに装甲板を纏ったトゥーイに傷一つつけられない事は知っている。しかし、撃たずにはいられない。五度。
「格納庫のシャッターを降ろせ! トゥーイを外に出すな!」
ゴウンが叫ぶ。この機が鎖を解き放たれ自由になる時、もはやすべての飛行機は時間を止められたようにトゥーイより遅く飛ぶしかない。装甲に加えて機銃を装備したトゥーイにとって、遅い飛行機は単なる止まったマトでしかない。空に飛び立てば、その瞬間に空の王となるのだ。
ゴウンの指示に的確に反応する格納庫の作業員達。がらがらと金属音を激しく打ち鳴らしてシャッターが閉じられる。一枚、二枚とシャッターが床面を叩く度に格納庫内は一段ずつ暗くなっていく。そして、トゥーイのエンジンノズルの炎の強力な明るさを際立たせていった。
エンジンが臨界に達し、一際大きな音が空気を打ち響かせる。音の波が身体を鋭く弾くのが感じられ、格納庫内にいた人間はみな一様に姿勢を低くした。もはやどうする事もできないのか。ゴウンは冷静に状況を見つめた。
と、もう一つ音の波動を感じる。背後。格納庫の奥だ。ゆっくりと振り返る。
エンジンを始動させたアービュウェイが、天窓からこぼれ落ちる光のもとへとするすると進み出て来ていた。ゴウンは暴れ回る空気の渦の中に立ち尽くした。
確かに同じジェットエンジンを積んだ機体ならばトゥーイに唯一対抗できる手段だ。しかし、そこは実験機と完成機。基本性能は同じでも、その実はまったく別次元の物だ。
「いったい、誰が?」
そして、ゴウンはいつのまにかこの場からいなくなった人物の顔を思い付いた。
「プラウタ?」
天窓の明かりがアービュウェイのコクピットを照らす。そこにはヘッドホンを装着したプラウタがいた。ぱくぱくと口が動く。一瞬遅れてジェットエンジンの爆音が吹き荒れている格納庫内に彼の声が響き渡った。
「みんな伏せろ!」
アービュウェイのエンジンが猛烈な炎を吐いた。
レイジはヘッドホン越しにプラウタの声を聞いた。「みんな伏せろ!」と叫ぶ彼の声に、初めてプラウタがアービュウェイに乗り込んでいるのに気が付いた。すぐ背後まで彼が来ている事を知った。
「やっぱり」
操縦桿を強く握りしめる。皮のグローブがきしむような音を立てた。
「邪魔な奴だな、最後まで」
トゥーイは吠えた。爆発的な推進力を得るためにエンジンは激しい爆炎を吹き上げ、滑走のための着陸脚のタイヤのゴムを溶かす程に疾走する。
銃の引き金を引くように、操縦桿の側にへばりついたボタンを深く押し込んだ。エンジン音に掻き消されて発射音は聞こえなかったが、トゥーイの鼻先の一対の穴から光の粒が溢れ出した。
エンジンの振動とは別の種類の振動が腕に伝わってくる。機銃から発射された弾丸は銃身との摩擦でオレンジ色の熱の光を発し、ものすごく素早いホタルが踊り狂うように乱れた光の軌跡を見せつけ、格納庫のシャッターを火花をまき散らしながら紙を破くようにいとも簡単に取り除いて行った。
燃えるように光り輝いて飛び散る金属の破片。鼓膜に襲いかかる暴力的なまでの音の洪水。まるで優しさを持たない二つの力がシンクロし、空間は二機のアービュウェイに無惨にも引き裂かれた。トゥーイは機銃を狂ったように発射しながら轟音と共にその速度を増し、火花が散る度に光が差し込む丸い穴があく格納庫の壁に突き進んだ。切れ味の鋭いナイフが柔らかな肉を切り裂くみたいに、格納庫の壁は何の抵抗もなくトゥーイに突き破られた。エンジンの爆音のために砕かれる音もなく、あまりの轟音にまるで無声映画を見せられるように現実味が消え失せてしまう。
プラウタもレイジを追うべく操縦桿を握りしめたが、すぐさまエンジンを逆噴射させ、アービュウェイを失速させた。壁が決壊し、天井の崩落が始まった。トゥーイが空に飛び出したため、暴れ回る轟音はいくぶんか静まっている。がらがらと天井が崩れる音が聞こえた。プラウタは天井の破片を避ける為にアービュウェイを停止させ、格納庫内を見回す。
逃げ出す人間達が格納庫の左右のシャッターを解放して飛び出して行く。
右か、左か。
レイジならどうする? もし僕がレイジの立場なら……。
いま、トゥーイにとって唯一の脅威はこの兄弟と呼べるアービュウェイのみ。ここでアービュウェイを黙らせておけば、もう、トゥーイを邪魔するものはこの世に存在しなくなる。風さえ、支配できる。
僕なら、格納庫から出て、まだ空を飛んでいないうちに叩く。
しかし、このまま格納庫内にいれば倒壊する瓦礫に押しつぶされるだけだ。どうしても飛び立たなくてはならない。世界最強の飛行機トゥーイが大国の手に渡れば戦争が始まるのは目に見えている。
僕は、いま、ここで戦争を止めなければならないんだ。
だから、僕はここへ来たんだ。
右か。左か。どちらに、レイジが牙を剥いて待っている?
ふと、祭りの日、ある占い師が告げた言葉が思い出された。フウと二人で入った、祭りの屋台街の占い師のテント。あの忌々しい占い師はなんと言った?
「左だ!」
プラウタはアービュウェイを走らせた。右か左か迷ったら、あの占い師の言葉の反対、左を選ぶと決めた。だから、左へ走らせた。
世界が一気に開ける。格納庫内は音が反射していたために、アービュウェイ自身のエンジン音が反響して轟音となって帰って来ていた。大空にとってアービュウェイなどちっぽけな存在。エンジン音は透き通る空に吸い込まれ、急に静かになったような気がした。しかし、そのちっぽけな存在が大空を逆に支配する。プラウタはアービュウェイを再び吠えさせた。
そしていままさに、格納庫の右側を低空飛行で通り過ぎたレイジのトゥーイを見つけた。もし右のシャッターを選択していたら、頭上からの機銃掃射を食らっていただろう。
占い嫌いのプラウタは、生まれて初めて占い師に感謝の言葉を告げた。
「ありがとう、インチキ占い師!」
空を翔る金属の猛禽が二体、大地の鎖から放たれた。もはや、この大空を舞台とする演舞を邪魔するものは何も無い。空吹く風すら観客にすぎない。




