第十九話 管理所の疑い
第19話をお届けします!
無事にトマスを救出したカイたち。
しかし、不可解な落とし戸の仕掛けに、オルトが疑問を抱き始めます。
今回もよろしくお願いします!
次の波は、階段のほうから来た。
「上がれ! 全員、階段へ!」
オルトの声で、俺たちは最下段より上へ退いた。白い水が窪みの前を走り抜け、柵の下で渦を巻く。開いたままの床板が、黒い穴に水を吸い込んでいった。
波が引くと、オルトはすぐ動いた。管理所の二人に、石を結んだ縄を穴へ垂らさせ、水面までの深さを測らせる。
「波ごとに、このくらい上がっている」
縄の濡れた印を、指で示す。
「この調子なら、いつかあふれる。時間はある。だが、多くはない」
オルトは作業員たちに命じた。窪みの口に板を渡し、砂袋を重ねて組ませる。穴を塞ぐのではない。流れ込む水の量を絞って、あふれるまでの時間を延ばすための、仮の堰だ。
「水位の見張りは、交代で続けろ。縄の印を測って、そのつど俺に報告しろ」
それから彼は、俺とドランさんを見た。
「少し付き合ってもらう。確かめたいことがある」
声は静かだった。怒っているようには聞こえない。それが、かえって落ち着かなかった。
オルトは柵をまたぎ、開いた床板の裏を覗き込んだ。ランプを近づける。
「蝶番は古い。下に開く造りも、図面どおりだ。だが」
床板の中央を指した。
「ここに、色の違う石が一つ埋まっている。図面にはない。点検記録にも、ない」
色の違う石。俺がさっき、ドランさんに言った言葉だ。
オルトは窪みを出ると、俺が止めた通路の床板まで歩いた。ドランさんから砂袋を受け取り、離れた位置から、床板の真ん中へ投げ落とす。
何も起きなかった。
「ただの石の床だ。踏み板の継ぎ目は、残っているのに」
彼は継ぎ目をなぞった。
「ここに仕掛けがあったなら、誰かが止めたことになる。そしてもう一つ、なかったはずの仕掛けが動いた。同じ日に、同じ通路で」
ようやく、オルトは俺に向き直った。
「カイ。責めているわけじゃない。何が起きたかを知らなければ、次の波に備えられないだけだ。三つ聞く」
「はい」
「一つ。なぜ、通路の床板が罠だと分かった」
息を整える。嘘はつかない。でも、全部を話す必要もない。
「見たことと、思ったことと、説明できないことを、分けて話します」
オルトの眉が動いた。
「それでいい」
「見たのは、谷の間に泥が流れて、床板の継ぎ目が浮いたことです。継ぎ目の中に、赤い光が小さく見えました。迷宮の罠で、同じ光を見たことがあります。だから、踏み板だと思いました」
「赤い光、か。点検記録に、そんな記述はない」
「泥が洗われて、一時的に見えたのかもしれません。俺は壁際に膝をついて、真横から見ていました」
これも本当だ。オルトは黙ってうなずいた。
「二つ。お前はその床板に触った。何をした」
ドランさんが、少し体を動かした。
「錠に触りました。熱を持った小石のようなものがあって、触れたら、張りつめていたものが抜けました。なぜそうなったのかは、俺にも分かりません」
「分からない、か」
「はい。説明できないことの一つです」
オルトは、すぐには何も言わなかった。ランプの炎が小さく揺れた。
「三つ。なぜ、この窪みの床板に砂袋を落とせと言った。なぜ、開くと判断できた」
ここが、いちばん苦しい。
「開くと思って、落としてもらいました。そこは、はっきり言います」
「根拠は」
「話せるのは、やった理由です。窪みの下が乾いた空洞だと、オルトさんが確かめてくれていました。開いても、人は落ちない。水が流れ込めば、トマスさんに届く波が弱くなる。だから、やる価値があると考えました」
「開くと、確信していたように聞こえる」
「……はい。なぜそう思えたのかは、説明できません」
オルトの目が、わずかに細くなった。怒りではない。何かを測る目だった。
「筋は通っている。通っているが、全部ではないな」
「はい。全部は、話せません」
自分でも、正直すぎると思った。けれど、嘘を一つつけば、次の嘘が要る。それよりは、言えないと言うほうがいい。
横から、ドランさんが口を開いた。
「オルト。調べるなら、調べればいい。俺も邪魔はしねえ」
低い声だった。
「ただ、一つだけ言う。こいつが動かなかったら、トマスは助からなかった。俺は縄を引いただけだ。あの波の中で、何をするかを決めたのは、カイだ」
オルトはドランさんを見て、それから、ゆっくりうなずいた。
「分かっている。それは、疑っていない」
管理所の記録室に移ったのは、夕方になってからだった。
トマスさんは治療所に運ばれ、命に別状はないと聞いた。ほっとする間もなく、俺とドランさんは、積み上げられた帳面の前に座らされた。
窪みの口の仮の堰は、夕方までに組み上がったという。流れ込む水は減り、水位の上がり方も鈍った。ただ、止まったわけではない。見張りは交代で縄の印を測り、そのたびにオルトへ報告が届く。荷役場の搬出口も開けたままで、荒れた水は外の斜路へ逃がし続けていた。
オルトは三冊の記録を並べた。水位標の読み取り、昇降台の運行帳、導水路の点検札だ。
「トマスが読んでいた水位標の数字を、過去の記録と並べてみた」
指が、帳面の上を滑る。
「雨や詰まりなら、水は不規則に来る。だが今回の波は、二百を少し超える数ごとに来る。今朝から一度も狂っていない」
「ふいごみたいに、ですか」
「ああ。誰かが押しているように」
背筋が冷えた。
「もう一つ。導水路の底に、古い排水孔が開いている。図面では、塞がれているはずの孔だ。昇降路よりさらに下へ続いている。そこから、水が押し上げられている形跡がある」
「さらに、下……」
「三十年前の記録に、似た記述がある。水が周期的に逆流し、下層の水門に異常が出た、とだけある。周期が今回と同じだったかは、書かれていない。原因も、どこにもない」
水門。聞き慣れない言葉だった。
「今回と同じものかは、まだ分からない。だが、手がかりはこれしかない。記録にある水門の位置と、あの排水孔の向きを頼りに、調査を進める。地上からできることには限りがある。確かめるには、下へ降りるしかない」
オルトは帳面を閉じ、俺を見た。
「お前の説明には、納得しきれていない。それは、はっきり言っておく」
「はい」
「だが、トマスを救ったのも事実だ。通路の罠に気づいたのも、水の逃がし先を考えたのも、お前だった。疑っている。同時に、必要でもある」
彼は、ドランさんにも目を向けた。
「ギルドと管理所の合同で、下層の調査隊を組む。カイとドランにも同行してもらいたい。荷を運び、縄を扱える者が要る。命令ではない。決めるのは、お前たちだ」
ドランさんが俺を見た。何も言わず、決めろ、という顔だった。
一人で下へは行かない。セナと交わした約束だ。班で行くなら、その約束は守れる。
それに、あの波は、まだ止まっていない。
「行きます。ドランさんと、班の一員として」
「分かった。詳細は、明日決める」
オルトは立ち上がり、窓の外を見た。
窓の向こうでは、荷役場の灯りが揺れている。その下で、水は今も、決まった間隔で波を打っていた。
胸の奥に、巨大な重さが静かに沈んでいる。
この波と、あの日取り込んだ赤い核は、関係があるのか。
そう考えかけて、首を振った。まだ、何も分かっていない。
分からないまま、俺は下へ向かうことになる。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
カイへの疑いが深まる一方、迷宮の異変にも新たな手がかりが見つかりました。
次回もお楽しみに!
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