10話:父親の話
その日の夕食も、いつも通り食堂で取った。
訓練と買い物で疲れていたため、食事を終える頃には眠気を感じ始めていた。
ヒロが部屋へ戻ろうと席を立つ。
すると、向かい側で酒を飲んでいたバルドが声をかけてきた。
バルド「おい、ヒロ」
ヒロ「何ですか?」
バルド「このあと暇か?」
ヒロ「寝るだけですけど」
バルド「なら、一杯付き合え」
ヒロ「俺、酒は飲めませんよ」
バルド「お前の国じゃ、十八でも飲めんのか」
ヒロ「二十歳からです」
バルド「妙な決まりだな」
ヒロ「この世界では違うんですか?」
バルド「土地による。まあ、無理に飲ませるつもりはねえ」
バルドは空になった皿を指先で叩いた。
バルド「酒は俺が飲む。お前は適当に何か飲め」
ヒロ「それ、付き合う意味あります?」
バルド「一人で飲むよりましだ」
バルドはそう言って立ち上がった。
バルド「あと、何かつまみを作れ」
ヒロ「そっちが目的ですよね?」
バルド「半分くらいはな」
ヒロ「正直だな、この人」
結局、ヒロはバルドに付き合うことになった。
厨房へ行き、買ってきたルーナ芋を取り出す。
皮を剥き、薄く切る。
水にさらしたあと、しっかりと水気を拭き取った。
それを熱した油へ入れる。
唐揚げよりも軽い音を立てながら、薄切りの芋が揚がっていく。
表面が色づいたところで取り出し、塩を振る。
ヒロ「こんな感じか」
味見をする。
食感は、元の世界のポテトチップスに近い。
芋自体に少し甘みがあるが、酒のつまみとしても悪くなさそうだった。
ヒロは揚げた芋を皿へ盛り、果実水を持ってバルドの部屋へ向かった。
バルドの部屋は、団長という立場の割には簡素だった。
壁には剣と鎧が置かれ、机の上には地図や報告書が積まれている。
窓際の小さな机には、酒の入った瓶と二つの杯が用意されていた。
バルド「遅かったな」
ヒロ「今作ったんだから仕方ないでしょ」
ヒロは皿を机へ置いた。
バルド「何だ、これは」
ヒロ「薄く切った芋を油で揚げて、塩を振ったものです」
バルド「また揚げたのか」
ヒロ「簡単だったので」
バルドは一枚手に取り、口へ入れた。
ぱりっ、と軽い音が鳴る。
バルド「……うまいな」
ヒロ「酒に合いそうですか?」
バルド「合う。お前、酒を飲まないくせに、つまみを作る才能があるな」
ヒロ「褒められてる気がしない」
ヒロはバルドの向かい側へ座った。
自分の杯には果実水を注ぐ。
バルドは酒を注ぎ、一息で半分ほど飲んだ。
バルド「今日は街へ出たらしいな」
ヒロ「情報早いですね」
バルド「館の中じゃ、お前の行動は割と目立つ」
ヒロ「監視されてるみたいで嫌なんですけど」
バルド「実際、監視だからな」
ヒロ「そういえば、そうでした」
異世界へ来たばかりの頃は、アリアがつきっきりの監視だった。
でも最近は誰かがついてくることもない。
それだけ信用されたということなのかもしれない。
バルド「買い物はどうだった」
ヒロ「途中で文字を間違えて、虫除けの草を料理用だと思いました」
バルド「食わなくてよかったな」
ヒロ「リゼットが止めてくれました」
バルドの眉が上がる。
バルド「ほう。工房の娘か」
ヒロ「たまたま会ったんです」
バルド「二人で買い物したのか?」
ヒロ「案内してもらっただけです」
バルド「そういうところから始まるんだぞ」
ヒロ「何がですか」
バルド「さあな」
バルドは笑いながら酒を飲んだ。
ヒロ「絶対分かってて言ってますよね」
バルド「で、どうだった。可愛かったか?」
ヒロ「何でそんなこと聞くんですか」
バルド「男同士の会話だ」
ヒロ「工房で会ったときよりは……」
そこまで言い、ヒロは口を閉じた。
バルドがにやりと笑う。
バルド「よりは?」
ヒロ「何でもないです」
バルド「可愛く見えたんだな」
ヒロ「聞く意味なかったじゃないですか」
バルドは豪快に笑った。
最初は、そんな他愛のない話が続いた。
訓練のこと。
街のこと。
料理のこと。
バルドは酒を飲みながら、時々くだらない冗談を口にした。
ヒロも果実水を飲み、揚げた芋へ手を伸ばす。
気づけば、皿の中身は半分ほどになっていた。
窓の外はすっかり暗くなっている。
遠くから、夜の街の音が微かに聞こえた。
会話が途切れ、短い沈黙が流れる。
ヒロは杯の中を見つめた。
ヒロ「父さんも……酒を飲んでたな」
何気なく漏れた言葉だった。
バルドは杯を口元へ運びかけたまま、ヒロを見る。
バルド「親父さんか」
ヒロ「はい」
バルド「どんな男だ」
ヒロ「警察官です。仕事ばかりしてました」
バルド「ケイサツカン?」
ヒロ「えっと……街の治安を守る仕事ですね、悪い人を捕まえたり」
バルド「なるほどな」
ヒロは果実水を一口飲んだ。
ヒロ「母さんが死んでから、もっと仕事ばかりになりました」
バルドは何も言わず、続きを待っている。
ヒロ「元々、家にいる時間は少なかったんです。でも、母さんが亡くなってからは、ほとんど会わなくなって」
バルド「仲が悪かったのか?」
ヒロ「悪くはなかったと思います」
ヒロは少し考えた。
父親と喧嘩をした記憶は、それほど多くない。
怒鳴り合ったこともない。
必要なものは用意してくれた。
学校へ行く金も、生活費も困ったことはなかった。
ただ、会話はあまりなかった。
ヒロ「嫌いだったわけじゃないんです」
ヒロ「でも、何を話せばいいのか分からなくなってました」
ヒロ「父さんが帰ってきても、俺は自分の部屋にいて。父さんも何も言わなくて」
ヒロは小さく息を吐いた。
ヒロ「最後にちゃんと話したのが、いつだったかも覚えてないです」
父親が引っ越しの話をしたとき。
あれは会話と呼べるものだっただろうか。
ほとんど一方的に決まったことを聞かされただけだった。
自分も、分かったとしか答えなかった。
ヒロ「今頃、どうしてるんですかね」
バルド「お前がいなくなったなら、探してるんじゃねえか」
ヒロ「そうだといいですけど」
バルド「そうじゃないと思うのか?」
ヒロ「分からないです」
父親がどんな顔をするのか、想像できなかった。
心配するのか。
悲しむのか。
仕事を休んで探すのか。
何も分からない。
分からないほど、自分は父親のことを知らなかった。
ヒロ「母さんが死んだときも、父さんが何を考えてたのか分からなかった」
ヒロ「俺も自分のことで精いっぱいで」
ヒロ「二人とも、何も話さなくなって」
バルドは杯を机へ置いた。
バルド「親子だからって、何でも分かるわけじゃねえ」
低く、落ち着いた声だった。
バルド「家族だろうが、夫婦だろうが、言葉にしなきゃ伝わらんことはある」
ヒロ「……ですよね」
バルド「だが、話せなかったからって、お前だけが悪いわけじゃねえ」
ヒロ「父さんも悪くないと思います」
バルド「どっちが悪いか決める必要もないだろ」
バルドは皿から揚げた芋を一枚取り、口へ放り込んだ。
バルド「母親を亡くした十八のガキと、妻を亡くした男だ」
バルド「どっちも、どうすりゃいいか分からなかったんじゃねえか」
ヒロ「ガキって」
バルド「俺から見りゃ、十分ガキだ」
ヒロ「俺なりに、ちゃんとやってたんですけど」
バルド「知ってる」
バルドは迷わず言った。
ヒロは顔を上げる。
バルド「料理も掃除も、自分で覚えたんだろ」
バルド「この世界に放り出されても、泣き言ばかり言わず、戦うために訓練してる」
バルド「十分やってる」
まっすぐ褒められ、ヒロはどう返せばいいか分からなかった。
バルドは普段、訓練では厳しいことしか言わない。
肩の力を抜け。
足が止まっている。
剣筋がぶれている。
そんな言葉ばかりだ。
だからこそ、その一言が胸に残った。
ヒロ「……ありがとうございます」
バルド「礼を言われるようなことじゃねえ」
バルドは酒を杯へ注ぎ足した。
バルド「帰りたいか?」
ヒロ「帰りたいです」
バルド「なら、帰るためにできることをやれ」
ヒロ「訓練しろってことですか」
バルド「それもある」
バルドは窓の外へ視線を向けた。
バルド「強くなれば、行ける場所も増える。得られる情報も増える」
バルド「魔力蓄積石が必要なら、取りに行ける力をつけろ」
バルド「戻る方法があるなら、探し出せるくらいしぶとくなれ」
ヒロ「帰れますかね」
バルド「知らん」
ヒロ「そこは帰れるって言ってくださいよ」
バルド「無責任なことは言わん」
バルドは杯を傾けた。
バルド「だが、諦めるには早すぎる」
ヒロは黙って、その言葉を聞いた。
バルド「帰れたら、親父さんと話せばいい」
ヒロ「何を話せばいいと思います?」
バルド「そんなもん、自分で考えろ」
ヒロ「相談に乗ってくれたんじゃないんですか」
バルド「そこまで面倒見切れるか」
バルドは笑った。
バルド「言いたいことを言えばいい。心配したか。寂しかったか。何で何も言わなかったのか」
バルド「言葉にしなきゃ分からんぞ」
ヒロ「……はい」
もし帰ることができたら。
父親へ何を言うのか。
今はまだ分からない。
けれど、何も言わずに以前と同じ生活へ戻ることだけはしたくなかった。
バルド「まあ、それまでは俺が鍛えてやる」
ヒロ「今の話の流れで、急に嫌な予感がしてきました」
バルド「安心しろ。死なない程度には加減する」
ヒロ「全然安心できないです」
バルド「死ななきゃ強くなる」
ヒロ「訓練の考え方が雑すぎません?」
ヒロが顔をしかめると、バルドは肩を揺らして笑った。
その笑い声を聞きながら、ヒロも少しだけ笑った。
バルドは父親ではない。
父親の代わりになるわけでもない。
それでも、この世界で頼れる大人が一人いる。
そう思えるだけで、少しだけ心が軽くなった。
夜が深くなるまで、二人の話は続いた。
訓練の話。
料理の話。
バルドが若い頃に起こした失敗の話。
ヒロは酒を飲まなかったが、最後まで付き合った。
皿の上の揚げた芋がなくなる頃には、胸の奥に溜まっていた重さも、少しだけ薄れていた。
◇
同じ頃。
王都の一角にある、豪華な屋敷。
厚いカーテンが窓を覆い、月の光さえ遮っている。
広い部屋には、いくつもの高価な調度品が並べられていた。
壁には精巧な彫刻が施され、床には深紅の絨毯が敷かれている。
だが、部屋の中は薄暗かった。
灯されているのは、机の上に置かれた数本の蝋燭だけだ。
その奥に、一人の人物が座っていた。
顔は暗闇に隠れ、見えない。
部屋の中央では、黒い服を身にまとった男が片膝をついていた。
使いの者「ご報告いたします」
椅子に座る人物は、机の上の杯を指先で弄びながら口を開いた。
目上の人物「話せ」
使いの者「最近、ミレイア領にあるノルン神殿跡で、異常な魔力反応が確認されました」
使いの者は頭を下げたまま、報告を続ける。
使いの者「異常が発生した直後、神殿跡から一人の少年が発見されています」
目上の人物「少年?」
使いの者「はい。素性は不明。所持品や服装も、王国内では確認されたことのないものだったとのことです」
杯を弄んでいた指が止まった。
使いの者「少年は現在、ミレイア領主の館で保護されています」
目上の人物「魔力反応との関係は」
使いの者「現時点では不明です。ただし、少年の魔力量は桁違いとの報告が入っております」
目上の人物「どの程度だ」
使いの者「測定具が限界に近い反応を示したと」
短い沈黙が落ちる。
使いの者「単純な魔力量だけであれば、王都騎士団の副団長を上回る可能性もあります」
目上の人物「属性は」
使いの者「重力属性です」
椅子に座る人物が、わずかに笑った。
目上の人物「重力か」
使いの者「いかがいたしましょう」
目上の人物「計画の副産物だろう」
その声には、驚きも焦りもなかった。
退屈な報告を聞いているような、冷たい響きだけがある。
目上の人物「余計な駒は必要ない」
杯が机の上へ置かれる。
目上の人物「始末しろ」
使いの者「かしこまりました」
使いの者は深く頭を下げた。
蝋燭の火が揺れ、壁に映る影が大きく歪んだ。
遠く離れたミレイアで、ヒロはまだ何も知らない。
自分の存在が、すでに誰かの目に留まっていることも。
そして、静かに命を狙われ始めたことも。




