39話:最後の所有者
翌日の午後。
ミナトとタスクは、榊原から指定された都内の住宅街を歩いていた。
昨夜から何度かヒロへ呼びかけているが、まだ一度も応答はない。
ミナト「ここで合ってんだろうな?」
タスク「住所は合っています。黒瀬君が途中で地図と反対へ曲がらなければ、もう少し早く着いていました」
ミナト「あの道、どう見ても駅のほうだっただろ」
タスク「だから駅に戻りかけたんです」
言い合いながら辿り着いたのは、背の低い塀に囲まれた古い一軒家だった。
呼び鈴を押すと、白髪交じりの男性が玄関から姿を見せる。
榊原「昨日、メールをくれた二人だね」
タスク「はい。突然のお願いを聞いていただき、ありがとうございます」
ミナト「ありがとうございます」
タスク「黒瀬君。今、僕に合わせましたね」
ミナト「同じこと言うんだからいいだろ」
榊原はわずかに眉を上げたものの、二人を家へ招き入れた。
通された部屋には、本棚へ収まりきらない資料が積み上げられていた。刀剣の写真や古びた目録の複写も、机の上にいくつも並んでいる。
榊原「それで、橘宗景の刀を調べているそうだが、実物はどこにあるんだ?」
ミナト「友達が持ってます」
タスク「説明を省略しすぎです」
榊原「友達が?」
タスク「僕たちは、その友人から茎に刻まれた銘を聞きました」
榊原「写真はあるかね?」
タスク「ありません」
榊原「では、ここへ持ってくることは?」
ミナト「それも無理です」
榊原の表情が険しくなる。
当然の反応だった。長年行方の分からない刀を友人が持っていると言いながら、写真一枚見せられない。
榊原「失礼だが、君たちの話をそのまま信じるのは難しい。昨日見つけた目録を見れば、銘を知ることは誰にでもできる」
ミナト「俺たちが銘を聞いたのは、その目録を見つける前です」
榊原「それを証明できる物は?」
ミナトは答えに詰まった。
トランシーバーの通信記録を聞かせるわけにはいかない。たとえ聞かせても、異世界と話している証明にはならないだろう。
タスク「今は、お見せできる物がありません」
榊原「ならば、せめて理由を聞かせてほしい。なぜ高校生の君たちが、そこまでして百年以上前の刀を追っている?」
タスクは言葉を選ぶように黙り込んだ。
その隣で、ミナトがまっすぐ榊原を見る。
ミナト「その刀を持ってる友達は、今、すげえ遠い場所にいるんです」
タスク「黒瀬君」
ミナト「自分の力じゃ帰ってこられない。あの刀は、そいつを帰す手掛かりになるかもしれないんです」
異世界という言葉だけを伏せた。それ以外は、嘘ではなかった。
榊原はしばらくミナトの顔を見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。
榊原「分かった。すべてを話す気がないことも含めて、何か事情があるらしい」
榊原は棚から一冊の分厚いファイルを取り出した。
中に綴じられていたのは、昨日見つけた京都刀剣品評会の目録とは異なる、手書きの記録だった。
榊原「これは、品評会を運営した刀剣会の控帳を複写した物だ。公刊された目録には刀の情報しかないが、こちらには出品者の名も残っている」
榊原が、色褪せた一頁を開く。
榊原「銘にある武州住人とは、刀を打った橘宗景が武州にいたという意味だ。刀はその後、京都の柏木家へ渡っている」
ミナト「刀鍛冶は武州で、持ち主は京都ってことか」
タスク「昨日説明したはずですが、ようやく理解したんですね」
榊原「品評会へこの刀を出した人物。そして、記録で確認できる最後の所有者は――柏木清十郎という剣士だ」
榊原の指先には、確かにその名が記されていた。
柏木清十郎。
明治三十一年京都刀剣品評会、出品者。
タスク「この人が、刀の持ち主……」
榊原「柏木家は京都に古くから続く家でね。清十郎は幼い頃から剣術を学び、相当な腕前だったそうだ。宗景の刀がいつ柏木家へ渡ったのかは分からないが、当時は清十郎の愛刀として知られていたらしい」
ミナト「この人が最後の所有者ってことは、清十郎が刀を手放したんですか?」
榊原「いや。翌年の明治三十二年、清十郎はその刀とともに行方をくらませている」
二人は同時に榊原を見た。
タスク「品評会の、翌年に?」
榊原「ああ。家を出たまま戻らず、大規模な捜索も行われた。しかし、手掛かりは何一つ見つからなかった」
榊原はファイルから、古い新聞記事の複写を取り出した。
不鮮明な写真の中に、袴姿の若い男が立っている。腰には、一本の刀が差されていた。
ミナト「これが清十郎?」
榊原「残っている写真は、私が知る限りこれだけだ」
記事には、京都の剣士が忽然と姿を消したことが短く記されていた。
金品や着替えを用意した形跡はなく、普段から使っていた刀だけが消えていたという。
ミナト「じゃあ、やっぱりこいつだ。清十郎が刀を異世――」
タスク「黒瀬君」
タスクが鋭く遮る。
ミナト「……どこか遠くへ持っていったんだ」
榊原「今、何と言いかけた?」
ミナト「何も言ってません」
タスク「言い切るには不自然な間がありましたよ」
ミナト「どっちの味方だよ」
榊原は怪訝そうに二人を見たが、それ以上は追及しなかった。
タスク「清十郎のあと、この刀に関する記録は?」
榊原「一度も見つかっていない。だから私は、失われた一振りとして長年調べてきた」
日本で消息を絶った剣士と、異世界の武器屋に残されていた刀。
二つの記録が、百年以上の時を隔ててつながった。
ミナト「清十郎の家族は、今も京都にいるんですか?」
榊原「本家は今も京都にある。ただ、清十郎の直系の子孫は、現在は川越で暮らしているよ」
タスク「川越なら、ここからでも行けますね」
ミナト「今から行こうぜ」
タスク「またですか。突然押しかけて、百年以上前に失踪した先祖の話を聞かせてくださいと言うつもりですか?」
ミナト「榊原さんの名前出せば、なんとかならないか?」
タスク「本人の前で勝手に名前を使おうとしないでください」
榊原は呆れたように笑うと、机の上の電話へ手を伸ばした。
榊原「以前、調査のために一度お会いしたことがある。私から連絡してみよう」
電話がつながると、榊原は柏木清十郎の刀について調べている高校生がいると説明した。
ミナトが聞き取ろうと身を乗り出し、タスクが無言でその肩を引き戻す。
榊原「明日の午後なら、話を聞いてくださるそうだ」
ミナト「ありがとうございます!」
タスク「助かります」
これで、刀を異世界へ持ち込んだかもしれない人物の家族に会える。
タスクが控帳の内容をノートへ書き写す横で、ミナトはもう一度、新聞の写真へ目を落とした。
ミナト「でも、清十郎は刀と一緒に消えたままなんですよね?」
榊原「いや。そうではない」
榊原は、静かに首を横へ振った。
榊原「柏木清十郎は、失踪したままではないんだ」
タスク「どういうことですか?」
榊原「行方をくらませてから、およそ十年後――清十郎は京都へ戻ってきている」




