16-1
春の麗らかな陽気の中、シンはその陽光を全身に受けながらウトウトと船を漕いでいた。
昼飯で腹が膨れている所にこんな陽光が差し込めば、仕方が無いと言うしかない。
王国祭まで後1ヶ月半あまり。
工房ではシルフィロードのマイナーダウン機の作製作業に追われているが、今のシンに出来る事は無いので、こうして惰眠を貪っているのだ。
といっても実際にはやる事はある。
シルフィロードを使用した刀鍛冶も納得のいく出来になるまであと数日は掛かるだろうし、思考と動作のタイムラグの修正も完全とは言えない。
マイナーダウン機の手伝いもする事は出来る。
だがどれもこれも今のシンでは役立たずでしか無かった。
それもこれも原因はシンの胸で鈍い輝きさえ発していない魔動輝石にある。
魔動輝石は一度使用すると魔動力が完全に戻るまでに最低2日から3日程掛かる。
シンの手元にはアイリから借り受けたものを含めれば3つの魔動輝石が存在する。
1日1個ずつ使用する事でほぼ毎日使用する事が可能であった。
だが先日からアイリが公務のために領主館に詰めている為、魔動輝石は2個しか無く、2日間連続で使用してしまうと、3日目は1日目に使った魔動輝石の魔動力が回復しておらず使用出来ない状態となってしまうのだ。
そうなると魔動力を必要とする作業をシンは行えない事になる。
最近では力仕事も魔動クレーンなどを使用している為、肉体労働も不要になりつつあるので、魔動力が使えないと本当に何も出来ず、役立たずと化している。
アークスかソーディでもいれば、剣の稽古をする事も出来るが、アイリが来れない以上、2人も護衛として一緒に領主館に居るはずである。
1人では素振りをするくらいしか出来ない。
「どうせ暇だし…一眠りしたら行ってみるかな~」
大きな欠伸をしながらシンは他に何が出来るかを考える。
ユウとフィルの手伝いにはシーナが手伝っている。
シーナはシンと同じく魔動力は使えないが、回路図を作れると言う事で役に立っている。
シンは彼女のように知識も深くないので、アイディアを出す程度は出来るが、専門的な話題には付いていけなくなるので、下手に手出しをするのは邪魔にしかならない。
家事をするクレスの手伝いもしてみたが、慣れない事をやって逆にクレスの手間を増やしただけで迷惑を掛けてしまった。
悪夢の事や決闘の際の黄金の輝きの事を調べたいと思っても、それらにまつわる文献や資料は断片的且つ殆ど存在しないので、今の所、皆目見当も付いていないお手上げ状態だった。
そんなわけで取り立ててやる事が無いシンは屋根の上に寝そべって昼寝を決め込んでいたという訳だ。
「平和だなぁ」
決闘以来、山賊が出るような事も無ければ、アルザイル帝国が再び侵略してきたという噂も無いし、悪夢が現れたという話も無い。
異世界だからといってこの世界はゲームでも小説でもアニメでも無い。
舞台が異世界というだけで現実なのだ。
そうポンポンと異常な事態が起こる訳では無いし、起こっても困る。
そう。平和が一番なのだ。
何気ないこの一時が最も尊いものなのだ。
だからまどろみに身を任せる。
難しい事も面倒な事も忘れ、何も考えずに快楽に身を委ね……
「シーン!!何処に行ったんですかー!!!」
下から聞こえるクレスの声にシンの意識は仕方無く現実に戻ってくる。
無視する事も出来たが、その場合、おやつや夕飯が自分の分だけ故意に無かったりするので、そんな無謀な事はしない、いや出来ない。
食べ物は大事だ。
特にクレスの作るものは王都にある貴族御用達の高級食料品店以上の美味しさだとアイリが言っているくらい絶品なのだから。
「なんか用か?」
屋根の上から顔だけを下に覗かせてクレスを探す。
キョロキョロ辺りに首を巡らせている彼女のポニーテールがあっちにこっちにと動いている様は可愛らしいが、それをずっと眺めている訳にもいかない。
「上だよ。屋根の上」
クレスが顔を上に向け、ようやくシンの姿を見つける。
「そんな所に居たんですか。すぐに降りて来て下さい。シンにお客さんが来てますよ~」
「客?」
シンははっきり言えば知り合いが少ない。
個人的な知り合いとなると皆無と言って良い。
基本的にキングス工房の仲間達と共に行動している為、知り合いのほぼ全員がユウやクレスとも顔見知りだ。
もし訪ねて来たのが顔見知りならば“客”という言葉は使わず、ちゃんと名前を呼ぶはずだ。
考えられるものとしては、シルフィロードの操縦者としてシンに用があるというものだが、操縦者という立場ではあるが、異世界人という事もあり、大々的に喧伝している訳ではないので、シンが操縦者だという事を知る者は多くない。
なのでこの線も薄い。
(だとすると後考えられるのは……)
「もう!早く下りて来て下さいっ!!」
「ああ、分かったって!まっ、会えば分かるか」
どうも少しでも疑問を抱くと並列思考で色々と考えてしまう癖が出来てしまったようで、答えが出ないものでも考えてしまうようになっていた。
クレスに急かされ、シンは屋根から降りて客が待つというリビングに向かった。
リビングに行くと、そこにはユウと客と思われる金髪の男がいた。
背中を向けている為、客の顔は分からないが、後ろ姿を見る限りではシンの知る人間では無いように思える。
「すみません。お待たせしました」
シンは一声掛けてからユウの隣に座る。
正面から男の顔を見るが、やはり知らない顔だった。
同年代くらいの男の切れ長で鋭く釣り上がった目がシンを見据える。
「初めまして。魔動機兵シルフィロードの操縦者シンタロウ=リンドウ君」
目の前の男は鋭い目をしたまま、口の端に笑みを浮かべていきなりシンのフルネームを呼ぶ。
「何モンだ。あんた……」
シンは鋭い目を睨み返しながら、警戒を強める。
シンが操縦者である事が知られていない事以上に、シンのフルネームは知られていない。
決闘の際に叫んだ気もするが、あの場に居て誰もが顔を知らないのはアルザイル帝国の技師くらいなものだ。
だがいくら休戦状態とはいえ帝国民がフォーガン国内に堂々と姿を現す筈も無い。
「おっと、そんなおっかない顔をしないでくれよ。俺はあんたと同じさ」
男はそう言うと、お茶を運んでやって来たクレスをいきなり引き寄せてその唇を己の唇で塞ぐ。
「てっ、てめぇっ!!」
シンが立ち上がって男に掴みかかろうとした刹那、バシィーンという激しい音が室内に響き渡る。
「な、な、なんなんですか!いきなり!!」
クレスの平手によって頬を赤く染めた男はニヤリと不敵な笑みを浮かべるだけ。
「一体何のつもりだ!!」
男の胸倉を掴み上げ、シンが詰め寄る。
その間にクレスは奥の部屋へと避難する。
「なんだまさかこいつはお前の女だったのか?そりゃ悪い事をしたなぁ~」
悪びれた様子を見せる事も無く男はにやけた笑みを浮かべたまま。
「けど言っただろ?お前と同じだって。そこの彼女には悪いが、そいつを証明するのに必要だったんでね」
立ち上がり胸倉を掴んでいるにも関わらず、男は微動だにしない。
更にシンは力を込めて男を立ち上がらせようとするが、それでも男の身体は椅子から離れる事は無かった。
男が異常な程の力で抗っているのを感じる。
シンと同じ。
他者とのキス。
そして異常な程の力。
「俺と同じってまさか……」
「……シンと同じ…つまり資格者って事か……」
ほぼ同時にシンとユウはこの男が何者なのかに気付く。
「そういう事だ」
相変わらずのニヤケ顔の男が値踏みするような視線で2人を見ながら袖を捲り上げる。
そこには黄色い輝きを放つ宝石の嵌ったブレスレットがあった。
その輝きは魔動輝石が魔動力を発する際の輝き。
「俺はガイア=ギース。そこのシンタロウ=リンドウと同じ資格者だ」
シン、シーナに続く3人目の資格者。
シンにとっては同じ世界からの転移者だ。
だが先のクレスへの対応と作ったような笑みが強い不快感を感じさせる。
「それで、俺に何の用だ。いや、そもそもなんで俺が資格者で、ここに居るって分かったんだ?!」
魔動力が発動して身体能力が向上している以上、今のシンでは力では敵わない。
シンはガイアの胸倉から手を離し、敵意剥き出しで問い掛ける。
「へぇ、意外と冷静なんだな。てっきり自分の女の唇を奪われて殴り掛かって来ると思ったんだが。いや、単に憶病なだけか?」
正直、シンの思考の1つは怒りで埋め尽くされている。
胸倉を掴んだのもこの怒りに突き動かされてだ。
だが同じ資格者だと聞かされてからは怒りに支配されていない思考がガイアという男を冷静に分析し始めていた。
ガイアはゆったりとした服に身を包んでいる為、分かりにくいが、先程ブレスレットを見せる為に袖を捲った際に見えた腕は格闘家のように本格的に鍛えられた筋肉で覆われていた。
この世界に来て多少なりとも鍛えられたシンとは根本的に鍛え方が違っていた。
恐らくは身体能力を高めていなくてもシンごときでは動かす事が出来ない程、地力の差があるだろう。
その上、今は魔動力によって更に強さを増している。
もしガイアがシルフィロードを奪う為にやって来ていて、実力行使に出たとしたら、為す術無く奪われてしまうだろう。
真意が分からない以上、下手に刺激するのは危険なだけだ。
「それで何の用なんだ」
怒りを堪え、挑発には乗らずに再びシンは問う。
「んな、怖い顔すんなって。今日はただの挨拶さ。1ヶ月後の祭ででっかい花火を打ち上げる予定だから、楽しみにしてな」
「それはどういう意味だ?」
ユウが尋ねるが、ガイアは肩を竦ませておどけた表情を見せただけで、それ以上は何も言わない。
「さて、話は終わりだ。俺を楽しませるだけの力がある事を祈ってるぜ」
それだけ言うとガイアは立ち上がる。
ただそれだけの行動なのに、シンもユウも冷や汗が流れ出る。
ただ立ち上がっただけなのに、得体の知れない威圧感に押し潰されそうになっていた。
2人はただその背中が消えていくのを見る事しか出来なかった。
そしてガイアがキングス工房を後にしてから数分。
シンとユウはようやく強張らせていた身体の緊張を解き、大きく息を吐いた。
「何だったんだ。あの男は……」
「分からねぇ。けどあいつが俺の敵で王国祭で何かをやらかそうとしてんのだけは分かった」
「アイリさんにも連絡をしておこう。花火というものが何を意味するかは分からないけど、警戒態勢を強めておけば未然に防げるかもしれないしね」
ユウの言葉に一応は頷くが、恐らくは防ぐ事は出来ないだろう。
シンの素性を調べ上げている以上、キングス工房とアイリに繋がりがある事は知っていて当然だろう。
にも関わらずこうして堂々と教えるという事は、絶対的な自身があるか、既に準備が整っていて、警戒を強めても無意味かのどちらかだ。
かといってガイアを拘束するという訳にもいかない。
何かテロのようなものを起こそうとしているのだとしても、物的証拠は無く、ガイアも「花火を打ち上げる」と言っているだけで具体的な事は何も言っていない。
もし拘束して、本当にただの花火師でした、なんて事になれば笑い事では済まない。
明らかに黒だと分かっているのに、注意を促す事しか出来ない事実に、シンは歯噛みするのであった。
*
『それにしてもこれって君の独断だろう?いいのかい?』
「唆したテメェが言うんじゃねぇよ」
頭の中に響く少年の声にガイアは舌打ちする。
『僕は単に君以外の資格者がいる事を教えただけ。興味を持って会いに来たのは君の意思だよ。それであいつはどうだった?』
「ありゃあ、争いとかとは無縁の所から……恐らく日本から来た奴だな。時々殺気を飛ばしてみたが、あまり分かってねぇみたいだった」
『だから最後にあんな大人げない事をしたのかい?君もまだまだ子供だねぇ』
「けっ!ガキの声の奴にガキ呼ばわりされたくねぇ」
キングス工房を立ち去る際、ガイアは本気で殺すつもりで殺気を放った。
その結果、目の前の2人はまるで蛇に睨まれた蛙のように、固まってしまった。
恐怖に震えて、腰を抜かさなかった事だけは褒めても良いだろう。
『それで、これからどうするんだい?』
「どうもしねぇよ、祭まではな。そこからは好きなようにさせて貰うさ。で、お前の方はどうすんだよ。本当は俺を監視するのが役目なんだろ?」
『ちゃんと君の意識の中から監視してるじゃないか。僕の独り言を偶然、たまたま聞いた君が、それでどう動こうとも僕の関知するところじゃないよ』
「俺の頭の中で聞こえるように喋っておいて独り言って言い張るのかよ。まぁ、いいさ。お前が何と言おうが、俺は俺のやりたいようにやる」
暫く前から意識だけの存在だという少年の声はガイアの頭の中に響いている。
ガイアの意識に介入して操るつもりだったらしいが、彼には通用しなかった。
それからこの少年は何が面白いのかガイアの意識の中に居座り続けている。
シンというもう1人の資格者の事を始め、ガイアの知らない様々な事を独り言と称して教えてくれるので、ガイアはそのままにしている。
もし邪魔になれば切り捨てるだけだ。
ガイアには思考や感情の一部を隔離し、必要があればそれを破棄する事が出来る力があった。
恐らくは元の世界で軍人として戦争に駆り出された経験があるおかげであろう。
悲しみや憐みの感情などあっては憎くも無い相手を殺す事なんて出来ない。
感情を殺して作業のように淡々とやらなければ、戦争に勝っても心が罪悪感に押し潰されて壊れてしまう。
同僚の中にはそういった心を病んだ人間も数多く居た。
だからガイアは感情を捨て去り、ただ機械のように戦争に身を投じて来た。
そしてこの世界に来てからは感情の隔離と破棄はどんどん精度を増し、今では感情や思考だけでなく記憶さえも破棄出来るようになっていた。
「さて、この後、あいつらはどう出るか。俺に捨てたくないと思わせるような楽しさを与えてくれる事を祈っているぜ」
ガイアは口の端を歪めながら、ゆっくりとヴァルカノの町を後にするのだった。
新キャラのガイア登場。
明確に敵対関係にあるキャラを出そうとしたら、何故か資格者になり、更に少年まで寄生している始末。
ラスボス臭しかしないキャラになってしまいました。
さて次回は10/11(日)0:00に更新の予定です。




