4話:はじめての魔法
翌朝、ヒロはまだ少し痛む身体を起こしながら、中庭の訓練場へ向かっていた。
工房で聞いた魔力蓄積石のことが、頭から離れない。
危険な洞窟。ネームドモンスター。
そして、沈黙したままのトランシーバー。
あれをもう一度鳴らすためには、強くならなければならない。
訓練場には、すでにバルドとアリアが待っていた。
バルド「おう、来たか。逃げなかっただけ偉いぞ」
ヒロ「逃げたらリゼットに馬鹿にされそうなんで」
バルド「ははっ、そりゃいい」
バルドが豪快に笑う横で、アリアは腕を組んだままヒロを見た。
アリア「体調は」
ヒロ「だいぶマシです」
アリア「今日は本格的な訓練というより、お前の適性を見る」
ヒロ「適性?」
アリア「剣の腕、体力、魔力量、属性。何ができて何ができないかを把握しないと、教えようがない」
なるほど、とヒロは頷く。
バルドが足元に立てかけてあった木剣を一本放ってよこした。慌てて受け取ると、見た目よりずっと重い。
バルド「まずは剣だ。構えてみろ」
ヒロ「はい……って、重っ」
バルド「剣を振るんだ。軽かったら困るだろ」
ヒロは見よう見まねで木剣を構えた。右手を前に、左足を引く。映画やゲームの記憶を頼りにした、かなり怪しい構えだ。
案の定、バルドが眉をひそめた。
バルド「ひでえな」
ヒロ「やっぱりですか」
バルド「まあ、完全に素人だな。でも変な癖がない分、逆にいい」
バルドはヒロの肩に手を置き、姿勢を直す。
バルド「もっと腰を落とせ。肩に力が入りすぎだ。剣を振るっていうより、剣に振られてるぞ」
ヒロ「うっ……」
バルド「あと、お前、少しは体を使えるな」
ヒロ「え?」
バルド「足腰が死んでねえ。家で何かしてたか?」
ヒロ「家事は一通りしてました。料理とか掃除とか」
バルド「なるほどな。何もしねえ奴よりは動けるわけだ」
母が亡くなってから、家のことはほとんど自分でやってきた。まさかこんなところで役に立つとは思わなかった。
バルド「よし、振ってみろ。思いきりだ」
ヒロは木剣を握り直し、言われた通り振り下ろした。
空気を切る音はしたが、体勢はぶれぶれだ。振り抜いた瞬間、足元がよろけて危うく転びそうになる。
バルド「うん、ひでえ」
ヒロ「二回言いましたよね」
バルド「だが筋は悪くねえ。少なくとも、怖がって剣を止めるタイプじゃない」
そのあとも何度か素振りと踏み込みをさせられたところで、ヒロの腕は早くも悲鳴を上げ始めた。
ヒロ「きつ……っ」
バルド「まだこれからだぞ」
ヒロ「嘘でしょ」
バルド「嘘じゃねえ」
容赦がない。
それでも、バルドはただ鍛えているだけではなく、ちゃんとヒロの動きを見て修正してくれていた。
しばらくして、ようやく木剣を下ろす許可が出る。
バルド「剣はこんなもんだな」
ヒロ「こんなもんで済ませていい疲労じゃないんですけど」
バルド「力は弱いが、動きは悪くない。鍛えりゃそれなりになる」
その言葉に、ヒロは少しだけ肩の力を抜いた。
まったく駄目というわけではないらしい。
アリア「次は魔法だ」
アリアが訓練場の端に置かれていた石板の前へ移動する。中心に青い石が埋め込まれた、丸い板のようなものだ。
ヒロ「それ、何ですか」
アリア「簡易の測定具だ。手を置いて魔力を流すと、量と属性の傾向が分かる」
ヒロ「便利ですね」
アリア「万能ではない。目安だ」
アリアに促され、ヒロは石板の前に立った。
アリア「手を置け」
ひんやりとした石の感触が掌に伝わる。
ヒロ「で、どうすれば」
アリア「魔力を流すイメージをしろ」
ヒロ「その魔力が分からないんですけど」
アリアが一瞬だけ黙る。
アリア「……そうだったな」
ヒロ「そこ忘れるんだ」
アリア「お前の中にある力を外へ押し出す感覚だ。息を吐くように、意識を先へ向けろ」
ヒロ「感覚派すぎる……」
ぼやきながらも、ヒロは目を閉じた。
身体の中を探るように意識を巡らせる。すると、胸の奥や腹の底に、じんわりと熱のようなものがある気がした。
それを押し出すように意識した瞬間だった。
石板が、眩しく光った。
ヒロ「うわっ!?」
思わず手を離す。
青白い光が石板全体を走り、中心の石が激しく明滅する。
訓練場が一瞬静まり返った。
バルド「……おい、壊れてねえよな?」
アリア「壊れてはいない」
アリアの声が、わずかに低い。
ヒロ「え、何ですか。その反応」
バルド「多いな」
ヒロ「何がです?」
バルド「魔力だ」
ヒロは思わずアリアを見る。
アリア「かなり多い。少なくとも、初めて測定する人間の量じゃない」
ヒロ「そんなにですか」
アリア「騎士団員の平均は軽く超えている」
バルド「お前と比べるとどうだ、アリア」
アリアは少しだけ間を置いた。
アリア「……単純な量だけなら、私より上かもしれん」
ヒロ「えっ」
思わず変な声が出た。
昨日まで普通の高校生だった自分が、騎士団副団長より魔力が多い。冗談みたいな話だ。
バルド「世界を渡った影響かね」
アリア「その可能性はある」
ヒロ「そんなあっさり受け入れるんですか」
バルド「他に説明がつかねえからな」
バルドは肩をすくめる。
アリア「量だけではない。次は属性を見る。もう一度だ」
ヒロ「またやるんですか」
アリア「やる」
ヒロは渋々もう一度石板へ手を置いた。
今度はさっきより慎重に、ゆっくりと魔力を流す。すると、中心の石が淡く光り、周囲の紋様へ色が広がっていった。
赤でも青でもない。白銀に近い奇妙な光。
しかもその光は、石板の上を這うように沈み込んでいく。
バルド「見たことあるか?」
アリア「文献でなら」
アリアは石板を見つめたまま言った。
アリア「お前の属性は、重力系だ」
ヒロ「重力……?」
聞き慣れない単語に、ヒロは目を瞬かせる。
ヒロ「そんな属性あるんですか」
アリア「珍しいが、存在はする。物体にかかる重さや落下、圧力に干渉する属性だ」
ヒロ「なんか……強そうですね」
バルド「使いこなせればな」
バルドがにやりと笑う。
バルド「敵だけ重くして動けなくしたり、自分を軽くして飛び回ったり、考えようはいくらでもある」
ヒロ「そんなことまでできるんですか?」
アリア「理屈の上ではな。だが今のお前には無理だ」
即答だった。
ヒロ「ですよね」
アリア「そもそも魔力を流す感覚すら曖昧だろう」
ヒロ「はい……」
完全に見抜かれている。
実際、さっきの感覚だって偶然に近い。
ヒロ「じゃあ、魔法ってどうやって使うんですか」
ヒロが聞くと、アリアは訓練場の端に落ちていた木片を拾い上げた。
アリア「見ていろ」
アリアが木片へ指先を向ける。ぱちり、と青白い火花が散った次の瞬間、細い雷が走り、木片を正確に撃ち抜いた。
乾いた音とともに、木片が弾け飛ぶ。
ヒロ「おお……」
何度見ても格好いい。
アリア「これが放出魔法だ。この世界の魔法は基本的に、魔力を練り、属性に変換し、外へ放つ」
ヒロ「なるほど……」
アリア「だが重力属性の場合、火や雷のように分かりやすく飛ばすとは限らない。対象へ圧力をかけるか、自分へ作用させるか、やり方を探る必要がある」
ヒロ「めちゃくちゃ難しそうですね」
アリア「難しい」
きっぱり言われた。
アリア「しかも、お前は魔力量だけは無駄に多い。制御を誤れば、自分か周囲を潰しかねん」
ヒロ「怖いこと言わないでください」
アリア「事実だ」
ヒロは顔をしかめる。
でも、不思議と嫌な気はしなかった。
難しくても、使えるかもしれない力がある。何もないより、ずっといい。
ヒロ「じゃあ、まずは何からやればいいんですか」
ヒロの問いに、バルドが先に答えた。
バルド「剣は基礎体力と素振りだな。足腰を作る。お前はまだ細い」
アリア「魔法は、まず魔力を感じて動かす練習だ。いきなり重力操作なんて高等なことはやらせん」
ヒロ「地味ですね」
アリア「当然だ」
ヒロ「ちょっとくらい派手な魔法を期待してたんですけど」
アリア「却下だ」
即答に、バルドが吹き出した。
バルド「まあそう落ち込むな。地味な訓練を積んだ奴ほど、あとで強くなる」
ヒロ「それ、励ましになってます?」
バルド「たぶんな」
ヒロは苦笑した。
不安はある。むしろ不安だらけだ。
魔力量が多いと言われても実感はないし、重力属性なんてものを本当に使いこなせるのかも分からない。
それでも、昨日よりは確実に前へ進んでいる気がした。
トランシーバーを直すために必要な石がある。
そのために強くなる道筋も、少しだけ見えた。
アリア「明日またここへ来い。訓練の方針を伝える」
ヒロ「はい」
バルド「逃げるなよ、ヒロ。初日で音を上げたら、工房の赤髪娘に笑われるぞ」
ヒロ「それは嫌ですね……」
バルド「だろう?」
ヒロは木剣を見下ろし、それから自分の手を見た。
昨日まで、ただの高校生だった手だ。
料理をして、掃除をして、映画を見て、時々学校で嫌な思いをして。そんな毎日を送っていたはずの手。
その手で、これから剣を握り、魔法を覚える。
妙な話だと思う。
でも、もう笑って流せる場所にはいない。
ヒロ「やります」
自分で口にすると、不思議と腹が決まった。
バルドが満足そうに頷く。
バルド「よし。じゃあ今日はもう終わりだ」
ヒロ「え、もう?」
バルド「怪我人にいきなり詰め込みすぎても続かん」
ヒロ「もっと地獄みたいにやるのかと思ってました」
バルド「明日からはそうだぞ」
ヒロ「やっぱり地獄じゃないですか!」
バルドが豪快に笑い、アリアが小さくため息をつく。
そのやり取りに混ざりながら、ヒロは空を見上げた。
異世界の青空は、今日も見慣れない色をしている。
でも昨日より少しだけ、そこに立っている自分が現実に思えた。
強くなる。
この世界で生きるために。
そして、もう一度あのトランシーバーを鳴らすために。
そのための一歩が、ようやく始まったのだ。




