6話:剣と重力
朝、ヒロは少し早めに目を覚ました。
窓の外はまだ朝靄が残っていて、ミレイアの街も完全には目を覚ましていない。けれど、ヒロの頭は妙に冴えていた。
工房で聞いた話が、ずっと頭から離れない。
魔力蓄積石があれば、トランシーバーを動かせるかもしれない。
だが、その石がある鉱洞は危険地帯で、ネームドモンスターまで目撃されている。取りに行くなら、戦えるようにならなければならない。
守られているだけでは駄目だ。
ヒロは顔を洗い、貸し与えられた簡素な服に着替えると、まだ少し痛む肩を回しながら部屋を出た。
向かった先は、領主館の裏手にある訓練場だった。
けれど、訓練場に着いたヒロは思わず足を止めた。
騎士たちが慌ただしく動き回っていたからだ。
鎧を着込み、馬を引き、荷をまとめ、武器の確認をしている。今からどこかへ出るのは明らかだった。
その中心に、バルドとアリアの姿もある。
ヒロ「……あれ」
思わず声が漏れる。
バルドがこちらに気づき、片手を上げた。
バルド「おう、来たか」
ヒロ「訓練って今日からですよね?」
バルド「そのつもりだが?」
ヒロ「なんか、俺が思ってたのとだいぶ違うんですけど」
ヒロの言葉に、バルドが苦笑した。
バルド「そりゃそうだ。俺たちは騎士団だぞ。お前の専属教官じゃねえ」
ヒロ「……ですよね」
言われてみれば、その通りだった。
昨日は訓練の話ばかりしていたせいで、少し感覚がずれていたのかもしれない。バルドもアリアも、王都から派遣されてきた騎士団の中核だ。神殿周辺や北の森で魔物が凶暴化している今、むしろ暇な方がおかしい。
アリアが手甲を締めながら、淡々と口を開く。
アリア「今朝も北の森で魔物の目撃報告が入った。数も行動範囲も、ここ最近は明らかにおかしい」
ヒロ「やっぱり、神殿の件と関係あるんですか」
バルド「その可能性は高い。だから俺たちはミレイアに来てる」
バルドはそう言って、肩に担いだロングソードの位置を直した。
バルド「とはいえ、お前を放っておくわけにもいかん。石を取りに行くつもりなら、最低限戦えるようにならなきゃ話にならねえからな」
アリア「だから今日から訓練は始める。ただし、私たちは毎日付きっきりでは見られない」
ヒロ「じゃあ、どうするんですか」
アリア「自主訓練だ。私たちが空いた時間に確認し、修正する。その繰り返しになる」
ヒロは小さく息を吐いた。
少しだけ残念ではあったが、むしろその方が当然だろう。団長と副団長が毎日自分一人のために時間を割けるはずがない。
バルド「今日は出る前に、お前の訓練メニューだけ決める。よく聞いとけ」
そう言って、バルドは訓練場の隅に立てかけてあった木剣を指差した。
バルド「剣は毎日やれ。素振り百回、足運び、走り込み。まずは身体に剣の動きを覚えさせる」
ヒロ「百回……」
バルド「少ないくらいだ」
ヒロ「いや、全然少なくないですけど」
バルド「最初から千回やれとは言ってねえだろ。ありがたく思え」
ありがたく思うべきなのかは分からなかった。
バルドは木剣を一本手に取ると、その場で軽く構えてみせる。
バルド「昨日も少し見たが、お前は剣を腕だけで振ろうとしすぎる。肩に力が入ってるし、踏み込みも浅い」
そう言って、バルドは足を動かした。
一歩踏み込み、戻る。前へ出て、すぐに重心を引く。その動きは大柄な体格に似合わず滑らかで、無駄がなかった。
バルド「足運びはこうだ。前に出る、引く、横へずらす。まずは崩れないことを意識しろ。剣は腕で振るんじゃねえ。腰と足で振る」
ヒロ「はい」
バルド「最初は遅くていい。雑に百回振るより、きっちり百回やれ」
ヒロが頷くと、今度はアリアが足元の小石を一つ拾い上げた。
アリア「魔法の方は、これを使う」
そう言って、ヒロの掌に小石を置く。
アリア「重力属性は珍しい。文献も少ない。正直、私も手探りだ」
ヒロ「副団長でもですか」
アリア「私は雷属性だ。だが、魔力制御の基礎は同じだ。まずは自分の魔力を感じて、対象へ流す感覚を掴め」
アリアはヒロの手の中の小石を指差した。
アリア「最初の課題は、それを重くすること。次に軽くすること。ほんの少しでいい。まずは“変わった”と自分で分かる程度まで持っていけ」
ヒロ「重くする、軽くする……」
アリア「お前は出力だけなら高い。だが制御が雑だ。下手に力任せにやれば、石ではなく床を割るだけだ」
昨日の測定で、石板が異様な光を放ったのを思い出す。
あれだけでアリアより魔力量が多いかもしれないと言われたのだ。まだ実感はないが、扱いを間違えれば危険だというのは分かる。
ヒロ「成功の目安ってありますか」
アリア「石の重さが少し変わる。あるいは落ち方が変わる。まずはそこだ」
ヒロ「めちゃくちゃ地味ですね」
アリア「地味なこともできない奴が、派手な魔法を使えると思うな」
正論すぎて何も言えない。
バルドが横で笑う。
バルド「剣も魔法も、最初はそんなもんだ。安心しろ」
ヒロ「全然安心できないです」
ヒロがぼやくと、バルドは肩を揺らして笑った。
そのとき、訓練場の向こうから騎士の声が飛んできた。
騎士「団長! 出発の準備、整いました!」
バルドがそちらを振り返る。
バルド「おう、今行く!」
それから、ヒロへ視線を戻した。
バルド「俺たちは北の森へ行く。戻ったら時間があれば少し見てやる。それまでは今言ったことを反復しろ」
アリア「サボるなよ」
ヒロ「……はい」
アリア「あと、無茶もするな。魔力制御に慣れていないうちは、暴発の方が怖い」
ヒロ「分かりました」
アリアはそれ以上何も言わず、踵を返した。白銀の鎧が朝の光を受けてきらりと光る。
バルドも騎士たちの方へ歩きながら、片手をひらひらと振った。
バルド「素振り百回終わったくらいで満足するなよー」
ヒロ「百回で満足する気満々だったんですけど!」
バルド「甘えんな!」
豪快な笑い声を残して、バルドたちは訓練場を後にした。
騎士団の一団が領主館の門を抜けていくのを、ヒロはしばらくその場で見送った。
自分だけが取り残されたみたいな気分になる。
けれど、それは当たり前だ。
あの人たちは仕事に向かった。魔物と戦い、この街を守るために。
自分はまだ、その背中を見送ることしかできない。
ヒロ「……守られてるだけじゃ、駄目だよな」
ぽつりと呟いて、ヒロは木剣を手に取った。
思っていたより重い。昨日も感じたが、やっぱり簡単に振れる代物じゃない。
それでも、やるしかない。
ヒロはバルドに言われた通り、構えを作った。足の位置を整え、肩の力を抜く。腰を少し落とす。
ヒロ「こう、だったよな……」
見よう見まねで、木剣を振る。
ぶん、と空気を切る音が鳴る。二回、三回と振っていくうちに、すぐ腕が重くなってきた。
十回目で、もうきつい。
ヒロ「百回って、マジかよ……」
思わず呟きながら、それでも振り続ける。
汗が滲む。手のひらが痛い。足元もふらつく。それでも止めるわけにはいかなかった。
ようやく百回終えた頃には、腕が鉛みたいに重くなっていた。
そのまま石畳に座り込みたくなったが、次は魔法だ。
ヒロは荒い息を整えながら、小石を一つ拾った。
重くする。軽くする。
言葉にすると簡単なのに、やることはまるで見えない。
ヒロは小石を掌に乗せ、目を閉じた。
昨日、測定具に触れたときの感覚を思い出す。身体の奥にある熱のようなもの。胸の奥、腹の底、血の流れに紛れている何か。
それを手の先へ集め、小石へ流し込む。
……何も起きない。
ヒロ「そりゃ、いきなり上手くはいかないか」
苦笑しながら、もう一度試す。
重くなれ、と意識する。沈めるように、押しつけるように。
今度は、小石が手からぽろりと落ちた。
ただ落ちただけだ。何かが変わった感じはしない。
ヒロは眉を寄せて、小石を拾い直す。
ヒロ「軽くする、の方がいいのか……?」
今度は逆を意識する。
持ち上げるのではなく、重さを抜く。地面に引かれる力を、少しだけ弱める。
何度も試す。何も起きない。たまに指先がじんと熱くなるだけだ。
それでも諦めずに続けていた、そのときだった。
掌の上の小石が、ほんの少しだけ揺れた。
ヒロ「……え?」
気のせいかと思った。
けれど、たしかに揺れた。風もないのに、小石がかすかに転がりかけたのだ。
ヒロは息を止めた。
ヒロ「今の……」
もう一度。
同じ感覚をなぞる。胸の奥の熱を、手の先へ流す。押しつけるんじゃない。重さを抜くように、そっと。
だが今度は何も起きなかった。
ヒロ「くそ……」
思わず小さく悪態が漏れる。
でも、完全な空振りじゃなかった。
ほんの一瞬。たぶん他人が見たら見逃す程度の変化だ。それでも、たしかに自分の力が小石に触れた気がした。
できるかもしれない。
そう思えただけで、少しだけ胸が軽くなる。
ヒロは木剣と小石を見比べて、それから空を見上げた。
バルドもアリアも、今頃は北の森で魔物と戦っているかもしれない。
自分はまだ、その場に立つことすらできない。
でも、いずれは行かなきゃいけない。
魔力蓄積石を取りに行くためにも。
そして、もう一度トランシーバーを鳴らすためにも。
ヒロ「……やるしかないか」
ヒロはもう一度、小石を握り直した。
剣を振る。魔力を流す。失敗する。もう一度やる。
地味で、泥くさくて、すぐに強くなれるわけでもない。
それでも、その積み重ねの先にしか道はない。
ヒロは再び木剣を構えた。
その一歩はまだ頼りなく、ぎこちなかった。
けれど確かに、異世界で生き抜くための一歩だった。




