第二十話 下層への道
いつも読んでいただき、ありがとうございます。
第20話から、調査隊が迷宮の下層へ向かいます。
今回は戦闘ではなく、荷運びの目と縄で進む回です。
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翌朝の荷役場には、見慣れない顔が並んでいた。
ギルドの探索者が三人。管理所の技術者が一人。夜のあいだも、波は一度も狂わなかったらしい。搬出口の脇の見張りが、あくびを噛み殺しながら教えてくれた。
「揃ったな」
オルトが、帳面を片手に前へ出た。
「まず、旧排水室だ。仮の堰を組んだおかげで、水位の上がり方は、昨日の半分ほどになった。ただし、止まってはいない。逆流が続く限り、いつかあふれる」
彼は階段のほうを見た。
「導水路の奥は、行き止まりに水が溜まって、膝より深い。あそこへ入る者はいない。排水孔へ下りる道は、通れない」
誰も、異を唱えなかった。
「下へは、荷役用の昇降台を使う。図面にある、安全を確かめられた道だ。地下班は六名。指揮はギルドのバルト。斥候と盾役はギルドから一人ずつ。技術者は管理所から一人。それに、荷運びのドランとカイだ。俺は地上に残り、昇降台と見張りを預かる。地上班は見張り四人。仮の堰の水位は、交代で測って、そのつど俺に集める」
背の高い男が、短くうなずいた。
荷は、俺とドランさんで整えた。縄を二巻き、砂袋、補強用の短い木材、印をつけた細縄、ランプの油。荷札に番号をふり、昇降台の中央へまとめて、固定金具に縄で結ぶ。
「荷札は、多めにつけとけ」
ドランさんが言った。
「下で道に迷ったら、荷が道しるべになる」
「はい」
昇降台は、一度に四人までと決まっている。先にバルトたち四人が降りて、下の扉と設備を確かめる。異常があれば、鎖を二度引いて戻る。俺とドランさんは、荷と一緒に二便目だ。
結び目を、オルトが指でつついた。
「結ぶ位置は、誰が決めた」
「俺です。荷が偏ると昇降台が傾くので、中央に寄せました」
「そうか」
それだけ言って、彼は荷札を一枚、俺に差し出した。
「下で気づいたことは、全部ここに書け。大きいことも、小さいことも」
疑われている。同時に、頼られてもいる。受け取った荷札が、少し重かった。
一人で下へは行かない。セナと交わした約束を、胸の中でなぞる。隣にはドランさんがいる。六人の班だ。これは、一人じゃない。
一便目の鎖が鳴り、四人が下へ消えた。
しばらくして、昇降台が空のまま戻ってきた。台の柱に、荷札が一枚結ばれている。
「着、異常なし」
バルトの字だった。オルトは荷札を確かめてうなずき、俺たちに乗るよう顎で示した。
俺たちは荷と一緒に乗った。壁に刻まれた荷運びの印が、一つ、また一つ、上へ流れていく。
下層の降り口は、石床の広間だった。バルトたちが、ランプを掲げて待っている。広間の奥、昇降路の壁に沿って、人が一人通れる点検路が伸びていた。図面にある道だ。奥から、水の音がする。
「ここから先は、足元に気をつけろ。隊列は、俺、斥候、盾役、技術者、ドラン、カイの順だ」
バルトが言った。俺は最後尾だ。
歩きながら、荷の縄の端を、水に垂らして引いた。荷運びの癖だ。水の深さも向きも、縄が教えてくれる。
点検路の水は、くるぶしの高さだった。ときどき足元の水がふっと引いて、また寄せてくる。昨日と同じ、波だ。
しばらく進んだところで、縄が、小さく震えた。
気のせいかと思った。その直後に、波が来た。
偶然かもしれない。次の谷のあいだ、縄に意識を集めて、数えてみた。
谷が来る。縄が震える。一つ、二つ、三つ、四つ、五つ。水が来た。
二度目も、同じだった。念のため、もう一度、確かめる。
三度目の谷でも、縄は震え、五つ数えると、波が来た。
偶然ではない。
前方で、点検路が下りになっていた。長さは十五歩ほど。水がたまり、膝の高さまで沈んでいる。波が来れば、腰まで上がるだろう。
「谷の間に渡る。今なら越えられる」
バルトが一歩、踏み出しかけた。
「待ってください」
声が出ていた。全員が振り返る。
「縄が震えました。五つ数える間に、波が来ます」
「根拠は」
「三度、確かめました。波の前に、縄が一度震えて、五つで来ます」
「新入りの勘か」
盾役が言った。責める声ではなかった。確かめたいだけの声だ。
「荷運びは、荷が動く前の揺れを見ます。縄も、荷と同じです。水の中でも、先に揺れます」
バルトは、俺の顔を見た。それから、盾役に顔を向けた。
「壁際の窪みに入れ。全員だ」
壁に打たれた鉄輪を握って、窪みに身を寄せる。ドランさんが、俺の隣で縄を握った。
五つ数えた。
水が来た。下りの底が、白く泡立つ。波は腰の高さまで上がり、下りを駆け抜けていった。立っていたら、足をさらわれていた。
誰も、何も言わなかった。隣で、ドランさんが低く言った。
「いい勘だ」
「……渡れる谷を、測り直す」
バルトが言った。
「カイ。震えが来たら、声をかけろ」
「はい」
波が引いたあと、俺は壁の鉄輪に縄を通して、渡り終えるまでの手すりを張った。谷の間は、二百を少し超える数。下りは十五歩だから、一人渡るのに十も数えれば足りる。六人でも、谷の半分に届かない。一人ずつ、縄をつかんで渡った。震えが来れば、俺がすぐ声をかける。それまでに、全員が渡りきれる。
渡り終えると、俺はすぐ荷札に書きつけた。震えから波までは、五つ。谷の長さは、二百を少し超える。下りの水は、波が来ると腰まで。
顔を上げると、先に着いていた技術者が、壁に手を当てて顔をしかめていた。
「どうしました」
「……動いている」
「壁が、ですか」
「ほんの少しだ。波の前に、一度だけ。石の奥から、脈を打つみたいに」
技術者は、自分の掌を見つめた。
「縄が震えたのも、これが水に伝わったからだろう。水の動きじゃない。石のほうが、先に動いている」
「記録に、似た言い回しはなかったか」
バルトが言った。
「三十年前の記録に、石が鳴く、という一文があった。意味は分からなかったが……」
石が鳴く。
背筋が冷えた。
点検路は、そこから少しだけ下って、行き止まりになっていた。
いや、行き止まりではない。突き当たりの壁に、鉄の扉があった。人の背より高い、分厚い扉だ。表面に、波を象った古い印が刻まれている。
「図面の水門室だ」
技術者が言った。
扉は、閉じているはずだった。
ランプを近づけると、様子が分かった。扉が、枠からずれている。蝶番の側が下がり、反対側が浮いて、斜めに傾いているのだ。そのせいで、扉の端と枠のあいだに、人の肩幅ほどの隙間が空いていた。
錠前を、バルトが照らした。
「錠は、掛かったままだ。閂も、枠の金具に刺さっている」
つまり、誰かが鍵を開けたのではない。扉のほうが、枠からずれたのだ。
「蝶番が錆びて、外れたのだろう」
技術者はそう言ったが、声は硬かった。錆びだけで、これほどの鉄の扉がずれるのか。誰にも、答えは出せなかった。
隙間から、冷たい風が吹いていた。奥から、低い音が響いている。波の前の、あの脈動だ。足元の石が、また一度だけ、小さく震えた。
胸の奥の重さが、ほんの少し、動いた。
扉のほうへ。そう感じたのは、気のせいだろうか。
この水を押しているのが何なのか、まだ分からない。この重さと関係があるのかも、まだ分からない。
ただ、奥へ進まなければ、確かめられない。
俺は荷札に、書いた。
石が、波の前に、一度だけ脈を打つ。
第20話を読んでいただき、ありがとうございました。
カイの荷運びとしての観察が、調査隊を一歩前に進めました。
ずれた水門室の扉の奥には、何があるのか。
次回は、その扉の奥へ進みます。
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