2話:沈黙したトランシーバー
朝霧ヒロが目を覚ましたとき、最初に見えたのは見知らぬ木目の天井だった。
ヒロ「……夢じゃなかったか」
身体を起こすと、背中と膝に鈍い痛みが走る。
昨夜の記憶が一気に蘇った。
停電。
鳴るはずのないトランシーバー。
見知らぬ遺跡。
魔物。
青白い雷を放つ女騎士。
ベッド脇の小机に、あのトランシーバーが置かれていた。
ヒロはすぐに手を伸ばす。
電源は入らない。
送信ボタンを押しても、ノイズ一つ返ってこなかった。
ヒロ「……電池切れか」
分かっていたはずなのに、胸の奥が重くなる。
そのとき、扉が開いた。
アリア「目が覚めたか」
入ってきたのは、昨夜の女騎士だった。
青い短髪。鋭い目。白銀の鎧。
昨日と変わらない、隙のない雰囲気だ。
ヒロ「アリアさん」
アリア「名前を覚えていたなら、意識は問題なさそうだな」
アリアはそう言って、水の入った杯を差し出した。ヒロが受け取ると、彼女は部屋の中を一瞥してから口を開く。
アリア「ここはミレイア領の領主館だ。レヴァンティア王国北東部、ミレイア領の中心地にある」
ヒロ「……やっぱり、日本じゃないんですね」
アリア「ニホン?」
聞き返すアリアを見て、ヒロはふと違和感に気づいた。
ヒロ「待ってください。なんで俺、普通に話せてるんですか」
昨夜からずっと会話が成立していた。
けれど相手は、どう考えても日本人じゃない。
アリアは少しだけ目を細めた。
アリア「魔力による言語補正だ」
ヒロ「言語補正?」
アリア「この世界には人間以外の種族も多い。言葉の違う者同士が意思疎通できるよう、魔力が意味を補正する。魔力を持つ者同士なら、会話の内容はある程度伝わる仕組みだ」
ヒロ「そんな都合のいい機能みたいなものが……」
アリア「便利ではあるが、万能じゃない」
アリアは部屋の棚に置かれていた本を一冊取り、ヒロへ開いて見せた。
並んでいたのは、見たこともない文字だった。
アリア「文字までは補正されない。読めるか?」
ヒロ「全然無理です」
アリア「だろうな」
ヒロは本を見つめたまま息を吐いた。
ヒロ「……会話は通じるけど、読み書きは無理ってことか」
アリア「そういうことだ」
異世界に来た実感が、また一段増した気がした。
そのとき、再び扉が開いた。
バルド「おう、起きたか」
入ってきたのは、昨夜ヒロを助けた大柄な男だった。
無骨な顔に豪快な雰囲気。腰には長剣。王都騎士団の団長、バルドだ。
バルド「体調が悪いところ悪いが、少し話を聞かせてもらうぞ」
ヒロは頷き、自分が家にいたこと、トランシーバーが鳴ったこと、それを手に取った瞬間に見知らぬ遺跡へ飛ばされたことを話した。
当然、自分でも荒唐無稽だと思う話だった。
アリアは腕を組んだまま、どこか疑うような目で聞いている。だがバルドは茶化しもせず、最後まで黙って聞いていた。
バルド「別の世界、か」
ヒロ「信じてもらえないですよね」
バルド「全部をそのまま信じる気はねえ」
バルドは腕を組んだまま言う。
バルド「だが、お前がノルン神殿跡に現れたのも事実だ。あの場所は最近妙なことが続いてる」
ヒロ「妙なこと?」
アリアが引き取る。
アリア「神殿周辺と北の森で、魔物の凶暴化が起きている。数も増えている。私たち王都騎士団は、その原因を調べるためにミレイア領へ派遣された」
ヒロ「王都から……」
アリア「ここは本来、私たちの拠点じゃない。領主殿の館を借りて滞在している」
つまり、自分は地方の領主の家に運び込まれたらしい。
スケールが大きいのか小さいのか、いまいち分からない。
アリア「お前がその異変と無関係とは、まだ言い切れん」
アリアの言葉に、ヒロは少しだけ表情を固くした。
ヒロ「俺が原因かもしれないってことですか」
アリア「可能性の話だ」
きっぱりと言われる。
否定はしてくれないらしい。
けれど、アリアの言い方は責めるというより、事実を整理しているだけに聞こえた。
バルドが一つ頷く。
バルド「だから、領主殿にも一応顔を見せてもらう。正体不明の客人を、勝手に館へ置いとくわけにもいかねえからな」
ヒロの顔を見て、バルドが少しだけ笑う。
バルド「そう怖がるな。食われはせん」
ヒロ「そこを基準に安心しろって言われるの、だいぶ嫌なんですけど」
ヒロがそう返すと、バルドは豪快に笑った。
その後、着替えを済ませたヒロは、バルドとアリアに連れられて領主館の応接間へ向かった。
館は石造りの城ではなく、大きな屋敷だった。廊下には厚い絨毯が敷かれ、壁には風景画や古びた剣が飾られている。いかにも“偉い人の家”という感じで、ヒロは少しだけ落ち着かなかった。
通された部屋には、一人の男がいた。
年は五十前後だろうか。上質な服を着た、痩せぎすの男だった。柔らかい笑みを浮かべているが、その目は妙に鋭い。
エドガー「初めまして、ヒロ殿。私はこのミレイア領を預かる、領主のエドガー・アークレイだ」
静かな声だった。
穏やかそうに見えるのに、なぜか油断できない。そんな雰囲気がある。
ヒロ「は、初めまして……」
思わず背筋が伸びる。
エドガーはヒロの様子を一通り眺めてから、バルドへ視線を向けた。
エドガー「神殿跡にいたというのは、この少年で間違いないのだね」
アリア「はい。魔物に襲われていたところを保護しました」
エドガーは再びヒロを見た。
エドガー「事情はバルド殿から聞いた。別世界から来た、という話もね」
ヒロ「……信じますか?」
思わずそう聞くと、エドガーは少しだけ口元を緩めた。
エドガー「すぐに信じるほど、私は夢見がちではないよ」
やっぱりそうだよな、と思う。
だがエドガーは続けた。
エドガー「だが、神殿跡に突然現れたという事実は無視できない。しかも今は、あの一帯で異変が続いている。ならば、無関係と決めつけるのも早計だろう」
穏やかな言い方なのに、内容はしっかり厳しい。
ヒロは小さく息を呑んだ。
エドガー「とはいえ、傷ついた子供を追い出すほど薄情でもないつもりだ」
エドガーは椅子にもたれ、指を組む。
エドガー「しばらくはこの館に滞在してもらおう。ただし、騎士団の監視下でだ。勝手な行動は慎んでもらう」
ヒロ「……分かりました」
断れる立場ではないし、むしろ屋根のある場所に置いてもらえるだけでもありがたい。
エドガーは頷いた。
エドガー「必要なものがあれば、騎士団を通して相談するといい。私も、神殿の件には少なからず興味があるのでね」
その一言に、ヒロは少しだけ引っかかった。
興味がある。
それはつまり、自分を“保護すべき迷子”としてだけ見ているわけではない、ということだ。
けれど今は、それを深く考える余裕はなかった。
挨拶を終え、部屋へ戻る途中、ヒロはようやく大きく息を吐いた。
ヒロ「めちゃくちゃ緊張しました……」
バルド「領主相手に突っ立ってられるだけ大したもんだ」
アリア「泣き出さなかっただけマシだな」
ヒロ「そこまで子供じゃないです」
そう返しながらも、少しだけ足がふらつく。精神的な疲労が一気に来たらしい。
部屋へ戻ると、バルドが扉の前で足を止めた。
バルド「今日は休め。頭も体も追いついてねえだろ」
ヒロ「……はい」
バルド「逃げようとは思うなよ。土地勘のない場所で迷った挙句、森に入って魔物に食われても知らん」
ヒロ「普通に止めてくださいよ」
バルド「止めてるだろ」
バルドはそう言って笑い、アリアとともに廊下を去っていった。
ひとり部屋に戻ったヒロは、すぐに机の上のトランシーバーへ手を伸ばした。
裏蓋を開く。中には古い乾電池が入っている。
ヒロ「これじゃ動かないよな……」
この世界に乾電池なんてものがあるはずもない。
けれど、アリアは雷を操っていた。
もし“電気に近い力”が存在するなら、何か代わりになるものを作れないだろうか。
ヒロはトランシーバーを握る。
前の世界と繋がる保証なんてない。
それでも、自分をこの世界へ連れてきたのがこれなら、試す価値はある。
まずは生きる。
この世界を知る。
そして、もう一度これを鳴らす。
ヒロは静かにそう決めた。




