3話:異世界電池
朝食を終えたあと、ヒロは机の上のトランシーバーを見つめていた。
電源は入らない。ノイズも返ってこない。
裏蓋を開ければ、中には古い乾電池が二本入っているだけだ。
ヒロ「……やっぱり、これが原因だよな」
小さく呟いたところで、扉が叩かれた。
アリア「起きているな」
返事を待たずに、アリアが部屋へ入ってくる。
今日も青い短髪と白銀の鎧は隙がない。
アリア「団長と領主殿の許可が下りた。街へ出るぞ」
ヒロ「街?」
アリア「ミレイアの工房だ。お前の通信具を見せる。直せる保証はないが、何もしないよりはいい」
ヒロはすぐにトランシーバーを掴んだ。
ヒロ「お願いします」
アリア「期待しすぎるな」
ヒロ「ゼロよりはいいです」
ヒロがそう答えると、アリアは短く息を吐いた。
アリア「……来い」
アリアに連れられ、ヒロは領主館の門を出た。
ミレイアは、領主館を中心に広がる地方都市だった。
石畳の通りの両脇には、木と石で造られた建物が並んでいる。パンの焼ける匂いが漂う店、軒先に果物を並べた露店、荷車を押して歩く男たち。
遠くでは鐘の音が鳴り、朝の市場にはすでに多くの人が集まっていた。
異世界だと頭では分かっていたはずなのに、こうして人々が暮らす街並みを見ると、その実感が急に強くなる。
ヒロ「……ほんとに、別の世界なんだな」
アリア「今さらだな」
ヒロ「いや、昨日までは遺跡と領主館しか見てなかったんで」
道行く人々が、ちらちらとこちらへ視線を向ける。
白銀の鎧を纏ったアリアと、その隣を歩く見慣れない黒髪の少年。目立たない方がおかしい。
アリア「よそ見をして転ぶなよ」
ヒロ「そこまで子供じゃないです」
アリア「どうだかな」
そんなやり取りをしているうちに、二人は大通りから少し外れた一角へ辿り着いた。
そこには周囲の建物より一回り大きな工房があった。
建物の前には、剣と槌を組み合わせた看板が掲げられている。開け放たれた扉の奥からは、金属を打つ音と熱気が流れ出していた。
アリア「ここだ」
中へ入った瞬間、熱と鉄の匂いが一気に押し寄せてくる。
作業台、工具、打ちかけの剣や槍、見たことのない鉱石。壁際には鎧まで並んでいて、いかにも鍛冶工房という雰囲気だった。
???「おう、来たか」
最初に声をかけてきたのは、五十歳ほどの男だった。
背丈はバルドより低いが、肩幅は人間より一回り広い。革のエプロンから覗く腕には、長年金槌を振るってきた職人らしい筋肉が刻まれている。
口元には立派な髭を蓄え、どっしりとした体格からは、人間とは少し異なる力強さが感じられた。
アリア「この工房の主、ギデオンだ。人間とドワーフのハーフで、ミレイア領でも指折りの鍛冶師だ。騎士団の武器や防具も任せている」
ギデオン「よろしくな、若造」
ヒロ「朝霧ヒロです。よろしくお願いします」
リゼット「最初から若造呼ばわりって、言い方が雑なんだよ、お父さん」
横から呆れた声が飛んできた。
赤い長髪を高い位置で結んだ少女だった。
年はヒロと同じくらいだろう。背丈は少し低めだが、つり気味の瞳には、父親とよく似た職人らしい鋭さが宿っている。
アリア「こっちは娘のリゼットだ」
リゼット「リゼット。よろしく」
ヒロ「よろしく」
そう言ったわりに、歓迎しているような顔ではない。
ただし、その視線はヒロではなく、ヒロが手にしているトランシーバーへ向けられていた。
ギデオン「こいつはドワーフの血が四分の一だからな。見た目はほとんど人間だが、背丈だけはちぃと控えめだ」
リゼット「余計な説明しないでくれる?」
ギデオン「事実だろうが」
リゼット「今それ言う必要あった?」
親子のやり取りに、ヒロは思わず苦笑した。
リゼット「それが、その通信具?」
ヒロ「うん」
ヒロが差し出すと、リゼットが真っ先に受け取った。
リゼット「へえ……」
リゼットはトランシーバーをくるくると回し、アンテナを伸ばしたり、側面のボタンを押したりする。
裏蓋を開け、中の構造まで覗き込んだ。
その目つきは、珍しい玩具を眺める少女のものではない。
未知の技術を前にした職人の目だった。
リゼット「魔道具じゃないわね」
ヒロ「分かるのか?」
リゼット「見ればね。普通の魔道具なら、魔石か術式が組み込まれてる。でも、これはどっちもない」
ギデオンも横から覗き込む。
ギデオン「妙に精巧だな。部品も小せえ。こんな細工は見たことがねえ」
ギデオンの目が、わずかに楽しそうに細められる。
ギデオン「面白えじゃねえか」
ヒロ「面白いんですか?」
ギデオン「鍛冶師ってのはな、知らねえ道具ほど燃えるもんなんだ」
ギデオンは豪快に笑った。
ギデオン「で、これは何をする道具なんだ?」
ヒロ「遠くにいる相手と話すための道具です」
ギデオン「声を飛ばすのか?」
ヒロ「はい。ただ、今は動かなくて」
ギデオン「壊れてるのか?」
ヒロ「たぶん、電池切れです」
ギデオン「でんち?」
リゼット「でんち?」
親子が揃って首を傾げる。
ヒロはリゼットからトランシーバーを受け取り、裏蓋を開けて中の乾電池を見せた。
ヒロ「これです。電気を蓄えておく部品で、これが空になると道具が動かなくなります」
リゼット「電気って何?」
ヒロ「雷に近い力かな。でも、もっと小さくして、道具を動かすために使うっていうか……」
リゼット「雷を、この小さい筒に閉じ込めてるの?」
ヒロ「ざっくり言えば、そんな感じ」
正確な説明ではないと思うが、少なくともリゼットは話の筋を追えているらしい。
彼女は乾電池を指先で転がしながら、じっと観察した。
リゼット「その“でんち”が空になったから、動かないわけね」
ヒロ「たぶん」
リゼット「……これ、使い切ったあとに、もう一回力を流し込めないの?」
ヒロは少し驚いた。
リゼットはただ面白がっているだけではない。短い説明だけで、電池の役割をかなり正確に捉えていた。
ヒロ「俺も同じことを考えて、アリアさんに相談したんだ。雷魔法でどうにかならないかって」
名前を出されたアリアが、淡々と口を挟む。
アリア「私は不可能だと言ったわけではない。私の雷魔法を直接流し込めば、道具を壊す可能性が高いと説明しただけだ」
ギデオン「お前の雷は威力が高すぎるからな」
アリア「それ以前に、ヒロの言う電気と、私の雷魔法が同じ性質とも限らん」
リゼット「まあ、その小さい筒にアリアの雷を撃ち込んだら、普通に破裂しそうだけど」
ヒロ「やっぱりそうなるよな……」
リゼットは乾電池を見つめたまま、考え込む。
リゼット「でも、やりたいことは分かった。要するに、力を溜めておける小さなものが必要なんでしょ?」
ヒロ「そう。そこから少しずつ力を出して、この道具を動かしたい」
リゼット「だったら……」
リゼットが父親へ顔を向ける。
ギデオンも同じことを考えていたらしく、太い腕を組んで頷いた。
ギデオン「魔力蓄積石だな」
ヒロ「魔力蓄積石?」
ギデオン「魔力を内部に溜めておける鉱石だ」
ギデオンは作業台の引き出しから、小さな青白い石を取り出した。
親指ほどの大きさで、内側から淡く光っているように見える。
ギデオン「ドワーフは昔から、鉱石や魔石を扱ってきた。その中には、魔力を溜め込める特殊な石がある」
ギデオンは石を指先で摘まみ、ヒロへ見せる。
ギデオン「ランタンや簡単な魔道具の補助動力に使う。あらかじめ魔力を入れておけば、必要な時に少しずつ取り出せる代物だ」
ヒロ「それなら、電池の代わりになるんですか?」
ギデオン「なるかもしれねえ、だな」
リゼット「そもそも魔力と電気が同じものかも分からないから、絶対とは言えない。でも、“力を溜めて少しずつ流す”って役割なら一番近いと思う」
ヒロの胸に、わずかな希望が灯る。
昨日までは、何をすればいいのかさえ分からなかった。
だが今は、試せるものが目の前にある。
ヒロ「じゃあ、その石を使えば……」
ギデオン「問題は質だ」
ギデオンは青白い石を作業台へ戻した。
ギデオン「これはランタン用の安物だ。出力も安定しねえ。お前の通信具は、見た目以上に繊細そうだからな」
太い指先で、トランシーバーの小さな部品を示す。
ギデオン「試すなら、もっと純度が高くて、出力の安定した蓄積石が欲しい」
ヒロ「質のいい石は、どこにあるんですか?」
そう聞いた途端、リゼットが露骨に嫌そうな顔をした。
リゼット「ミレイアから馬で一週間くらいの場所にある鉱洞」
ギデオン「昔は魔力蓄積石を掘っていた場所だ。今でも奥へ行けば、質のいい石が採れることがある」
ヒロ「だったら、そこへ行けば……」
ギデオン「話は最後まで聞け」
ギデオンの低い声に、ヒロは口を閉じた。
ギデオン「最近、その鉱洞の近くでユニークモンスターが目撃されてる」
ヒロ「ユニークモンスター?」
リゼット「稀に、同じ種族の中から異常に強い個体が生まれることがあるの。そういう特異な魔物を、ユニークモンスターって呼ぶのよ」
ヒロ「普通の魔物とは違うのか?」
リゼット「ずっと危険。縄張りを持ったり、周辺の魔物を従えたり、普通の個体にはない能力を持ってることもある」
ギデオン「今のミレイア周辺じゃ、魔物の凶暴化まで起きてる。腕に覚えのある冒険者でも、気軽に近づける場所じゃねえ」
ヒロは黙り込んだ。
希望は見えた。
けれど、その希望がある場所はあまりにも遠い。
馬で一週間。
しかも、危険な魔物がいる場所だ。
それでも、完全に手詰まりだった昨日までとは違う。
必要なものが分かった。
それがどこにあるのかも分かった。
ヒロ「……なるほど」
リゼット「なるほど、じゃないでしょ」
リゼットが呆れたように眉を寄せる。
リゼット「その顔、絶対ろくでもないこと考えてるでしょ」
ヒロ「顔に出てた?」
リゼット「分かりやすすぎるのよ」
ヒロは苦笑し、トランシーバーを握り直した。
ヒロ「石がそこにしかないなら、取りに行けるようになるしかないかなって」
リゼット「は?」
ヒロ「もちろん今すぐじゃない。今の俺じゃ無理なのは分かってる。でも、他の誰かに危険な場所へ行ってくれって頼むのも違うだろ」
ギデオンが鼻を鳴らした。
ギデオン「無茶を言う若造だ」
ヒロ「自覚はあります」
ギデオン「だが、諦める気もねえって顔だな」
ヒロ「……はい」
ギデオンはしばらくヒロを見つめたあと、口元をわずかに緩めた。
ギデオン「嫌いじゃねえぞ、そういうのは」
リゼット「お父さんまで煽らないでよ」
ギデオン「煽っちゃいねえ。職人として、客の覚悟を確認しただけだ」
リゼット「それを煽ってるって言うんじゃないの?」
リゼットはまだ何か言いたげにヒロを見ていたが、結局それ以上は何も言わなかった。
工房を出たあと、ヒロはアリアと並んで石畳の道を歩きながら考え続けていた。
魔力蓄積石。
危険な鉱洞。
ユニークモンスター。
どれも昨日までの自分とは無縁だったものだ。
けれど、手を伸ばさなければ何も変わらない。
アリア「本気なのか」
隣を歩いていたアリアが口を開いた。
ヒロ「さっきの話ですか?」
アリア「危険地帯へ行くつもりなのかと聞いている」
ヒロ「今すぐは無理です。でも、いつか行けるようにはなりたいです」
アリア「昨日まで魔物から逃げ回っていた人間の言葉とは思えんな」
ヒロ「俺もそう思います」
ヒロは苦笑した。
ヒロ「でも、元の世界に繋がる可能性があるものは、これだけなんです」
手の中のトランシーバーへ目を落とす。
沈黙したままの黒い通信機。
それでも、ヒロにとっては二つの世界を結ぶ、唯一の糸かもしれなかった。
領主館へ戻ると、正面玄関の近くでバルドと出会った。
バルド「おう。工房はどうだった?」
ヒロは足を止めた。
ヒロ「トランシーバーを動かせるかもしれないものが見つかりました」
バルド「ほう」
ヒロ「魔力蓄積石っていう石です。でも、質のいいものがある場所には、危険な魔物がいるらしくて」
バルドは黙って続きを待つ。
ヒロは一度息を吸い、バルドとアリアをまっすぐ見た。
ヒロ「団長、アリアさん。俺に戦い方を教えてもらえませんか」
バルドが目を丸くする。
アリアは予想していたのか、わずかに眉を寄せるだけだった。
ヒロ「ついてきてほしいとは言いません。石を取りに行くのも、まだずっと先になると思います」
ヒロは拳を握った。
ヒロ「でも、行ける可能性があるなら、行けるようになりたい。だから、強くなりたいんです」
しばしの沈黙のあと、バルドが口元を緩めた。
バルド「いい目をするようになったじゃねえか」
アリア「団長」
バルド「嫌いじゃねえぞ、そういうのは」
バルドはヒロの肩を軽く叩いた。
バルド「剣なら、時間がある時に俺が見てやる」
ヒロ「本当ですか?」
バルド「ただし、俺たちは魔物の異変を調べるために王都から派遣されてる。毎日お前に付きっきりにはなれん」
アリア「魔法も同じだ。基礎は教えるが、それ以外は自主訓練になる」
ヒロ「それでも十分です」
バルド「アリア。魔法の方は任せるぞ」
アリア「……承知しました」
あまりにすんなりと話が進み、ヒロの方が戸惑ってしまう。
ヒロ「本当にいいんですか?」
バルド「言い出したのはお前だろうが」
バルドは豪快に笑った。
バルド「死にたくないなら鍛える。帰りたいなら、なおさらだ。理由としては十分だろ」
アリアが冷静に付け加える。
アリア「礼を言うのはまだ早い。明日、お前の剣と魔法の適性を見る。話にならなければ、まずは身体作りからだ」
ヒロ「はい」
アリア「それと、今日は休め。昨日の傷が治ったわけではない」
ヒロ「……はい」
ヒロが素直に答えると、バルドが笑いを噛み殺した。
バルド「素直でよろしい」
ヒロは少しだけ恥ずかしくなり、目を逸らした。
それでも胸の奥には、昨日までなかった熱が灯っていた。
魔力蓄積石。
危険な鉱洞。
剣と魔法の訓練。
やるべきことが、ようやく見えてきた。
沈黙の向こうへ手を伸ばすために。
まずは、この世界で戦えるようにならなければならない。




