売れっ子芸人
入ってきたのは、レンジとマネージャーの今井さんだった。レンジが連れてきたというより、廊下で今井さんに捕まってそのまま連れてこられた、という感じだった。
今井さんは電話を片手に、ほとんど走り込むようにして楽屋へ入ってきた。
今井さんは普段、いつも疲れた顔をしている。俺たちが売れていなかった頃は、どこか諦めたような目でスケジュール表を見ていた。だがその日の今井さんは違った。目が血走っているのに、口元だけは笑っている。明らかに興奮していた。
「吉井さん! 藤崎さん! ちょっといいですか!」
「何ですか。そんな慌てて」
「慌てますよ! 電話が鳴りっぱなしです!」
今井さんはスマホを握りしめたまま、手帳を開いた。
「明日の朝、情報番組が一本入りました。優勝直後の生出演です。そのあと雑誌の取材が二本。夕方にラジオ。夜は年末特番のコメント撮りです」
「明日だけで?」
「明日だけで、です。あと明後日、大阪です。難波の劇場で凱旋出番。そのあと東京戻りで、深夜のバラエティ生放送にねじ込まれました」
「ねじ込まれたって?」
「今はねじ込まれるのもありがたいんです」
今井さんは早口で続けた。
「年明けの特番も何本か相談来てます。結婚発表込みで扱いたい番組もあります。ただし、お相手の実家がシンドバッド建設さんというのはNGでお願いします。表向きは一般女性という形で」
シンドバッド建設。
その名前が出た瞬間、俺はまた背筋が伸びた。
「ほんまにそんなに来てるんですか」
「来てます。正直、すごいです。MANZAI王優勝だけでも大きいのに、結婚発表が乗ったので、話題性が倍になってます」
「ほら見ろ、レンジ」
俺は隣に来たレンジを肘でつついた。
「最高のタイミングやったやろ」
レンジは小さく息を吐いた。
「これ、寝る時間あるんですか」
今井さんは真顔で答えた。
「ないと思って下さい」
「ないんかい」
「優勝したんですから。今寝る芸人はいません」
その言葉に、俺は笑った。
寝る時間がない――
最高だった。寝る時間がないほど仕事が入ってる。俺は確かに売れたのだ。
その日から、本当に生活が変わった。
朝の情報番組では、何度も優勝の瞬間の映像が流された。山ちゃんに結婚発表を振られた場面も、繰り返し使われた。コメンテーターが笑いながら「年末に話題を全部さらっていきましたね」と言い、女性アナウンサーが「お相手は一般の女性ということですが」と声を弾ませる。
俺はそのたびに、少し照れた顔を作って頭を下げた。
「いや、ほんまに勢いで言うてしまいまして」
そう言ってとびきりの笑顔を見せつけた。
雑誌の取材では、下積み時代の苦労を聞かれた。ラジオではレンジの大喜利力を褒められた。年末特番では、先輩芸人たちから「新婚さん」「MANZAI王様」と散々いじられた。
いじられるたび、俺は笑った。
今までなら、そういういじりは苦手だった。万が一爪痕を残そうとして滑れば、次は呼ばれない。でも今は違う。周りが俺を面白くしようとしてくれる。番組が、スタッフが、共演者が、俺たちを売れっ子として扱ってくれる。
東京と大阪を何度も行き来した。
新幹線の座席で弁当を食べながら寝落ちした。楽屋に入ると、前はなかった差し入れが置かれていた。知らないスタッフが名前を呼んで挨拶してきた。劇場の後輩たちが、急に話しかけてくるようになった。
「マルハさん、おめでとうございます」
「ほんま、すごかったです」
「今度、ご飯連れて行って下さい」
逆に、数日前まで同じ楽屋で雑に喋っていた連中が、急に距離を取ってくる。俺はそれが可笑しかった。
そんな日が二、三日続いたある夜、仕事終わりにスマホが震えた。
画面には、先輩芸人のコジケンさんの名前が出ていた。




