第三章 偶然の仲裁人
砦の大広間は、最初から、喧嘩腰、だった。
円卓を囲んでいたのは、種族ごとの、代表だった。
獣人族の族長は、太い腕を組んで、ずっと、鼻を鳴らし続けていた。
ドワーフの長は、髭の中で、何やら、ブツブツ、呟いていた。
リザードマンの代表は、ちろちろ、と舌を出していた。
海人族の使者は、青い肌を、腕組みで、隠して、誰とも、目を、合わせなかった。
小人族は、椅子の上に、座らされていたが、顔は、誰の視界にも、入っていなかった。
俺は、リシェルに、後ろから引っ張られて、末席の、椅子に、座らされていた。
円卓の、木の表面は、たぶん、樫のような、堅い材だった。
長年、皆が、肘を、置き続けていたのだろう。
肘の置かれる場所が、円形に、磨り減って、艶が、出ていた。
その艶の数が、座っている代表の数と、一致していた。
一つだけ、艶のついていない場所が、あった。
たぶん、長い間、そこには、誰も、座っていなかった。
昔は、別の種族の代表が、いたのかも、しれない、と、ふと思った。
「だから、何度も、言うておるだろうが、エルフ。森を伐ったのは、お前らの責任ではないと、申すのか」
ドワーフの長が、低く吠えた。
「我らが鉱山に、水が流れ込んで、二百年。お前たちが、上流を、伐採した日からだ」
「冗談を」
リシェルが、立ち上がった。
「水が止まったのは、ドワーフが、地下を、掘りすぎたからだと、我らは、聞いている」
「言ったな」
獣人族長が、円卓を、叩いた。
円卓が、低く揺れた。
彼の、太い腕の、毛皮の毛先が、火の灯りで、銀色に、光った。
「お前らは、いつも、そうやって、責任の押し付け合いだ。我ら獣人にも、食わせるものが、ない。賠償の話は、どこへ、行った」
「賠償より、まず、魔王軍の対応を」
「それを言うのは、人間王国の役目だろうが。あの王宮、また、会議に、出て来とらんではないか」
空気が、見ていても、わかるくらいに、きしんでいた。
俺は、息を、ひそめて、ノートを、開いた。
反射、だった。
会社の会議でも、俺は、そうやって、きた。
誰が、どの順で、何を、どんな言い回しで、言ったか。書く。
書きながら、図に、する。
『エルフ⇄ドワーフ:水と森。互いに相手の責任。両方に「最初に火種を撒いた誰か」の暗示なし』
『獣人族⇄人間王国:賠償未払い。獣人族長は王宮の不在に怒っている。話題を逸らされた』
『リザードマン:発言なし。明らかに距離を置いている』
『海人:腕組み。緊張。発言の機会を待っている?』
『小人族:発言の機会、与えられず。最初から無視されている』
俺はペンを、止めて、もう一度、円卓を、見た。
順番が、おかしい。
ドワーフが、話してから、獣人族長が、次に、何を言うべきだったのに、話題が、変わってしまった。
誰も、海人族に、発言を、させていない。
たぶん、これは──「議事を、回す人」がいない、典型的な、まずい会議、だ。
会社の、最悪の、合同会議で、何度も、見たやつ。
誰も、ファシリテーターを、立てない、合同。
そういう会議では、声の大きい二人が、論点を、奪い合って、結局、何も、決まらない。
ファシリテーターは、声が大きい必要は、ない。
ただ、誰が何を言ったか、誰がまだ何も言っていないか、それを把握していればいい。
俺は、たぶん、無意識、だった。
立ち上がっていた。
「あの」
全員の視線が、集まった。
俺は、思わず、口を、閉じそうに、なった。
心臓が、肋骨の内側を、強く叩いた。
でも、リシェルが、俺の袖を、ぎゅっ、と、引いた。
声に、出さない、言って、という、合図、だった。
「順番、整理させてもらっても、いいですか」
俺はノートを開いて、見せた。
「ドワーフの長は『水』、エルフの方は『森』、獣人族長は『賠償』、海人の方は……まだ、発言、されていません。リザードマンの方も。小人族の方も」
空気が、止まった。
「全部、別の話、です。今ここで決めるべきは、たぶん一つだけ。──魔王軍に対して、誰がどこを担当するか。それ以外の話は全部、別の機会に持ち越したほうがたぶん早いです」
俺は、息を、吸って、続けた。
「あと、提案ですけど。発言は、各種族から、一人ずつ、二分以内で。司会、僕が、やります。利害が、ないので」
誰も、何も、言わなかった。
長い沈黙が続いた。
ドワーフの長が、髭の奥から、ぐ、と、低い声を出した。
「お主、何者だ」
「ええと……」
俺は、リシェルを、見た。
リシェルは、目を、見開いて、俺を、見ていた。
「……代理店営業、です」
誰も、その単語の意味を、知らなかった。
でも、ドワーフの長は、もう一度、俺を、じっと、見た。
「お主、続けろ。話せ」
獣人族長が、低く笑った。
「面白い」
海人族の使者は、ようやく、腕組みを、解いた。
彼女の、青い指が、円卓の上で、軽く組み直された。
リザードマンの代表は、舌を、ちろりと、出して、頷いた。
小人族の長老は、椅子の上で、ようやく、まっすぐ座り直した。
俺はノートを開いて、ペンを構えた。
とりあえず、動き出すしか、なかった。
俺は、海人族から、順に、発言を、求めた。
彼女の名は、リャナ・サフラリア、と、いうらしかった。
彼女は、最初、戸惑った。
たぶん、何百年も、この円卓で、自分の発言を、求められた経験が、なかったのだろう。
俺は、やわらかく、聞いた。
「海人族の方、現在、いちばん、困っていることは、何ですか。一つだけで、構いません」
「……北西の、航路が、封じられている。海人族の交易が、四割、止まっている」
「ありがとうございます。次、リザードマンの方」
俺は、淡々と、振った。
リャナの、青い指が、軽く組み直された。
たぶん、誰かに、まっすぐ聞かれることが、彼女には、初めて、近いことだった。
でも、二分、たっぷり、話した。
次に、リザードマンの代表に、振った。
彼女の名は、ルクシナ・カガル、と、いうらしかった。
最後に、小人族の長老。ピオ・テラリン。
全員が、二分以内に、要点を、述べた。
その夜、会議は、初めて、結論を、一つだけ、出した。
来月、もう一度、ちゃんと、集まる。
各種族の懸念事項は、別の機会に、議事を、立てる。
今夜の会議は、対魔王軍の、暫定的な配置の、合意のみ。
会議が終わったあと、リシェルが、俺に近づいて、囁いた。
「あなた本当に、ただの、旅人?」
俺は、答えなかった。
答えようが、なかった。
ただ、ノートを抱えて、苦笑するしか、なかった。
砦の窓の外、知らない月が、二つ、並んで、昇りはじめていた。
月の片方は、青みを帯びていて、もう片方は、わずかに、橙色だった。
二つの月が、並ぶ夜は、何かが、始まる夜、だと、リシェルが、後で、教えてくれた。
その夜、俺は、砦の客間で、ノートを、開いた。
今夜の会議の、ハイライトを、書き残しておかないと、明日には、忘れる。
会社で身についた、習慣だった。
ペンを、握ろうとして、ふと気づいた。
俺のペンは、まだ、東京の、安いボールペン、だった。
異世界で、このインクを、使い切ったら、どうなるんだろう。
そう思って、ペンを見つめた。
代わりの、インクは、たぶん、リザードマンの、巫女が、持っている。
あの、長い舌で、薄緑の鱗のルクシナが、たぶん、何か、書く道具を、持っているはずだ、と、ふと思った。
会議の最後に、彼女が、俺を、ちらりと、見た、その目が、忘れられなかった。
俺の、ペンの、軌道を、ずっと、追っていた。
たぶん、彼女には、別の、見え方が、しているのだろう。
俺は、そう、書いた。
『リザードマン・ルクシナ:会議中、私のペンの動きを、ずっと注視。何か、知っている可能性』
書いて、ノートを、閉じた。
窓の外で、二つの月が、青と橙で、混じり合いながら、輝いていた。
その光は、東京で、見たことのない種類の、光、だった。
淡くて、けれど、芯が、強い。
俺は、明日、何が、起きるかを、想像した。
たぶん、また、図を、書くだろう。
書いて、書いて、書き続けるだろう。
それしか、自分に、できることが、ないからだ。
でも、それで、いい、と、初めて、思った。
他人の、評価は、関係ない。
台帳に、書く価値が、ある人々が、ここに、確かに、いる。
今夜、それを確認した。
胸の、奥が、温かかった。
たぶん、こちらに、来てから、初めて、夜風を、心地よい、と、感じた、瞬間だった。




