舞台裏
番組が終わったとたん、今度は舞台裏が祭りのように騒がしくなった。
さっきまで張り詰めていた空気が、嘘みたいに和らいだ。一部のスタッフは相変わらずスタジオ内を走り回ってはいるが、番組スタッフやテレビ局の職員、出演を終えた芸人たちまでが、優勝トロフィーを抱えた俺たちにスマホのカメラを向けてくる。テレビ局のお偉方までが出てきて、次々と握手を求めてきた。
誰も彼もが俺たちの勝利を褒め称えてくれる。すれ違う人々まで口々に「おめでとう」「よくやった」「むっちゃ笑わせてもらいました」と声をかけてくる。そんな言葉が、降り注ぐように浴びせられた。
俺はその全部に頭を下げながら、ずっと地に足がついていない気分だった。
俺はついにやった。
俺たちコットンパラダイスが、ついにMANZAI王グランプリを獲ったんや。
何度、自分に言い聞かせたか分からない。それでもまだ現実味はなかったけれど――首から提げられた優勝メダルの重さと、腕の中にあるトロフィーの冷たさは、これが現実の出来事なのだと俺に教えてくれていた。
「吉井さん、こちらお願いします!」
「コットンパラダイスさん、写真一枚!」
「すみません、番組公式用にコメントだけ!」
MANZAI王の優勝者を取材に来た記者たちだ。
彼らに名前を呼ばれるたび、俺は笑顔を作った。というより、わざわざ笑顔なんか作る必要がないぐらい、俺の顔は勝手に緩んでいた。すでに頬が痛いくらいだ。
隣のレンジはというと、いつも通りの仏頂面。
けれど、相方の俺には分かる。こいつも明らかにいつも通りではない。優勝トロフィーを持たされた時、あいつはいつも以上に瞬きの回数が多かったし、仏頂面もいつも以上に増していた。それが喜びを噛み締めている顔なのか、涙を我慢している顔なのかは分からない。けれど――俺はそれを見て、また胸が熱くなった。
「レンジ、持ってみい」
俺はそう言って、手にしていたトロフィーをレンジに差し出した。
「さっき持ったしええやろ」
「ええから、もう一回持てって。なぁ、重いやろ、これ」
「まあ、重いけど……」
「この重さがグランプリ王座の重さやぞ」
俺が大げさに言うと、
「ああ、持って帰ったら重すぎてうちのオンボロアパートの床が抜けてまうわ――ってなんやねん。急に臭いこと言うなや。あんまり上手いこと返せへんかったやんけ」
あわててレンジはそう返してきた。
それはレンジにとってキレの悪い返しだったかもしれない。それでも、近くにいたスタッフは声を出して笑っていた。
今までなら、俺たちが通路で何かおもろいことを言ったとしても、誰も耳を傾けてはくれなかった。劇場の端でボケても、近くの後輩が気を遣って少し笑うくらいだった。
でも、今は違う。俺たちが少し言葉を交わすだけで、当たり前のように周りが反応する。売れるというのは、こういうことなのだ――
今なら、俺の声がどこまでも果てしなく届くような気がした。
そんな、俺たちの新しい世界に、ディーノ藤巻がまたまた現れた。
「いやあ、吉井ちゃん。ついにやったねぇ。MANZAI王と結婚発表。今、ダブルでバズってるよ」
ディーノさんは、さっきにも増して満面の笑みで近づいてきた。もちろん、俺の結婚発表が上手くいったことにご満悦なのだろう。
「ありがとうございます。ほんまに、ありがとうございます」
「いやいや、僕は何もしてないよ。吉井ちゃんたちの実力。全部実力」
ディーノさんは、そう言いながら俺の肩を叩いた。
全部実力。
もちろん、その言葉の裏には、お笑い以外の意味も込められているのだろう。
今のお笑いブームの仕掛け人、ディーノ藤巻の頭の中に、これからどんな筋書きが詰まっているかは分からない。
ただ、それでもネタをやったのは俺たちだし、客を笑わせたのも俺たちだ。
それに――
この芸能界で、きれいな勝ち方だけを選べる人間がどれだけいるだろう?
たとえ俺たちコットンパラダイスがアリサのおかげで下駄を履かせてもらったとしても、その下駄で転ばずに走り切ったのは間違いなく俺たちなのだ。
あいかわらず、ディーノさんの甲高い声はよく響く。
「それにしても、結婚発表まで決まったねぇ。あれ、最高だったよ。山ちゃんも上手く話を振ってくれたし」
「いや、突然来たんで、ほんまに心臓止まるかと思いましたよ」
「でも言えたじゃない。男だねぇ、吉井ちゃん」
ディーノさんは、やっぱり満足そうだった。
その時、背後から小さな声がした。
「マルハ」
振り返ると、レンジが立っていた。
「ちょっとええか」
俺はディーノさんに軽く頭を下げて、レンジの方へ寄った。通路の隅、スタッフの行き来が少しだけ途切れる場所だった。
「何や。まだ写真撮影とかあるやろ? あっちにおらなあかんのちゃうか?」
「ちゃうねん。お前、ほんまにあれでよかったんか?」
「あれって?」
「とぼけんなや。結婚発表のことや」
問い詰めるような口調ではなかったけれど、レンジの声はあくまで真剣だった。
「それな。ディーノさんの言う通り、最高のタイミングやったやろ。MANZAI王獲って、その場で結婚発表やで。こんなん、明日のネットニュース全部俺らや」
俺は、そう言ってはぐらかすように笑った。
「それは、まあ、そうやねんけど……」
「ほなええやん」
「違うって、そういう話やなくて、いくらアリサちゃんがOKしてるって言っても、結婚の話はやっぱり突然すぎるやろ」
「大丈夫やって。優勝したら結婚しようって話は前からしてたし。それにお前も任すって言ってたやん」
「そやけどなぁ……俺、心配になってきてん。アリサちゃん、このグランプリのメインスポンサーの御令嬢やったんやろ――」
「ああ。俺も後で知ったけどな」
俺がそう言うと、レンジはすぐに言葉を返してはこなかった。
そして、その表情は――
まるで大喜利の時みたいに頭の中で言葉を探している時のように――
「マルハ」
レンジがようやく絞り出したのは、俺の下の名前だった。
「何や?」
「俺ら、ほんまに勝ったんかな――」
「お前、何言うてんねん。さっき優勝って発表されたやろ。自分もむっちゃ喜んどったやんけ」
「それは分かってる。せやけど……やっぱり俺ら、下駄を履かされてたんちゃうんか」
「レンジ」
俺は低い声で遮った。
「それ以上言うな」
俺はそこから先のレンジの言葉を無理やりに抑え込んだ。
レンジは俺の目をまっすぐに見つめている。
だが、相方だからよく分かる。多分レンジは俺に文句を言いたいのではない。
こいつはただ、本当のことを確かめたいだけなのだ。俺たちの優勝を。俺たちが舞台で取った笑いを。たった今、人生が変わったと思ったこの瞬間を。
俺は笑いながら言った。
「この芸能界が、実力だけでのし上がっていける甘い場所やないことぐらい、お前も知ってるやろ」
「……」
「これは運や。アリサは俺たちに運を運んできてくれただけなんや。せやろ? 舞台に立ったんはアリサでもディーノでもなく俺たちやで。ネタをやったんも俺たち吉井マルハと藤崎レンジや。会場を笑わせたんも俺たちコットンパラダイスや」
俺はレンジの肩に手を置いた。
「俺らがウケてへんかったら、いくらスポンサーの娘が相手でも優勝なんかできるわけない。最後に客席を爆発させたんは、お前のあの一言やろ」
レンジは何も言わなかった。
「なあ、レンジ。胸張れや。俺たちは勝ったんやで」
しばらく沈黙があった。
廊下の向こうでは、まだ誰かが俺たちの名前を呼んでいる。スタッフの足音、カメラのシャッター音、笑い声。全部が遠くに聞こえた。
やがて、レンジが小さく息を整える。俺はそのタイミングを見計らってレンジを急き立てた。みんなが俺たちの名前を呼んでいる。お笑い芸人コットンパラダイスはもうそこらへんにいる、ただのお笑い芸人ではないのだ。
俺はレンジの背中を押した。
「まあ、アリサも喜んでるやろ。さっきディーノさんもそう言うてたしな。楽屋に来てるかもしれんから、早う取材終わらせて報告しに行こうや。俺たちの優勝」
「そうか」
「何やねん。まだなんか不満なんか」
「不満はない」
「ほなええやろ」
「ただ、これからのコンビのことでもあるからな。ちょっと確認しときたかっただけや。でも、最後に一言だけ言わせてくれ。お前がそれでええなら、俺は何も言わん。ただ、登る時も落ちる時も、俺たちはいつも一緒やってことだけは覚えといてくれよ。くれぐれも、お前一人で先へ進もうとすんなや」
「ああ、分かってる」
俺は頷いた。
そして――
「レンジ、俺ら売れるで。今日からほんまに変わる。今までみたいに、劇場の隅で順番待ってるだけの芸人やない。番組に呼ばれて、CMに出て、冠番組持って……そういうとこまで行くんやで。もちろん俺一人やない。お前とや。コットンパラダイスで、絶対そこまで行くんや」
俺の言葉をレンジは睨むように聞いていたけど、口元だけはずっと緩んでいた。
「……ほな、ええわ」
「何やねんレンジ、その言い方」
「別に。お前がそこまで言うなら、俺も余計なこと考えんと腹くくるしかないやろ思ってな」
読んでいただきありがとうございます。
異世界ファンタジーなのに、転生前の物語に無駄な力を注いでいるような気がします……とりあえず転生までしばらくお待ちください




