22話:出港
村へ入る前に、三人は森の中で馬を下りた。
このまま連れていけば、王国兵の馬だとすぐに気づかれる。
鞍と手綱を外し、馬を森へ放す。
ヒロ「ここからは歩きですか」
アリア「ああ。村では目立たない方がいい」
アリアは外套のフードを深く被った。
ヒロとリゼットも顔を隠す。
村は思っていたより賑やかだった。
漁を終えた男たちが網を片付け、女たちが魚を籠へ移している。
王都から遠いためか、兵士の姿は見当たらない。
リゼットが村の奥にある宿へ向かう。
小さな木造の建物で、入口には魚の絵が描かれた看板が下がっていた。
中へ入ると、暖かな空気と料理の匂いが三人を包む。
宿主「いらっしゃい」
宿主は三人の姿を見たあと、少し不思議そうな顔をした。
旅人が珍しいのだろう。
リゼット「三人で一晩泊まりたいんだけど」
宿主「部屋は二つ空いてるよ」
アリア「それで構わない」
金を払い、部屋を取った。
アリアとリゼットが一部屋。
ヒロが一部屋を使うことになった。
荷物を置いたあと、三人は一階の食堂へ降りた。
食堂には漁師や船乗りらしい男たちが何人も座っている。
酒を飲みながら、大声で笑っていた。
三人は入口から離れた隅のテーブルへ座った。
しばらくして、焼いた魚と野菜の煮込み、黒いパンが運ばれてくる。
久しぶりの温かい食事だった。
リゼット「美味しそう」
リゼットは煮込みを一口食べ、少しだけ表情を緩めた。
リゼット「温かい」
アリアも静かに食事を始める。
ヒロはスプーンを持ったまま、皿を見つめていた。
湯気が立っている。
いい匂いもする。
それでも、食べる気にはなれなかった。
アリア「食べろ」
ヒロ「……はい」
スープを一口だけ飲む。
身体へ温かさが広がった。
だが、それと同時に領主館での食事を思い出した。
ソフィが運んできた料理。
バルドと酒を飲みながら話した夜。
くだらない冗談を言って、笑っていた。
あの場所へは、もう戻れない。
ヒロはスプーンを置いた。
その時、少し離れたテーブルから声が聞こえてきた。
男「おい、聞いたか?」
男「何をだよ」
男「ミレイアの領主が殺されたって話だ」
ヒロの指が止まる。
アリアも食事の手を止めた。
男「領主だけじゃない。王都から来てた騎士団長も死んだらしいぞ」
男「また魔物か?」
男「いや、それが違うらしい」
男は酒の入った杯を傾け、声を少し落とした。
だが、静かな食堂では十分に聞こえた。
男「犯人は少年だって話だ」
男「少年?」
男「ああ。見慣れない黒髪の少年で、領主館に住み着いてたらしい」
ヒロの呼吸が止まる。
黒髪の少年。
それだけで、自分のことだと分かった。
男「恩を仇で返して、領主と騎士団長を殺したんだとよ」
男「怖い話だな」
男「王都からお触れも出るらしいぞ。見つけたら近づかずに兵士へ知らせろって」
身体の奥で、何かが音を立てて切れた。
バルドを殺したのは八星だ。
ソフィを殺したのも、王都から来た者たちだ。
それなのに、自分が犯人にされている。
命を懸けて守ってくれた人たちを、自分が殺したことになっている。
拳が震えた。
爪が手のひらへ食い込む。
男「どうせ化け物みたいな魔法でも使うんだろ」
男「少年の姿をした魔族かもしれないって話もあるぞ」
椅子が大きな音を立てた。
ヒロは立ち上がっていた。
リゼット「ヒロ?」
アリアが何か言うより先に、ヒロは食堂を出た。
冷たい夜風が顔へ当たる。
それでも足を止められなかった。
村の中を歩き、人気のない浜辺まで来る。
暗い海へ波が寄せては返す。
月明かりが、水面で細かく揺れていた。
ヒロは砂の上で立ち止まる。
ヒロ「……なんでだよ」
声が震える。
ヒロ「俺は何もしてない」
拳を強く握る。
ヒロ「殺されたのは、団長なのに」
ヒロ「ソフィさんだって……」
堪えていたものが、一気に溢れそうになる。
ヒロ「なんで俺が殺したことになってるんだよ!」
叫び声が、波の音へ消えていく。
目の奥が熱くなる。
ヒロ「俺が弱かったからか」
ヒロ「俺が何もできなかったから、こんなことになったのかよ」
もし自分がもっと強ければ。
八星を倒せるほど強ければ。
バルドもソフィも助けられた。
ギデオンを一人で残すこともなかった。
背後から、砂を踏む音が聞こえた。
アリア「ヒロ」
アリアとリゼットが立っている。
ヒロは顔を背けた。
ヒロ「……来ないでください」
アリア「それはできない」
ヒロ「少し、一人にしてほしい」
アリア「一人になれば、また自分を責めるだろう」
何も言い返せなかった。
アリアはヒロの隣まで歩いてくる。
同じように、暗い海を見つめた。
ヒロ「俺のせいにされてます」
アリア「ああ」
ヒロ「団長も、領主も、俺が殺したって」
アリア「あれは王都が作った嘘だ」
ヒロ「でも、みんな信じてる」
アリア「真実を知らないからだ」
ヒロ「じゃあ、どうすればいいんですか」
ヒロはアリアを見る。
ヒロ「俺が違うって言って、誰が信じてくれるんですか」
ヒロ「王都が嘘を言えば、それが本当になるんですか」
アリアはしばらく答えなかった。
やがて、低い声で言う。
アリア「今は、そうなる」
ヒロ「……」
アリア「だが、永遠には続かない」
ヒロ「どうして分かるんですか」
アリア「私が知っている」
アリアは真っ直ぐヒロを見る。
アリア「団長を殺したのがお前ではないことを、私は知っている」
アリア「領主も、ソフィも、お前が傷つけていないことを知っている」
アリア「リゼットも知っている」
リゼットが大きく頷いた。
リゼット「当たり前でしょ」
ヒロ「でも」
リゼット「私たちが知ってる」
リゼット「それじゃ足りない?」
ヒロは言葉を失った。
足りないはずがない。
それでも、胸の中の怒りは消えなかった。
ヒロ「悔しいです」
アリア「ああ」
ヒロ「団長たちを殺した奴らが、何もなかったみたいに隠れてる」
ヒロ「それで俺だけが犯人にされるなんて」
アリア「私も悔しい」
アリアの手も、強く握られていた。
アリア「団長は、最後まで私たちを守った」
アリア「その死を、王都の都合で利用された」
静かな声だった。
だが、その奥にはヒロより深い怒りがある。
アリア「私も許せない」
ヒロはアリアの横顔を見る。
アリアもバルドを失った。
それでも、今まで感情を表へ出さなかっただけだ。
リゼットがヒロの反対側へ並ぶ。
リゼット「お父さんがよく言ってた」
ヒロ「何を?」
リゼット「壊れたものは直せばいいって」
リゼット「剣でも、鎧でも、道具でも」
リゼットは一度言葉を切った。
リゼット「でも、直すのを諦めたら、それで終わりだって」
ヒロ「……ギデオンさんらしいな」
リゼット「でしょ」
リゼットは少しだけ笑った。
けれど、すぐに顔を伏せる。
リゼット「私だって、お父さんのことが心配」
リゼット「今すぐ戻りたいくらい」
ヒロ「……」
リゼット「でも、お父さんが行けって言ったから行く」
リゼット「全部終わったら、絶対に迎えに戻る」
ヒロは暗い海を見る。
バルドとソフィは、もう戻らない。
それでも、二人が守ってくれた命は残っている。
ここで立ち止まれば、その命まで無駄にしてしまう。
ヒロ「俺も、戻りたい」
アリア「ああ」
ヒロ「戻って、全部本当のことを明らかにしたい」
声はまだ震えていた。
悲しみも怒りも消えていない。
それでも、さっきまでとは違っていた。
自分を責めるだけの痛みが、進むための怒りへ変わり始めている。
アリア「なら、生き延びろ」
アリア「強くなれ」
アリア「今の私たちでは、八星には勝てない」
ヒロ「分かってます」
アリア「ドワーフの地へ渡り、力をつける」
アリア「そして、必ず戻る」
ヒロは強く頷いた。
ヒロ「はい」
翌朝。
まだ空が薄暗い時間に、三人は宿を出た。
村の港には、荷物を積み込む船乗りたちの声が響いている。
リゼットの知り合いだという船主が、ドワーフの地へ向かう交易船へ乗せてくれることになっていた。
桟橋の先に、大きな帆船が停まっている。
ミレイアで見たどの船よりも大きかった。
船主「出るぞ!」
船主「乗るなら急げ!」
船乗りたちが綱を外し始める。
リゼットが先に桟橋を進む。
アリアもそのあとへ続いた。
ヒロは一度だけ立ち止まり、背後を振り返った。
この先に、ミレイアがある。
バルドとソフィが眠る場所。
ギデオンが残っている街。
そして、自分を犯人に仕立て上げた王都がある。
胸の奥に、まだ痛みは残っていた。
きっと、すぐには消えない。
それでも、ヒロは顔を上げる。
ヒロ「……必ず戻る」
誰に聞かせるでもなく呟いた。
逃げ続けるためではない。
失ったものの真実を取り戻すために。
ヒロは二人のあとを追い、船へ向かって歩き出した。




