7話:居候の仕事
訓練を始めてから、数日が過ぎた。
朝は日が昇る前に目を覚まし、領主館の裏手にある訓練場へ向かう。
まずは走り込み。
館の周囲を何周か走り、身体が温まったところで木剣を握る。
素振りを百回。
前へ踏み込み、剣を振る。
足を戻し、もう一度構える。
最初の頃は十回も振れば腕が重くなっていたが、少しずつ身体が動きに慣れてきた。
とはいえ、百回を終える頃には汗だくになり、腕もまともに上がらなくなる。
ヒロ「……九十八、九十九……百」
最後の一振りを終え、ヒロは大きく息を吐いた。
木剣の切っ先が地面へ落ちる。
ヒロ「きつい……」
毎日やれば慣れると思っていたが、そんなに甘くはなかった。
バルドからは、雑に振るくらいなら回数を減らせと言われている。
そのせいで、一回ごとに足の位置や腰の動きを意識しなければならない。
ただ振るだけよりも、ずっと疲れる。
素振りを終えると、次は重力魔法の訓練だ。
地面に座り込み、手頃な小石を一つ拾う。
掌の上に乗せ、目を閉じる。
身体の奥にある魔力を探り、それを指先へ集めていく。
重くする。
軽くする。
アリアに与えられた課題は、それだけだった。
だが、簡単な言葉ほど難しい。
小石へ魔力を流したつもりでも、何も起きないことの方が多い。
たまに石が揺れたり、掌の上でわずかに感触が変わることもある。
けれど、次に同じことをしようとしても再現できない。
ヒロ「……重くなれ」
意識を集中させる。
掌の上の小石が、ほんの少し沈んだような気がした。
ヒロ「今のは……成功か?」
確かめるように持ち上げてみる。
だが、いつもとの違いは分からない。
ヒロ「気のせいか……」
そう呟きながらも、ヒロは小石を置かなかった。
剣を振る。
魔力を流す。
失敗する。
休んで、また繰り返す。
バルドとアリアが館にいる日は、訓練の様子を見てもらうこともあった。
バルド「肩に力が入りすぎだ。剣を振るたびに全身を固めてどうする」
ヒロ「力を抜いたら、剣が飛んでいきそうなんですけど」
バルド「飛ばさねえ程度に抜け」
ヒロ「その加減が分からないんですよ」
バルド「だから練習するんだろうが」
バルドからは、毎回同じような注意を受けた。
アリアも厳しかった。
アリア「魔力を一度に流しすぎだ」
ヒロ「でも、少なくすると何も起きないんです」
アリア「何も起きないからといって、量を増やせばいいわけではない。お前の場合は、最初から出力が高すぎる」
ヒロ「高いなら、もっと何か起きてもよさそうですけど」
アリア「水を入れた樽を、蓋をしたまま傾けているようなものだ。力はある。だが、出口が分かっていない」
ヒロ「……俺の魔力、めちゃくちゃ使いづらそうですね」
アリア「使いづらいのは、お前の扱い方だ」
反論できなかった。
それでも、少しずつではあるが変化はあった。
素振りを百回終えても、初日ほど腕が震えなくなった。
走り込みの途中で足が止まることも減った。
小石が揺れる回数も、最初より増えている。
ほんのわずかな進歩だった。
けれど、それを積み重ねるしかなかった。
そんな日々を過ごす中で、ヒロには一つ気になることがあった。
領主館での生活だ。
部屋を与えられ、毎日食事を出してもらっている。
汚れた服は、いつの間にか洗濯されている。
寝具も定期的に整えられ、部屋の掃除までされていた。
もちろん、領主であるエドガーからは、気にする必要はないと言われている。
ヒロは保護されている立場だ。
魔物が現れる場所に、身一つで放り出された少年を外へ追い出すほど、エドガーは冷酷ではない。
それは分かっている。
分かってはいるが、ヒロの中にある居心地の悪さは消えなかった。
元の世界でも、父親が仕事で家を空けることは多かった。
母親が亡くなってからは、自分のことは自分でやってきた。
料理も、掃除も、洗濯も。
それが当たり前だった。
何もせずに世話をされ続ける生活は、どうにも落ち着かなかった。
ある日の朝。
訓練を終えて部屋へ戻る途中、ヒロは廊下の先から歩いてくるメイドの姿を見つけた。
大きな籠を両手で抱えている。
籠の中には、洗濯物が山のように積まれていた。
顔はほとんど隠れており、足元も見えていない。
廊下の角を曲がろうとしたところで、籠が大きく傾いた。
メイド「きゃっ……」
崩れかけた洗濯物を、ヒロは慌てて支えた。
ヒロ「大丈夫ですか?」
メイド「は、はい。ありがとうございます」
籠の陰から顔を出したのは、栗色の髪を後ろでまとめた若い女性だった。
ヒロより少し年上に見える。
これまで館の中で何度か姿を見かけたことはあったが、話したことはなかった。
ヒロ「これ、どこまで運ぶんですか?」
メイド「中庭です。これから干すところでして」
ヒロ「手伝います」
ヒロが籠へ手を伸ばすと、メイドは驚いたように目を瞬かせた。
メイド「いえ、そんな。ヒロ様にしていただくことではありません」
ヒロ「でも、一人じゃ大変ですよね」
メイド「これも仕事ですから」
ヒロ「俺、毎日ただで泊めてもらってるんです。少しくらい手伝わせてください」
メイドは困ったように眉を下げた。
メイド「ただで、という言い方は……ヒロ様は保護されているのですから」
ヒロ「俺からしたら、居候みたいなものです」
ヒロがそう言うと、メイドは少しだけ口元を緩めた。
メイド「ご自分で居候と言う方は、初めて見ました」
ヒロ「俺も言うことになるとは思いませんでした」
メイドは小さく笑ったあと、籠を持ち直した。
メイド「それでは、お言葉に甘えてもよろしいですか?」
ヒロ「もちろんです」
ヒロは籠の半分を受け取った。
見た目以上に重かったが、訓練の一環だと思えば苦にはならなかった。
中庭へ向かいながら、ヒロは隣を歩くメイドへ視線を向ける。
ヒロ「そういえば、名前を聞いてもいいですか?」
ソフィ「ソフィと申します。こちらの館で働かせていただいております」
ヒロ「俺は朝霧ヒロです」
ソフィ「存じております。ヒロ様のお話は、館の中でも有名ですから」
ヒロ「……どんな話ですか?」
ソフィ「神殿跡で突然見つかった、不思議な服を着た少年だと」
ヒロ「間違ってはいないですけど」
ソフィ「最近では、毎朝訓練場で倒れそうになりながら木剣を振っている、とも聞いています」
ヒロ「それ、誰が言ってたんですか」
ソフィ「騎士の皆様が」
ヒロ「見られてたのか……」
誰もいないと思っていたが、意外と見られていたらしい。
少し恥ずかしくなりながら、中庭へ出る。
洗濯物を干し終えたあと、ヒロはそのまま水汲みも手伝った。
翌日からも、訓練の合間を見つけては館の仕事へ顔を出すようになった。
廊下の掃除。
洗濯物を運ぶ。
井戸から水を汲む。
薪を厨房まで運ぶ。
最初は遠慮していたソフィも、数日経つ頃には自然とヒロへ仕事を頼むようになっていた。
ソフィ「ヒロ様、こちらの布を倉庫までお願いできますか?」
ヒロ「分かりました」
ソフィ「それが終わりましたら、休んでくださいね。朝から訓練もされているのでしょう?」
ヒロ「これくらいなら大丈夫です」
ソフィ「無理をする方は、皆様そうおっしゃいます」
ヒロ「アリアにも同じこと言われました」
ソフィ「では、副団長様の言うことを聞いてください」
穏やかな口調だったが、断れない雰囲気があった。
アリアとは違う種類の強さを感じる。
掃除や洗濯を手伝っているうちに、ソフィはヒロの手際の良さに気づいたらしい。
ある日、二人で客室の掃除をしていると、ソフィが感心したようにヒロの手元を見つめていた。
ソフィ「ヒロ様は、本当に慣れていらっしゃるのですね」
ヒロ「何がですか?」
ソフィ「掃除も洗濯もです。最初はお手伝いしていただくつもりでしたが、私より早いくらいです」
ヒロ「それはさすがに言いすぎですよ」
ソフィ「いいえ。先ほども、私が別の部屋を掃除している間に、こちらをほとんど終わらせてしまいましたし」
ヒロは手にしていた布を見下ろした。
ヒロ「元の世界では、ずっと自分でやってたので」
ソフィ「ご家族の方は?」
ヒロ「父さんはいます。でも、仕事で家を空けることが多くて」
ヒロは少し言葉を止めた。
母親のことを口にするのは、今でも少しだけ胸が痛む。
ヒロ「母さんは、二年前に亡くなりました」
ソフィの表情がわずかに曇った。
ソフィ「そうだったのですね……申し訳ありません」
ヒロ「謝らなくていいですよ。それからは、家事はほとんど俺がやってました。父さんも料理は全然できないので」
ソフィ「では、お料理もされるのですか?」
ヒロ「一応。毎日作ってたので」
ソフィ「それはすごいです。館の厨房でも働けてしまいそうですね」
ヒロ「この世界の料理は分からないですけど」
ソフィ「食材が違えば、難しいかもしれませんね」
そのときは、ただの世間話だった。
だが、この何気ない会話が、後に館中を驚かせる出来事につながることを、まだ誰も知らなかった。




