アリサ
何本もの取材を受けて、ようやく楽屋に戻れた頃には、さすがの俺もヘトヘトになっていた。
優勝トロフィーを抱えたまま、何度も同じ質問に答え、何度も同じように笑顔を作り、何度も頭を下げた。確かに身体は疲れていたけれど、それでも、俺はもっと呼んでくれ、もっと聞いてくれ、もっと俺たちを見てくれとすら思った。
楽屋の扉を開けると、そこにアリサがいた。
関係者用の控室ではなく、彼女なりのつてを使って俺たちの楽屋で待っていたらしい。普通にしていれば、そこらへんの女の子と変わらないごく平凡な彼女だが、MANZAI王のスポンサーの娘でもある。考えてみれば、楽屋で待っていたとしても不思議ではなかった。
アリサは俺の姿を見つけた瞬間、ぱっと顔を明るくした。
「マルハくん!」
「アリサ、ごめんな。もう少し早くこれ見せたかったんやけど」
俺はそう言って、持っていたトロフィーを差し出した。
アリサは両手でそっと受け取った。思っていたより重かったのか、少しだけ目を丸くする。
「わ、重い……」
「それがMANZAI王の重さや」
「うわ、出た。優勝した人の名言っぽいやつ」
アリサが笑う。
その隣で、レンジが小さく呟いた。
「同じようなこと、さっき俺にも言うてたで」
「え、そうなんですか?」
「しかも俺は上手く返せんかった」
「レンジさんの最後のツッコミ、すごかったですよ。会場、ほんとに大爆笑でしたもん」
アリサはそう言って、素直にレンジを見た。
さすがお笑い好きというだけあって、褒め方が妙に具体的だった。俺の横で、レンジが少しだけ困ったように視線を逸らす。
「……ありがとうございます」
「レンジ、照れてるんか?」
「照れてへん」
「いや、完全に照れてる顔やん」
「仏頂面や」
「ホンマや。いつもより照れてる仏頂面や」
俺がそう言うと、アリサが声を出して笑った。
その笑い声を聞いて、ようやく楽屋の中の空気が少し落ち着いた気がした。さっきまでの照明、歓声、カメラ、スタッフの声。その全部がまだ体に残っている。けれど、アリサがトロフィーを抱えて笑っている姿を見て、俺はやっと優勝の実感が湧いてきたような気がした。
「ごめんね。家で見るって言ったのに、やっぱり来ちゃった」
「びっくりしたわ。ディーノさんから聞いたんが、ネタ終わった後でよかったで。始まる前に知ってたら、変に意識してもうたかもしれへん」
「だって、この目で見たかったんだもん。コットンパラダイスが優勝する瞬間」
アリサはそう言って、重たいトロフィーを頭の上に持ち上げて見せた。
「見せられてよかったわ」
「ほんとにすごかった。マルハくんも、レンジさんも、今日めちゃくちゃかっこよかったよ」
「ほら聞いたか、レンジ。俺らかっこよかったってよ」
「俺はええ。お前だけ受け取っとけ」
「何でやねん。お前もコットンパラダイスやろ」
レンジはそれ以上なにも言わなかったけど、珍しく嬉しそうに笑っていた。
そのまま俺たちは、しばらく優勝の話をした。どこで客席の空気が変わったとか、レンジの最後の一言がどれだけ効いていたとか、アリサは興奮気味に話してくれた。けれど、話題が自然と結婚発表のことに移ると、楽屋の空気が少しだけ変わった。
レンジもそれを察したのだろう。わざとらしくスマホを取り出し、画面を確認する。
「あ、俺、ちょっと今井さん探してくるわ。次の段取りも聞かなあかんし」
「え、今?」
「今や」
レンジはそう言って、俺を見るでもなく軽く片手を上げた。
「アリサちゃん、そのトロフィー、持って帰ってもええで。うちのオンボロアパートには重すぎて床が抜けるかもしれんからな」
「ふふっ、考えておきます」
レンジが楽屋を出ていくと、扉の向こうの騒がしさが一瞬だけ聞こえ、すぐに閉じた。
俺とアリサだけが残された。
アリサはトロフィーをテーブルの上にそっと置いてから、俺を見た。
「結婚のこと――すごいびっくりした」
「ああ……」
「でも、すごい嬉しかった」
その言葉に、俺は少しだけ肩の力が抜けた。
「あれな、ほんまはディーノさんに言われてん」
「知ってる。あの人が私に挨拶に来た時、そんなこと言ってたから。もし優勝したら、最後にそういう流れがあるかもしれませんよって」
やっぱり、話はついてたんやな。
俺は心の中でそう思った。
ディーノ藤巻は、やはり最初から全部仕組んでいたのだ。最初からアリサにそう言っていたということは、もしかしたら俺たちの知らないところで、優勝は最初からコットンパラダイスに決まっていたのかもしれない。
でも、不思議と嫌な気はしなかった。
結果として、その流れは俺にとって最高のものになったからだ。
「でも、まさか本当にあの場で言ってくれるとは思ってなかった」
「言うに決まってるやん。約束したんやから」
俺は笑ってそう言った。
「お父さんも喜んでたよ」
「ほんまに?」
「うん。さっき電話が来て、MANZAI王で優勝できるぐらいの男なら、好きにさせてやるって」
「マジで?」
「マジ。だから今度、ちゃんと挨拶に来なさいって」
それは、俺の目の前が一気に開けていく瞬間だった。
MANZAI王を獲ったことだけではない。アリサの父親に認められたこと。このことは、俺たちがこれから先お笑いを続けていく上で、大きな後ろ盾になる。
「行く。絶対行くわ」
俺は間髪入れずにそう言った。
「うん。私からお父さんに言っとくね」
「まずは日取りを決めなあかんなぁ」
「でも、これから忙しくなるんでしょ」
「忙しくなる。めちゃくちゃ忙しくなると思う」
「だったら急がなくてもいいよ。だってマルハくんにとっては今が一番大事な時だもん。お父さんもそれはわかってくれると思う。でも――体だけは気をつけてね」
「大丈夫や。俺、今なら何でもできる気する」
そう言うと、アリサは嬉しそうに笑った。
その笑顔を見て、俺も笑った。
たぶん俺は、この時、アリサとの結婚を心から喜んでいたのだと思う。
けれど――
俺の胸を満たしていたのは、彼女と結婚する幸せだけではない。これから自分がどんどん上に昇っていく予感。誰もが俺の名前を知り、テレビ局も、スポンサーも、先輩芸人も、後輩たちも、俺を見る目を変えていく。その未来への高揚が、今の俺の胸を大きく膨らませていた。
楽屋の扉が開いたのは、その少し後だった。




