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無能と呼ばれた代理店営業が異世界転生して、ボロ台帳ひとつで七種族同盟をまとめ世界を救った件  作者: もしものべりすと


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第二章 七つに割れた世界

目を、開けると、見上げた、空は、青すぎた。


 東京の空、では、ない。


 電線も、ビルの輪郭も、何も、ない。


 ただ、雲が、一つ、ゆっくり流れていた。


 雲の形が、こちらの世界の雲と、違っていた。


 縁が、ふわふわでは、なくて、もっと、絹のような、滑らかな、線、だった。


「動かないでください」


 女の声が、真上から、降ってきた。


 布──マントだろうか──が、俺の頭から、ずれて、女の顔が、見えた。


 絹のような髪は、淡い緑で、耳は、人間より、少し長く、尖っていた。


 目の色は、森の、奥の、水を思わせる、深い、緑。


 すぐに、わかった。


 本やゲームでしか、見たことのない、エルフ、という種族、だった。


 その手には、湾曲した、白い弓が、握られていて、先端が、地面に、ついていた。


 弦の張り方が、地球の弓とは、まるで違う、複雑な、十字型の補強が、施されていた。


「追手は、まだ、近くにいます。声を立てないで」


 女は、早口に、囁いた。


 追手。声。


 意味が、いくつも、頭で、渋滞した。


 とりあえず、頷いた。


 頷いただけで、後頭部に、ずきりと、痛みが走った。


 石段を、落ちたときの衝撃、だろうか。


 頭の左の、こめかみあたりに、小さな擦り傷が、できているらしい。


 でも不思議と、ひどい怪我では、なさそう、だった。


 頭蓋が、割れている、感触はない。


 俺は、自分の体を、ざっと、確認した。スーツは、まだ、着ていた。革靴も、片方だけ、足から、脱げかけていた。


 胸ポケットを、軽く触った。


 ペンと、ノートの、感触が、ある。


 あれは、まだ、俺と一緒に、来てしまっている。


 近くの、茂みで、何か、重い、足音が、した。


 馬よりも、もう少し、荒い、種類の、音、だった。


 足音は、二つ、いや、三つ、あった。


 女は、俺を、草の影に、押し込め、自分は、その前に、立って、構えた。


 茂みから、出てきたのは、灰色の、毛皮の、獣、だった。


 いや、獣では、ない。


 獣の頭をした、二本足の、戦士。


 手に持っているのは、刃の、ひしゃげた、大斧。


 その背後に、もう二体、似たような、輪郭の、影が、見えた。


「魔王軍の、斥候……」


 エルフの女が、低く呟いた。


 戦士は、俺たちを、見つけ、低く吠えた。


 吠え声には、言葉、らしき、響きが、混じっていた。


 たぶん、誰かに、報告するつもりの、合図、だった。


 弓が、引き絞られ、白い矢が、一本、空気を、割って、飛んだ。


 矢は、俺の目で追えない速さで、空気の、薄い線を、描いた。


 戦士の、喉に、それが刺さった。


 戦士は、声もなく、ぐらり、と、倒れた。


 残りの二体が、低く唸った。


 女は、続けて、二本、矢を放った。


 二本目が、二体目の、額に、刺さった。


 三本目が、三体目の、心臓のあたりに、刺さった。


 二体とも、声もなく、倒れた。


 俺は、息を止めていたことに、ようやく、気がついた。


 息を、吸い込むと、夜気のような、冷たい空気が、肺の奥まで、届いた。


 その空気は、嗅いだことのない、樹脂の香りを、含んでいた。


 針葉樹の、青い香り、というのに、たぶん、近かった。


「行きましょう」


 女は、俺の腕を、引いた。


 彼女の、手のひらは、思ったより、薄くて、けれど、力強かった。


 全部、現実、だった。


 しばらく、走って、女は、森の、浅いところで、立ち止まった。


 息を、整えて、俺を、見た。


 彼女の、肩が、息で、上下していた。


 長い髪が、汗で、首筋に、貼り付いていた。


 その湿った髪に、夜の月の光が、青く、反射していた。


「あなた、どこから、来たの? その服、どこの国の?」


「ええと……東京、です」


 女は、首を、傾げた。


 長い、緑の髪が、肩を、すべった。


「とう、きょう」


「日本……いや、すみません、たぶん、別の、世界、というか」


 言いながら、自分の言葉が、嘘のようだった。


 でも、それしか、説明が、なかった。


 女は、じっと、俺を見て、それから、大きく、息を吐いた。


「やっぱり、そう」


「やっぱり?」


「『遠き世界からの調停者』。我らが祖の、伝承にある、人。地母神フィエラの、宝玉が、反応したから、もしかして、と思った」


 女は、腰の、小袋から、薄く光る、石を、取り出して、見せた。


 石は、小指の先ほどの大きさで、淡い、青みを、帯びていた。


 石は、俺の手のほうへ、磁石のように、引っ張られた。


「私は、リシェル。エルフの王女、リシェル・アヴィルディーン。あなた、お名前は?」


「藤崎、透です」


「フジサキ、トオル」


 リシェルは、丁寧に発音して、ふっと笑った。


「いい名ね。届く名前」


 俺は、うまく、返せなかった。


 代わりに、聞いた。


「ここは、どういう、世界ですか」


 リシェルの顔から、笑みが、消えた。


「滅びかけている、世界です」


 淡々と、彼女は、言った。


「魔王が、三百年ぶりに、復活しつつあります。各地で、前線が、崩れています。勇者と、聖騎士団が、立っていますが、押されている」


「種族で、力を、合わせれば」


「合わせられないの」


 リシェルは、唇を、噛んだ。


「人間王国、エルフ、ドワーフ、獣人、リザードマン、海人、小人。七つの種族。三百年前に結ばれた盟約は、とうに破綻しています。互いを憎んでいる」


 俺は、黙って、聞いていた。


 会社で、何度も、見た、業界の、図に、似ている気がした。


 言うわけには、いかなかった。


 リシェルは、震える、声で、呟いた。


「勇者では、もう、救えない。今、必要なのは、剣ではなくて──対話できる、誰か」


 俺は、手のひらを、見た。


 台帳を、握っていたはずの、手、だった。


 不思議と、手の中に、まだ、あのノートの、感触が、あった。


 胸ポケットを、探ると、いつもの、ボロボロのノートと、ボールペンが、一本、入っていた。


 あいつは、俺と、一緒に、来てしまっていた。


 その夜、リシェルは、俺を、辺境の砦に、連れて行く、と言った。


「明日、七種族の、暫定会議が、あります。形だけの。どうせ、また、喧嘩で、終わる」


 彼女は、西の空を、見た。陽が、知らない、山の向こうに、沈もうと、していた。


 山の、稜線がまるで、大きな、獣の背中のように、波打っていた。


 頂のいくつかには、雪が、残っていた。


 夏なのに、雪が、残るほどの、高さの、山。


 たぶん、地球の、どんな山脈、よりも、大きかった。


「でも、もし、あなたが本当に、伝承の調停者なら──」


 言葉の続きは、夜風に、消えた。


 俺たちは、月明かりの下で、しばらく黙っていた。


 森の奥から、夜行性の獣の、低い唸り声が、聞こえた。


 でも、リシェルは、それを、警戒している様子は、なかった。


 たぶん、あれは、彼女たちの森の、住人の、声、だった。


 彼女が、馬を、一頭、連れてきていた。


 馬は、馬、というより、馬に似た、別の生き物、だった。


 角が、額に、二本、生えていた。たてがみは、銀色だった。


 でも、性格は、温和そう、だった。


「乗れますか?」


「教習所で、十年前に、一度、馬には、乗りました」


 リシェルは、ふっと笑った。


「それで、十分です」


 彼女は、俺を、馬に、乗せて、自分も、後ろに、跨った。


 二人乗りの状態で、馬は、軽やかに、走り出した。


 俺は、リシェルの腕に、軽く支えられていた。


 胸が、ほんのり、熱くなった。


 仕事場以外で、女性に、これだけ、近づくのは、もう、何年ぶりか、わからなかった。


 馬の足音は、地面を、叩く、低い、リズム。


 その音に合わせて、俺の心臓も、ゆっくり落ち着いていった。


 夜の森を、馬は、迷うことなく、進んだ。


 たぶん、リシェルが、いつも、通る道、だった。


 森の出口で、彼女は、囁いた。


「もうすぐ、辺境の砦が、見えます」


 俺は、頷いた。


 遠くの、丘の上に、灯りが、いくつか、連なって、揺れていた。


 砦の、見張りの、篝火、らしかった。


 たぶん、あの灯りの、向こうで、明日、俺の、本当の、長い長い一日が、始まる。


 俺は、そんな予感を、胸の奥で、初めて、はっきり、感じた。


 馬の歩みが、遅くなった。


 砦の門が、ゆっくりと、見えてきた。


 古い石積みの、半円形のアーチ。


 そのアーチの石に、磨き上げられたような、つるりとした、紋章が、刻まれていた。


 紋章は、七つの、細い線が、中心から、放射状に、広がっている、デザイン、だった。


 たぶん、七種族盟約の、古い印、だった。


 線のうちのいくつかは、苔で、覆われてほとんど、見えなくなっていた。


 誰も、もう、磨き直そうとは、していなかった。


「あれが、かつての、盟約の印です」


 リシェルの声が、俺の背中で、囁いた。


「今は、誰も、磨かない。誰の責任でも、ないことに、なってしまった」


 俺は、頷いた。


 言葉は、何も、出てこなかった。


 ただ、胸の奥で不思議と、書きたい、と、思った。


 あの古い、紋章の、七本の線を、俺の、ボロボロのノートに描き写しておきたい、と、思った。


 たぶん、そうしなければ、世界が、また、忘れる気がした。

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