第四章 二百年の確執
翌日、ドワーフの長が、俺を、訪ねてきた。
砦の片隅にあてがわれた、俺の部屋に、ノックも、なく、入ってきた。
長は、俺の椅子に、勝手に、座って、低い、声で、言った。
「お主、昨日の図、見せろ」
「あ、はい」
俺はノートを、開いた。
ドワーフの長の名は、グランドゥール・カルクハイム。年齢は、二百三十歳らしい。
リシェルから、昨夜、教えられた。
彼の髭は、灰白色で、太い縄を、編んだような、独特の、編み込みが、施されていた。
髭の中に、小さな、銀の輪が、いくつか、編み込まれていた。
たぶん、ドワーフの、戦士としての、勲章のような、ものなのだろう。
彼が動くと、その銀の輪が、ちりんと、低く鳴った。
「これだけか。もっと、書いておるだろう」
「他は、まだ、書いていません。今朝、もう少し、書こうと、思っていた、ところで」
「書け」
長は、腕を、組んだ。
「我とエルフの、確執の話を、お主の図で、やってみろ」
俺は、息を呑んだ。
会議の席で、図を出すのと、当事者の前で、出すのとは、別の話だった。
でも、長は、待っていた。
俺はペンを、動かした。
まず、時系列を、書いた。
リシェルから聞いた話と、長の発言と、グランドゥール本人の補足を、矢印で、つないだ。
『二百三十年前──エルフの森、北側、伐採開始』
『同時期──ドワーフの鉱山、地下水量、減少報告』
『二百年前──エルフ側「水量の問題はドワーフの掘削」と主張』
『同年──ドワーフ側「森を伐ったエルフ側の問題」と反論』
ここまで、ふつうの、確執、だった。
でも、書きながら、俺は、気づいた。
矢印の、両端に、誰がいるのか。
エルフ側の主張は、誰が、最初に、言い始めたのか。
俺は、グランドゥールに、聞いた。
「あの、そもそも、エルフ側が『ドワーフの掘削が原因』と、最初に、言い始めたのは、エルフ自身ですか」
長は、髭を、撫でた。
髭の中の銀の輪が、ちりちりと、鳴った。
「……いや。ある人間の、旅の賢者が、『ドワーフが、地下深くを掘って、土地の魔脈を、傷つけている』と、エルフの王に、告げた、と聞いておる」
「ドワーフ側に、『森の伐採が原因』と、最初に告げたのは」
「……同じ、旅の賢者だった、と」
グランドゥールの動きが、止まった。
彼の、太い指の、付け根が、ぎゅっ、と、白く、なった。
「同じ……?」
「同じ人物が、両方の側に、相手の責任だと、告げに行っていた、ということに、なります」
俺は、淡々と、書き加えた。
『二百三十年前頃/旅の賢者A:エルフ王に「ドワーフ責任」、ドワーフ長に「エルフ責任」を告げる』
『以降、両者は、相手を、疑い続けた』
「お主」
グランドゥールの声が、低くなった。
彼の、太い前腕が、わずかに、震えていた。
「我らの、確執を、最初に、煽った者が、いた、と?」
「可能性の、話です」
俺は、慎重にペンを、握り直した。
「証拠は、ありません。ただ、両方の主張が、同じ時期に、同じパターンで、出てきている。これは、ふつう誰かが両方に話を持っていったときに起きる構造です」
「……お主、それを、どこで、学んだ」
俺は、答えに、つまった。
会社で、競合の介入工作を、何度も、見てきた、と、言うわけには、いかなかった。
「えっと、僕の、世界の、商売で、よく、ある話、です」
「商売、で」
グランドゥールは、長い、息を吐いた。
「商売、か」
その言葉を、もう一度、口の中で、転がしていた。
「我らの、二百年は、商売の、駆け引きと、変わらぬ、ものだった、と、お主は、言うのか」
「いえ、変わらないというより、構造が似ているだけです。種族の確執は、もっと重いと思います」
「重さの、問題ではない」
長は、首を、振った。
「我らは、ただ、踊らされていた、と、お主は、言いたいのだろう。それが、悔しい」
しばらく、沈黙が続いた。
窓の外で、知らない鳥の声が、長く尾を引いた。
そろそろ、夕暮れ、だった。
長は、椅子から、立ち上がった。
「お主、来い」
「え」
「リシェル王女のところへ、行く。お主の図を、二人の前で、もう一度、書け」
長の足音は、廊下に、響くほど、重かった。
俺はノートを抱えて、慌てて、後を、追った。
リシェルの部屋で、俺は、もう一度、同じ図を、書いた。
リシェルは、それを見て、しばらく声を、出さなかった。
彼女の、長い、緑の髪が、夕陽で、淡く橙に、染まっていた。
やがて、彼女は、ふっと小さく、笑った。
「私たちは、二百年、踊らされていたのね」
グランドゥールの髭が、ぴくりと、震えた。
「藤崎」
長は、俺の名を、初めて、呼んだ。
「お主の、頭の中、もう少し、見せてもらいたい」
「もちろん、です」
部屋の窓の外で、二つの月の、片方が、雲に隠れた。
残った月の光が、俺のノートの上に、青く、落ちていた。
その夜、俺は、リシェルから、エルフ族の、長老議会への、紹介状を、書いてもらった。
翌朝の、最初の馬車で、俺と、グランドゥールは、エルフの森へ、向かう、ことになった。
俺の、二百年の、確執の、整理の旅は、ここから、本格的に、始まろうと、していた。
その夜、リシェルが、俺の客間に、来た。
彼女の手には、薄い、布地の、小さな袋が、あった。
「これを、お持ちください」
「これは?」
「エルフの森を訪ねるなら、これが必要です。森の入り口で、貴族の名で紹介状を見せても、エルフ族は入れてくれません。族長と対等に会うには、これが必要なの」
彼女は、袋から、薄く青い、葉を、一枚、取り出した。
「アヴィルディーン家の、認証葉。エルフの長老議会も、これを見れば、私からの正式な紹介と、認める」
「リシェル様、これは、王女の、印で、しょう?」
「ええ」
彼女は、頷いた。
「だから、あなたに、預けます」
俺は、葉を、両手で、受け取った。
葉は、湿っているのに、重さはほとんど、なかった。
不思議な、薬草のような、香りが、した。
俺は、それを、ノートの、最後の頁に、丁寧に挟んだ。
「ありがとう、ございます」
「藤崎」
リシェルは、扉に、向かいながら、振り返った。
「あなたの、図、私たちエルフの、長老議会も、揺さぶると、思う。覚悟、してくださいね」
「揺さぶる、というと?」
「驚かせる、という、意味」
彼女は、笑った。
「あなた、自分で、自分のことを、知らな過ぎるから、念のため」
扉が、静かに、閉まった。
俺は、しばらく葉を、ノートに挟んだまま、その場に、立っていた。
窓の外で、夜風が、強くなっていた。
遠くで、また、鳥の声が、長く尾を、引いた。
異世界の、夜は、深くて、暗い。
でも不思議と、東京の、夜よりも、孤独では、なかった。
たぶん誰かが、俺のことを必要としている、その感覚が、孤独の輪郭を薄くしているのだろう。
俺は、ノートに新しい頁を、開いた。
『出発前の、確認事項:
エルフ長老議会の、構成員氏名(要:リシェル様より入手)
ドワーフ・カルクハイム家以外の、主要族長の所在地
二百三十年前の、旅の賢者Aの、特定(リザードマン族・古代誓約石板に、記録の可能性)』
書きながら、俺は、ふと笑った。
会社で、四十八社のパートナーに対して、毎日、こうやって、書いてきた。
誰も、見なかった。
誰も、評価しなかった。
でも、ここに来て、初めて、それが、何かの、役に、立っている。
翌朝の、馬車の、車軸の、軋みが、もう、聞こえる、気が、した。
俺は、葉を、ノートから、慎重に抜き出して、もう一度、見た。
葉の、表面に、細い、銀色の、葉脈が、光っていた。
葉脈は、ただの、葉のもの、では、なくて、文字のような、模様も、含んでいた。
たぶん、これが、エルフの、認証システム、なのだろう。
俺は、葉を、もう一度、ノートに挟んだ。
ノートの、表紙の、革を、撫でた。
三年、東京で、書き続けてきた、ノート。
まさか、こいつが、異世界の、エルフの長老議会の、扉を、開く鍵に、なるとは、思っていなかった。
俺は、苦笑した。
代理店営業の、地味な台帳。
その正体は、もしかしたら、思っていたよりも、ずっと、強力なもの、なの、かもしれなかった。
窓の外で、二つの月のうち、一つが、雲に、完全に、隠れた。
残った、青い月が、俺のノートに長い影を、落としていた。
影の中で、ノートの、革表紙が、わずかに、湿って、息を、しているような、気が、した。
俺は、微かに、首を、振って、それを、ただの、夜の幻だと、自分に、言い聞かせた。
でも、夜の幻、だけ、では、ないかも、しれない、とも、思った。




