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異世界交信 〜元の世界とつながるトランシーバーで異世界を攻略します〜  作者: のる
1章

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9話:初めてのお使い

 文字の勉強を始めてから、数日が過ぎた。

 まだ長い文章を読むことはできない。

 けれど、簡単な単語や短い文であれば、時間をかければ意味を読み取れるようになっていた。

 朝の訓練を終えたヒロは、いつものように領主館へ戻った。


 汗を拭きながら廊下を歩いていると、前方からソフィがやってくる。

 その手には、一枚の紙と小さな革袋が握られていた。


ソフィ「ヒロ様、少しよろしいですか?」


ヒロ「はい。何か手伝うことあります?」


ソフィ「実は、買い出しをお願いしたいのですが」


ヒロ「買い出し?」


 ソフィは頷き、手にしていた紙をヒロへ差し出した。

 紙には、見覚えのある文字がいくつか並んでいる。

 ヒロは目を細めながら、一文字ずつ確認した。


ヒロ「塩……香草……油……」


ソフィ「読めていますよ」


ヒロ「ものすごく時間かかってますけどね」


ソフィ「最初はそれで十分です」


 紙には、厨房で使う食材や日用品が書かれていた。

 量はそれほど多くない。

 だが、ヒロが一人で街へ買い物に出たことはまだなかった。


ヒロ「これ、俺一人で行くんですか?」


ソフィ「難しいでしょうか?」


ヒロ「いや、、、行けます」


ソフィ「文字の練習にもなるかと思いまして」


ヒロ「なるほど」


 ソフィは小さな革袋を差し出した。

 中には、この世界の硬貨が入っている。


ソフィ「こちらが代金です。なくさないようにしてくださいね」


ヒロ「子供じゃないんですから」


ソフィ「初めてのお使いですので」


ヒロ「その言い方はやめてください」


 ソフィは楽しそうに笑った。


ソフィ「分からないことがあれば、お店の方に聞いてください。無理に一人で解決しようとしなくても大丈夫ですよ」


ヒロ「分かりました」


ソフィ「それと、油はいつもより多めにお願いします」


ヒロ「油?」


ソフィ「最近、厨房でよく使うようになりましたから」


ヒロ「もしかして、唐揚げのせいですか?」


ソフィ「料理長が、新しい調理法を試しているそうです」


ヒロ「完全に俺のせいじゃないですか」


ソフィ「皆様、楽しんでいらっしゃいますよ」


 責められているわけではないらしい。

 ヒロは買い物の紙と革袋を受け取った。


ヒロ「じゃあ、行ってきます」


ソフィ「お気をつけて」


 領主館の門を抜け、ヒロはミレイアの街へ出た。

 工房へ向かったときにも街を歩いたことはある。

 だが、そのときはアリアと一緒だった。

 一人で歩くのは初めてだ。

 通りには、朝から多くの人が行き交っていた。

 荷車を引く商人。

 籠を抱えた女性。

 武器を腰に下げた冒険者らしき者たち。

 道の端には露店が並び、野菜や果物、焼いた肉の匂いが漂っている。

 ヒロは紙を見ながら歩いた。


ヒロ「まずは塩か」


 周囲の看板へ視線を向ける。

 以前は意味の分からない模様にしか見えなかった文字が、少しずつ形として認識できる。

 読める文字を探し、頭の中で音へ変えていく。


ヒロ「食料……違うな。武器……これも違う」


 目的の店を探しながら通りを歩く。

 しばらくして、塩の文字が書かれた看板を見つけた。


ヒロ「これだ」


 店の前には、袋に入った白い粒が並んでいる。

 ヒロは店主に紙を見せ、必要な量を購入した。

 硬貨の扱いにもまだ慣れていない。

 何度か確認しながら代金を渡す。


店主「毎度あり」


 店を出たヒロは、小さく息を吐いた。


ヒロ「一つ目」


 思っていたより緊張していたらしい。

 次は香草だ。

 紙に書かれた文字を確認しながら、市場の奥へ進んでいく。

 途中、それらしい看板を見つけた。

 だが、並べられているのは香草ではなく、金属製の道具ばかりだった。


ヒロ「……あれ?」


店主「何を探してる?」


ヒロ「香草なんですけど」


 店主は眉を寄せた。


店主「うちは金物屋だぞ」


ヒロ「ですよね」


店主「香草なら、通りを二つ向こうへ行ったところだ」


ヒロ「ありがとうございます」


 ヒロは店を出て、もう一度看板を振り返った。


ヒロ「どこをどう読んだら香草になるんだ……」


 似た形の文字を間違えたらしい。


 読めるようになってきたとはいえ、まだその程度だ。

 気を取り直し、教えられた方へ歩いていく。

 市場の中心へ近づくほど、人の数が増えていった。

 通りの両側から、商人たちの声が飛び交う。


商人「新鮮な果物だよ!」


商人「今朝届いたばかりの肉だ!」


商人「北の村で採れた香草だ! 安くしておくよ!」


 最後の声に反応し、ヒロはそちらへ顔を向けた。

 露店の前には、様々な色や形の草が並べられている。


ヒロ「今度こそ香草だよな」


 紙と商品を見比べる。

 だが、名前を読めても、どの草がそれなのかまでは分からない。

 店主へ尋ねようとした、そのときだった。


リゼット「それじゃないわよ」


 聞き覚えのある声が、すぐ横から飛んできた。

 ヒロが振り返る。

 そこには、赤い髪の少女が立っていた。


ヒロ「リゼット?」


リゼット「何よ。その驚いた顔」


ヒロ「いや、こんなところで会うと思わなかったから」


 リゼットは小さな籠を腕に提げていた。

 工房で会ったときとは違い、作業用の服ではない。

 白いシャツの上に淡い色の上着を羽織り、膝下まであるスカートを身につけている。

 赤い髪もきれいに整えられていた。

 工房では、煤や油にまみれた職人見習いという印象が強かった。

 けれど、こうして街中で見ると、年相応の少女に見える。

 日の光を受けた赤い髪は、思っていたより鮮やかだった。


リゼット「何じろじろ見てるのよ」


ヒロ「いや……工房のときと雰囲気が違うなって」


リゼット「そりゃ、買い物に作業着で来るわけないでしょ」


ヒロ「まあ、そうだけど」


リゼット「何よ」


ヒロ「普通の服も着るんだなって」


リゼット「私を何だと思ってるの?」


ヒロ「ずっと革の前掛けをしてる人」


リゼット「そんなわけないでしょ!」


 リゼットは呆れたように息を吐いた。

 だが、本気で怒っているわけではなさそうだった。


リゼット「それで、あんたは何してるの?」


ヒロ「館の買い出し」


リゼット「あんた一人で?」


ヒロ「その反応、ソフィさんと同じなんだけど」


リゼット「だって、文字も読めないんでしょ」


ヒロ「少しは読めるようになった」


 ヒロは紙をリゼットへ見せた。

 リゼットは身を寄せ、紙を覗き込む。

 ふわりと髪が揺れ、少し甘い香りがした。

 思ったより距離が近い。

 ヒロはわずかに身体を引いた。


リゼット「塩と油と、料理用の香草ね」


ヒロ「それを買おうとしてた」


 ヒロは露店に並ぶ草を指差した。

 リゼットは一瞬黙り、それから眉を寄せる。


リゼット「あんたが手に取ろうとしてたの、虫除け用よ」


ヒロ「え?」


リゼット「料理に入れたら、食べられなくはないけど、ものすごく苦いわよ」


ヒロ「危なっ」


リゼット「全然読めてないじゃない」


ヒロ「名前は合ってたんだよ」


リゼット「一文字違うわ」


 リゼットは紙と店の札を交互に指差した。

 たしかに、よく見ると文字の形が少し違う。


ヒロ「似すぎじゃない?」


リゼット「慣れれば間違えないわよ」


ヒロ「ソフィさんにも同じこと言われた」


 リゼットは店主へ声をかけ、料理に使う香草を選んでくれた。

 ヒロが代金を払う様子を見ながら、リゼットは腕を組む。


リゼット「他には何を買うの?」


ヒロ「油と、紙とインク。それから野菜」


リゼット「店の場所、分かるの?」


ヒロ「たぶん」


リゼット「今、虫除けを買おうとしてた人が?」


ヒロ「……案内してくれると助かります」


 ヒロが素直に頭を下げると、リゼットは少しだけ得意そうな顔をした。


リゼット「仕方ないわね。私も買い物の途中だから、ついでに付き合ってあげる」


ヒロ「ありがとう」


リゼット「ついでだからね」


 二人は並んで市場を歩き始めた。

 リゼットは、ミレイアの街で生まれ育っている。

 どの店が安いのか。

 どこなら質のいい品が手に入るのか。

 店主の性格までよく知っていた。


リゼット「油なら、こっちの店の方がいいわよ」


ヒロ「さっき向こうにも売ってたけど」


リゼット「あそこは少し高いの。旅人相手には値段を上げるから」


ヒロ「そういうのもあるのか」


リゼット「当たり前でしょ。あんた、どう見てもこの辺の人間じゃないし」


ヒロ「服は借り物なんだけどな」


リゼット「歩き方とか、話し方で分かるわよ」


 リゼットに案内され、油を扱う店へ入る。

 店主はヒロを見るなり、少し高めの値段を口にした。

 だが、隣にいたリゼットがすぐに眉を上げた。


リゼット「それ、いつもの倍近いじゃない」


店主「おや、リゼットじゃないか。今日は工房を手伝わなくていいのか?」


リゼット「話を逸らさないで。この人、領主館の使いよ」


店主「領主館?」


 店主の表情が変わった。


店主「それなら、いつもの値段でいい」


ヒロ「さっきの値段は何だったんですか」


店主「聞き間違いだろう」


リゼット「よく言うわ」


 結局、油は適正な値段で買うことができた。

 店を出たヒロは、革袋の中身を確認する。


ヒロ「一人だったら、普通に払ってたな」


リゼット「だから、ついてきて正解だったでしょ」


ヒロ「助かったよ」


リゼット「もっと感謝してもいいのよ」


ヒロ「ありがとうございます、リゼット様」


リゼット「何よ、その言い方」


 リゼットは不満そうに言いながらも、どこか楽しそうだった。

 次に向かったのは、野菜を扱う露店だった。

 色とりどりの野菜が並んでいる。

 元の世界で見たことのあるものもあれば、形も色もまったく違うものもあった。


ヒロ「これ、何だ?」


 ヒロは紫色の丸い野菜を指差した。


リゼット「ルーナ芋よ」


ヒロ「芋?」


リゼット「煮たり焼いたりして食べるの」


ヒロ「じゃがいもみたいなものか」


リゼット「ジャガイモ?」


ヒロ「俺の世界にある芋」


 ヒロは一つ手に取った。

 重さや硬さは、じゃがいもに近い。

 皮は紫色だが、中身は白いらしい。


リゼット「それも買うの?」


ヒロ「頼まれてないけど、何か作れるかも」


リゼット「また変な料理?」


ヒロ「唐揚げは好評だっただろ」


リゼット「食べてないから知らない」


ヒロ「今度作ろうか?」


 リゼットが一瞬だけ黙った。


リゼット「……作りたいなら、別に止めないけど」


ヒロ「じゃあ、今度工房に持っていくよ」


リゼット「約束だからね」


 返事が思ったより早かった。

 どうやら興味はあったらしい。

 ヒロは余った自分の金を使い、ルーナ芋をいくつか買った。

 紙とインクも無事に揃い、残る買い物はあと少しになった。

 二人が市場の通りを歩いていると、前方から大きな荷車がやってきた。

 荷台には、果物の入った木箱がいくつも積まれている。

 荷車を引く男が、人混みを避けようと進路を変えた。

 そのとき、車輪が石へ乗り上げる。

 荷車が大きく揺れた。


商人「危ない!」


 荷台の端に積まれていた木箱が傾く。

 次の瞬間、果物が通りへ一斉に転がり落ちた。

 周囲の人々が慌てて道を空ける。

 丸い果物が、あちこちへ転がっていく。


リゼット「もう、何やってるのよ!」


 リゼットは籠を地面へ置き、すぐに果物を拾い始めた。

 ヒロも買い物袋を端へ寄せ、転がる果物を追いかける。


ヒロ「そっち行った!」


リゼット「分かってる!」


 坂になった道を、いくつもの果物が転がっていく。

 ヒロは一つを拾い、もう一つへ手を伸ばす。

 だが、指先が届く前に果物は離れていった。


ヒロ「止まれ……!」


 思わず手を伸ばす。

 胸の奥から、わずかに熱が流れた。

 転がっていた果物の動きが、一瞬だけ鈍くなる。


ヒロ「……え?」


 果物は止まらなかった。

 だが、明らかに速度が落ちた。

 ヒロはすぐに追いつき、拾い上げた。


リゼット「どうしたの?」


ヒロ「いや、何でもない」


 偶然かもしれない。

 けれど、小石の重さを変えようとしたときと同じ感覚だった。

 果物を重くし、転がる速度を落としたのかもしれない。

 今は確かめている場合ではない。

 二人は商人と一緒に、散らばった果物を拾い集めた。


商人「助かったよ。ありがとう」


リゼット「ちゃんと箱を固定しないからでしょ」


商人「面目ない」


 商人は申し訳なさそうに頭を下げた。


商人「礼に一つずつ持っていってくれ」


 商人から渡されたのは、赤く丸い果物だった。

 見た目は林檎に似ている。


リゼット「いいの?」


商人「売り物に戻せない傷物だからな。味は変わらん」


ヒロ「ありがとうございます」


 二人は果物を受け取った。

 少し歩いた先にある広場で、休憩することにした。

 石造りの噴水の縁へ腰を下ろす。

 ヒロはもらった果物を服で軽く拭き、一口かじった。

 甘さの中に、わずかな酸味がある。


ヒロ「林檎に近いな」


リゼット「また、あんたの世界の食べ物?」


ヒロ「ああ。似た果物があるんだ」


 リゼットも果物をかじった。


リゼット「さっきの、魔法を使った?」


 突然聞かれ、ヒロは手を止めた。


ヒロ「見てたのか?」


リゼット「果物の動きが変だったから」


ヒロ「自分でもよく分からない。止めようと思ったら、少し遅くなった」


リゼット「重力魔法だっけ」


ヒロ「ああ」


リゼット「少しは使えるようになったのね」


ヒロ「小石を重くしたり軽くしたりするくらいだけどな。それも毎回成功するわけじゃない」


リゼット「でも、最初に会ったときは何もできなかったんでしょ」


ヒロ「そうだけど」


リゼット「なら、進んでるじゃない」


 リゼットは当たり前のように言った。

 その言葉に、ヒロは少し驚いた。

 バルドやアリアから褒められることはほとんどない。

 できて当然

 できなければ、もう一度。

 そんな訓練が続いている。

 だから、進んでいると言われたことが少し嬉しかった。


ヒロ「ありがとう」


リゼット「何が?」


ヒロ「いや、何でもない」


リゼット「変なの」


 二人はしばらく果物を食べながら、広場を行き交う人々を眺めていた。

 ふと、リゼットがヒロの腰元へ視線を向ける。


リゼット「そういえば、あの道具は?」


ヒロ「トランシーバー?」


リゼット「そう、それ」


ヒロ「館の部屋に置いてある。今は動かないからな」


リゼット「魔力蓄積石が手に入れば、本当に動かせると思う?」


ヒロは少し考えた。


ヒロ「分からない」


リゼット「分からないの?」


ヒロ「電池の代わりになるかも分からないし、電気と魔力が同じように使えるかも分からない」


 ヒロは食べかけの果物を見つめた。


ヒロ「でも、他に試せることがないから」


リゼット「……そう」


ヒロ「動けば、元の世界と繋がるかもしれない」


リゼット「帰りたいの?」


ヒロ「帰りたい」


 迷わず答えた。

 この世界で世話になった人たちがいる。

 少しずつ、生活にも慣れてきた。

 それでも、帰りたいという気持ちは変わらなかった。

 父親のこと。

 ミナトのこと。

 何も伝えないまま消えてしまった。

 心配しているかもしれない。

 もしかすると、もう諦められているかもしれない。

 それを確かめるためにも、トランシーバーを動かしたかった。


リゼット「じゃあ、動かさないとね」


ヒロ「簡単に言うなよ」


リゼット「簡単じゃないのは分かってるわよ」


 リゼットは果物の芯を見つめながら、小さく言った。


リゼット「でも、あの道具がどうやって動くのか、私も見てみたいし」


ヒロ「そっちが本音か」


リゼット「悪い?」


ヒロ「いや。手伝ってくれるなら助かる」


リゼット「まだ手伝うって言ってない」


ヒロ「今の流れは手伝うって意味だろ」


リゼット「勝手に決めないで」


 そう言いながらも、リゼットは否定しきらなかった。

 休憩を終え、二人は再び市場を歩いた。

 残りの買い物も無事に済ませる。

 途中、リゼットが焼き菓子を売る店の前で足を止めた。

 視線は店先に並ぶ、小さな菓子へ向けられている。


ヒロ「食べたいの?」


リゼット「別に」


ヒロ「ずっと見てるけど」


リゼット「見てただけよ」


 ヒロは店へ近づき、焼き菓子を二つ買った。

 一つをリゼットへ差し出す。


リゼット「何で私の分まで買うのよ」


ヒロ「案内してくれた礼」


リゼット「別に、こんなのなくても……」


ヒロ「いらないなら俺が二つ食べるけど」


 ヒロが手を引こうとすると、リゼットは素早く菓子を受け取った。


リゼット「いらないとは言ってない」


ヒロ「そうですか」


リゼット「何笑ってるのよ」


ヒロ「笑ってない」


リゼット「笑ってるじゃない」


 リゼットは不満そうに頬を膨らませた。

 その姿は、工房で険しい顔をしていたときより、ずっと幼く見えた。

 ヒロはまた、少しだけ可愛いと思った。

 口に出せば怒られそうなので、黙っておくことにした。

 市場を出るところで、二人は別れた。


リゼット「じゃあ、私は工房に戻るから」


ヒロ「今日は助かった」


リゼット「次からは、一人でも買えるようにしなさいよ」


ヒロ「文字を間違えなければな」


リゼット「ちゃんと勉強しなさい」


ヒロ「ソフィさんみたいなこと言うな」


 リゼットは少し考え、それからヒロが持つ袋を指差した。


リゼット「唐揚げ、忘れないでよ」


ヒロ「覚えてるよ」


リゼット「別に、楽しみにしてるわけじゃないから」


ヒロ「はいはい」


リゼット「その返事、むかつく」


 最後にそう言い残し、リゼットは工房の方へ歩いていった。

 赤い髪が、人混みの中へ消えていく。

 ヒロはその背中を少しだけ見送ったあと、領主館へ向かった。

 館へ戻る頃には、空が夕焼けに染まり始めていた。

 門をくぐると、玄関の前でソフィが待っていた。


ソフィ「お帰りなさいませ」


ヒロ「ただいま戻りました」


ソフィ「無事で安心しました」


ヒロ「街へ買い物に行っただけですよ」


ソフィ「初めてのお使いでしたから」


ヒロ「まだ言うんですか、それ」


 ヒロは買ってきた品をソフィへ見せた。


 塩。

 香草。

 油。

 紙とインク。

 頼まれていたものは、すべて揃っている。


ソフィ「きちんと買えていますね」


ヒロ「途中で助けてもらいましたけど」


ソフィ「どなたにですか?」


ヒロ「工房のリゼットに会ったので、一緒に回ってもらいました」


ソフィ「まあ」


 ソフィが少し楽しそうな表情を浮かべる。


ヒロ「何ですか、その顔」


ソフィ「いいえ。お友達ができたのですね」


ヒロ「友達っていうか……」


 否定しようとしたが、適切な言葉が見つからなかった。

 知り合い。

 工房の娘。

 買い物を手伝ってくれた相手。

 どれもしっくりこない。


ソフィ「こちらの芋は、お願いしたものではありませんね」


 ソフィが袋の中に入っていたルーナ芋を持ち上げた。


ヒロ「料理に使えそうだったので買いました」


ソフィ「また新しい料理ですか?」


ヒロ「たぶん」


ソフィ「楽しみにしております」


ヒロ「期待されると困るんですけど」


 買ってきた品を厨房へ届ける。

 料理長は油の量を見るなり、満足そうに頷いた。


料理長「これでまた揚げ物を試せる」


ヒロ「使いすぎないでくださいよ」


料理長「新しい調理法を広めた本人が何を言う」


 買い物を終えたヒロは、少しずつこの街にも馴染み始めていることを実感していた。

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