29話:勇者
ミナトたちとの通信が繋がった翌朝。
ヒロは工房の2階で目を覚ますと、枕元に置いていたトランシーバーを見つめる。
昨夜、通信を終える前に、これからは毎晩決まった時間に連絡を取り合うと約束している。
ミナトとタスクは、元の世界で異世界や並行世界について調べると言っていた。
ヒロが消えた夜に起きた停電や、トランシーバーから検出された異常な周波数も、改めて調べ直すらしい。
すぐに帰る方法が見つかるとは思えない。
それでも、元の世界から自分を捜してくれる二人がいる。
その事実だけで、胸の奥にあった重みが少し軽くなっていた。
一階へ下りると、工房には焼いたパンの匂いが漂っていた。
アリアとリゼットは既に席へ着いている。
ボルガンはパンを齧りながら、一枚の紙を睨んでいた。
リゼット「おはよう。随分すっきりした顔してるじゃない」
ヒロ「そうかな」
リゼット「昨日までよりはね」
ヒロが席へ着くと、ボルガンが持っていた紙をテーブルの中央へ広げた。
バルグと、その周辺が描かれた簡単な地図だった。
ボルガン「朝から悪いが、お前たちに聞きたいことがある」
アリア「何だ」
ボルガン「中央大陸じゃ、今も魔物の異変が続いているのか?」
アリアは地図へ目を落としたまま、僅かに眉を寄せた。
アリア「ああ。少なくとも、私たちがミレイアを発つまでは収まっていなかった」
ボルガン「そうか……」
ヒロ「何かあったんですか?」
ボルガンの太い指が、地図に描かれたバルグから南へ動く。
そして、山あいに記された印の上で止まった。
ボルガン「ここから南へ行ったところに、ダンジョンがある」
ヒロ「ダンジョン?」
ボルガン「鉱石や魔物の素材が採れる場所だ。前までは、駆け出しの冒険者でも入れる程度だった」
だが、ここ一か月ほどで状況が変わったという。
大人しかった魔物が突然人を襲い、浅い階層でも怪我人が出るようになった。
普段なら奥にいるはずの強い個体まで、入口近くで目撃されているらしい。
リゼット「最近は工房に素材を持ってくる冒険者も減ってるの。無事に帰ってこなかった人もいるって」
アリア「一か月ほど前か」
アリアの視線がヒロへ向く。
それは、ヒロがこの世界へ転移してきた時期とほぼ重なっていた。
ヒロ「ミレイアの周りでも、同じ頃から魔物が凶暴化してましたよね」
アリア「ああ。ノルン神殿跡だけではない。各地で同様の報告が出ていた」
ボルガン「こっちも手をこまねいているわけじゃねぇ。ギルドも兵を出しているが、妙な魔物まで増えて手が足りん」
ボルガンは腕を組み、大きく息を吐いた。
ボルガン「中央大陸へも助けを求めた。だが、勇者は向こうの対応を優先していて、こっちまではなかなか来てくれねぇそうだ」
ヒロ「勇者?」
聞き慣れないはずのない言葉が、あまりにも当然のように出てきた。
ヒロは思わず身を乗り出す。
ヒロ「この世界には、勇者がいるんですか?」
アリアが僅かに目を見開いた。
アリア「そういえば、まだ話していなかったな」
アリアはカップを置くと、改めてヒロへ向き直った。
アリア「レヴァンティア王国では、王族の中で最も高い魔力を持つ者が勇者に選ばれる」
ヒロ「王族の中から?」
アリア「ああ。レヴァンティア王家には、代々強い魔力を持つ者が生まれる。王族以外の者が選ばれた記録はない」
ヒロ「勇者って、もっとこう……普通の人が突然選ばれるものだと思ってました」
リゼット「何よ、その普通の勇者って」
ヒロ「俺の世界では、物語の中にしかいないから」
剣を抜いた者が選ばれたり、女神に力を授けられたりする。
ヒロが知る勇者は、そんな存在だった。
アリア「現在の勇者は、第二王子レオンハルト・レヴァンティア殿下だ。王族の中でも抜きん出た魔力を持ち、剣の腕も王国随一と言われている」
ボルガン「凶暴化した魔物や、突然変異したユニークモンスターを討伐して、各地を回っているらしい」
ヒロ「第二王子が、自分で戦ってるんですか?」
アリア「それが勇者の役目だ。殿下が救った街や村は一つや二つではない」
アリアの話し方からも、レオンハルトが王国で高い信頼を得ていることが伝わってきた。
王族でありながら危険な土地へ赴き、民を守るために戦う。
まさに、ヒロが想像する勇者そのものだった。
ボルガン「立派な勇者様なのは分かっている。だが、中央大陸も異変続きじゃ、海を越えて来いとは強く言えん」
ボルガンの指が、再び地図の印を叩いた。
ボルガン「だからといって、ここの異変を放っておくわけにもいかねぇがな」
ヒロは地図を見つめる。
異変が始まった時期は、自分が転移した頃と重なる。
ミレイアだけでなく、海を隔てたドワーフの大陸でも魔物が凶暴化している。
偶然だと決めつけるには、あまりにも似すぎていた。
ヒロ「そのダンジョン、行ってみたいです」
リゼット「え?」
ヒロ「俺がこの世界へ来たことと、何か関係があるかもしれない。元の世界へ帰る手掛かりだって見つかるかもしれない」
アリア「調べる価値はある」
アリアは頷いたあと、壁際へ視線を向けた。
そこには、ヒロとアリアの武器が立てかけられている。
アリア「だが、今の装備で向かうのは無理だ」
グラナ鉱洞での戦闘と、その後の逃亡。
ヒロの剣は刃こぼれが目立ち、細かな亀裂まで入っている。
アリアの細剣や鎧も、領主館での戦いによって傷んだままだった。
ボルガン「その剣じゃ、魔物を斬る前に折れるぞ。細剣のほうも手入れだけじゃ足りん」
ヒロ「直せますか?」
ボルガン「俺を誰だと思ってやがる。直すだけならできる」
ボルガンは答えたあと、掌を上に向けた。
ボルガン「材料代を払えるならな」
ヒロは自分の懐へ手を入れた。
何もない。
財布どころか、この世界の硬貨を一枚も持っていなかった。
アリアも無言のまま小さく首を横へ振る。
ミレイアを逃げ出した時、金を持ち出す余裕などなかった。
ヒロ「異世界まで来て、金がなくて止まるとは思わなかった……」
アリア「装備にも食料にも金はかかる。どの大陸でも同じだ」
リゼット「そんな真顔で言わなくても」
ヒロ「何か、すぐに稼げる仕事はありませんか?」
ボルガンは少し考え、地図の上から手を退けた。
ボルガン「腕に自信があるなら、冒険者ギルドへ行け」
ヒロ「冒険者ギルド……」
ボルガン「登録すれば、魔物の討伐や素材採取の依頼を受けられる。お前たち二人なら、装備代くらいすぐに稼げるだろう」
アリア「この大陸で身分を証明するものも必要だ。登録しておいて損はない」
ヒロ「じゃあ、決まりですね」
まずは冒険者として金を稼ぎ、装備を整える。
そして、南のダンジョンで起きている異変を調べる。
ヒロの進むべき道が、再び一つ定まった。




