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異世界交信 〜元の世界とつながるトランシーバーで異世界を攻略します〜  作者: のる
1章

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20/45

20話:逃亡

 領主館の裏口を抜けたあとも、ヒロは一度も振り返らなかった。

 振り返れば、足が止まる気がした。

 暗い路地を、アリアの背中だけを追って走る。

 傷ついた身体が悲鳴を上げている。

 それでも、今は止まれなかった。

 背後から、館の扉が開く音が響く。


 敵はもう、バルドのいる部屋へ入ったかもしれない。

 その光景を想像しそうになり、ヒロは強く歯を食いしばった。


アリア「こっちだ」


 アリアが細い路地へ曲がる。

 ヒロも続いた。

 ミレイアの街は、不気味なほど静かだった。

 窓には明かりがあるが、通りへ出ている者はいない。

 遠くから、兵士の怒鳴り声が聞こえた。


兵士「家の中を確認しろ!」


兵士「少年を見つけたら、すぐに知らせろ!」


 ヒロの足が止まりかける。

 自分を探している。

 そのために、街の人間まで巻き込まれている。

 胸の奥に重いものが沈んだ。

 頭からバルドの姿が離れなかった。

 最後に告げられた言葉。


 八星。


 ヒロには、その意味すら分からない。

 ただ、アリアが恐怖を隠しきれなかったことだけは覚えている。


アリア「止まるな」


 鋭い声に、ヒロは顔を上げる。


ヒロ「……はい」


 二人は建物の影を縫うように進んだ。

 大通りは使えない。

 兵士たちは家を一軒ずつ調べている。

 住民の悲鳴と怒鳴り声を背中へ受けながら、二人は走り続けた。

 やがて、見覚えのある建物が見えてくる。

 ギデオンの工房だった。

 表の扉は閉まっている。

 窓から漏れる明かりも少ない。

 アリアは周囲を確認し、裏手へ回った。

 木製の小さな扉を、決められた間隔で叩く。


 コン。

 コンコン。

 コン。


 しばらくして、内側から小さく音がした。


ギデオン「誰だ」


アリア「私です」


 短い沈黙。

 鍵が外され、扉がわずかに開く。

 隙間から、ギデオンの顔が覗いた。

 アリアとヒロの姿を見た瞬間、その表情が変わる。


ギデオン「入れ」


 二人が中へ入ると、ギデオンはすぐに扉を閉めた。

 鍵をかけ、木材で内側から固定する。

 工房の中は暗かった。

 炉の火は落とされ、道具や材料のほとんどが布で覆われていた。

 奥から、足音が近づいてくる。


リゼット「お父さん、誰だったの?」


 現れたリゼットは、ヒロの姿を見つけて目を見開いた。


リゼット「ヒロ……?」


 すぐに、その顔が曇る。

 ヒロの服には、まだ乾ききっていない血が残っている。

 アリアの鎧も傷だらけだった。


リゼット「何があったの?」


 ヒロは口を開こうとした。

 だが、声が出なかった。

 喉の奥が締めつけられる。

 何を言えばいいのか分からない。

 言葉にすれば、本当にすべてが終わってしまう気がした。

 ヒロは俯いたまま、拳を握った。

 アリアが代わりに口を開く。


アリア「領主館が襲撃された」


 ギデオンの顔から表情が消えた。


ギデオン「誰にだ」


アリア「王都から来た者たちです」


ギデオン「王都……?」


アリア「館の者たちは、ほとんど殺されていました」


 リゼットが息を呑む。


リゼット「そんな……」


 アリアは一度目を閉じた。

 言葉を続けるために、感情を押し殺しているようだった。


アリア「ソフィも……死んでいた」


 ヒロの拳が強く握られる。

 爪が掌へ食い込む。

 それでも、痛みはほとんど感じなかった。


アリア「団長も……」


 ギデオンの目が鋭くなる。


アリア「私たちを逃がすために残りました」


 言葉が途切れる。

 アリアの声がわずかに震えた。


アリア「……もう、助からない状態でした」


 工房の中が静まり返る。

 リゼットは口元を押さえた。

 ギデオンは何も言わない。

 ただ、作業台の端へ置いた手に力が入っていた。


ギデオン「……そうか」


 それだけだった。

 だが、その声には、押し殺しきれない怒りが滲んでいた。

 長い沈黙のあと、ギデオンがアリアを見る。


ギデオン「襲った連中に、心当たりはあるのか」


アリア「団長が、最後に一つだけ名前を残しました」


 アリアは一度、ヒロへ視線を向けた。

 そして、低く告げる。


アリア「八星です」


 ギデオンの動きが止まった。

 その反応を見て、ヒロが顔を上げる。


ヒロ「知ってるんですか」


 ようやく出た声は、ひどく掠れていた。

 ギデオンはすぐには答えなかった。

 少しだけ考えたあと、工房の窓へ近づく。

 カーテンの隙間から、外を確認した。

 通りの向こうでは、複数の兵士が民家へ入っていくところだった。

 返事を待たずに扉を開け、中にいる者たちへ剣を向けている。

 ギデオンはすぐにカーテンを閉じた。


ギデオン「昔、バルドから聞いたことがある」


アリア「団長から?」


ギデオン「ああ。酒を飲んでいた時にな」


 ギデオンは作業台へ戻り、声を落とした。


ギデオン「王直属の、八人だけの部隊」


ヒロ「王直属……」


ギデオン「正式には存在しておらんことになっている」


アリア「私も噂程度にしか知りません」


ギデオン「当然じゃ。王国騎士であっても、知らされることはない」


 ギデオンは腕を組む。


ギデオン「八星は、王の勅命でしか動かん」


ギデオン「王国にとって邪魔な者を、誰にも気づかれず消す」


 ヒロの脳裏に、あの隊長の姿が浮かんだ。

 失敗した部下を、何の迷いもなく斬り殺した男。


ヒロ「暗殺部隊……」


ギデオン「そんなところじゃろうな」


 ギデオンは低く息を吐いた。


ギデオン「中央大陸へ、他種族が攻め込もうとせん理由を知っとるか」


ヒロ「王国の軍が強いからじゃないんですか」


ギデオン「それもある」


 ギデオンは首を横へ振る。


ギデオン「だが、最も恐れられているのは八星じゃ」


リゼット「そんな話、私も知らない」


ギデオン「知らんでいい話だったからな」


 ギデオンは窓の方へ視線を向けた。


ギデオン「中央大陸へ軍を向ければ、戦が始まる前に指揮官が消える」


ギデオン「王都へ攻め入ろうとした者は、夜が明ける前に首だけになる」


 工房の空気が冷たくなる。


ギデオン「それが八星の仕業だと恐れられておる」


アリア「噂では、敵国の将だけでなく、その家族や協力者まで消えると」


ギデオン「ああ」


 バルドが恐れた理由が、少しだけ分かった。

 八星は、王国の闇そのものだった。


ヒロ「どうして、俺を……」


 声が震える。


ヒロ「俺が何をしたんですか」


 答える者はいなかった。

 異世界へ来ただけだ。

 それなのに、ソフィが死んだ。

 バルドが拷問された。

 自分の存在が、すべてを壊したように思えた。


ヒロ「俺がいなければ……」


アリア「違う」


 アリアの声が強く響いた。

 ヒロが顔を上げる。


アリア「お前のせいではない」


ヒロ「でも」


アリア「殺したのは奴らだ」


 アリアの目にも、深い怒りが宿っていた。


アリア「お前は何もしていない」


 ヒロは唇を噛んだ。

 頭では分かっていても、感情が追いつかなかった。


ギデオン「今は、自分を責めている場合ではない」


 ギデオンの声は厳しかった。


ギデオン「奴らはお前さんを探している」


ギデオン「このままここへいれば、見つかるのは時間の問題じゃ」


 ギデオンはヒロの鞄へ視線を向けた。


ギデオン「魔力蓄積石は持ち帰ったのか」


 ヒロは一瞬、反応が遅れた。

 鞄を開き、布に包んだ石を取り出す。

 淡い光が工房の中へ漏れた。


ヒロ「……これです」


 ギデオンは石を受け取り、表面を確認して小さく頷いた。


ギデオン「間違いない」


ヒロ「トランシーバーを動かせますか」


ギデオン「可能性はある」


 その言葉に、ヒロの目がわずかに動く。


ギデオン「だが、このままでは使えん」


ヒロ「どうすれば」


ギデオン「魔力の流れを整え、出力を一定にする必要がある」


 ギデオンは石を作業台へ置いた。


ギデオン「お前さんの道具が必要とする力に近づけるには、加工がいる」


ヒロ「どれくらいかかりますか」


ギデオン「少なくとも三日」


ヒロ「三日……」


ギデオン「順調にいって、だ」


 外から、再び大きな音が聞こえた。

 近くの家の扉が壊されたらしい。


兵士「中を調べろ!」


 声は、先ほどより近い。


 ギデオンが険しい顔をする。


ギデオン「三日もここにはいられん」


アリア「他に隠れられる場所は?」


ギデオン「この街にはない」


 ギデオンは即答した。


ギデオン「ミレイアだけではない」


ギデオン「中央大陸のほとんどは、王国の息がかかっている」


ギデオン「街を変えても、いずれ見つかる」


アリア「では、どうすれば」


 ギデオンは少し黙ったあと、低い声で答えた。


ギデオン「東へ行け」


ヒロ「東?」


ギデオン「ここから東へ進んだ先に、小さな漁村がある」


ギデオン「名はラトナ村」


ギデオン「そこから、海を渡る船が出ている」


アリア「どこへ向かう船ですか」


ギデオン「ドワーフの地じゃ」


 ヒロは目を見開いた。


ヒロ「ドワーフ……」


ギデオン「王国とは交易があるが、支配までは受けておらん」


アリア「王国の追手も、簡単には動けない」


ギデオン「ああ」


 ギデオンは魔力蓄積石へ視線を落とす。


ギデオン「向こうなら加工に必要な道具も揃う」


ギデオン「何より、腕のいい職人が多い」


ヒロ「ギデオンさんも、一緒に来るんですか」


 ギデオンは静かに首を横へ振った。


ギデオン「わしは行かん」


ヒロ「え……?」


ギデオン「奴らは、必ずこの工房へ来る」


ギデオン「誰もおらんと分かれば、お前たちが逃げたこともすぐに気づかれる」


アリア「時間を稼ぐつもりですか」


ギデオン「ああ」


 ギデオンは窓の方へ視線を向けた。

 外では、兵士たちの声がさらに近づいている。


ギデオン「工房を調べさせ、適当に話を引き延ばす」


ギデオン「その間に、お前たちは東へ向かえ」


リゼット「お父さん……」


 ギデオンは娘へ向き直った。


ギデオン「リゼット」


リゼット「……なに」


ギデオン「お前も行け」


 リゼットが目を見開いた。


リゼット「え……?」


ギデオン「ドワーフの地を知っとるのは、お前じゃ」


ギデオン「小さい頃、母さんに連れられて何度も行ったじゃろう」


ギデオン「港も、向こうの町も、お前の方が詳しい」


ヒロ「リゼットが案内を?」


ギデオン「ああ」


ギデオン「わしはドワーフとのハーフじゃが、リゼットにもその血が流れておる」


ギデオン「向こうへ着けば、話も通しやすい」


リゼット「でも、お父さんはどうするの」


ギデオン「わしなら大丈夫じゃ」


リゼット「嘘」


 リゼットはすぐに言い返した。


リゼット「お父さん、嘘をつく時は目を逸らすから」


 ギデオンは一瞬黙り、それから小さく笑った。


ギデオン「そうだったかのう」


リゼット「誤魔化さないで」


 リゼットの声が震える。


リゼット「一人で残ったら、何をされるか分からない」


ギデオン「それでも、誰かが残らねばならん」


 ギデオンの声は静かだった。


ギデオン「お前までここに残れば、逃がす意味がなくなる」


リゼット「……」


ギデオン「お前には、お前にしかできんことがある」


ギデオン「ヒロたちをドワーフの地まで連れていけ」


ギデオン「魔力蓄積石の加工も、お前なら手伝える」


 リゼットは唇を噛んだ。

 目には涙が滲んでいる。

 それでも、父から目を逸らさなかった。


ギデオン「父親としては、行かせたくなどない」


ギデオン「じゃが、ここに残す方が危険じゃ」


 ギデオンはリゼットの頭へ手を置いた。


ギデオン「行ってこい」


 リゼットはしばらく動かなかった。

 やがて、小さく頷く。


リゼット「……分かった」


 ギデオンは今度はヒロを見る。


ギデオン「ヒロ」


ヒロ「……はい」


ギデオン「娘を頼む」


 その言葉に、ヒロは一瞬答えられなかった。

 バルドの姿が、脳裏へ浮かぶ。

 守られたばかりの自分に、誰かを守れるのか。

 それでも、逃げるだけでは終われない。

 ヒロは強く頷いた。


ヒロ「必ず守ります」


 だが、その瞬間だった。

 ドン。

 工房の正面扉が叩かれた。

 全員の動きが止まる。

 ドン。

 ドン。

 さっきよりも強く、扉が鳴る。


兵士「開けろ!」


 リゼットの顔が青ざめる。

 アリアが細剣へ手を伸ばした。

 ギデオンは魔力蓄積石を掴み、素早く布へ包む。

 ヒロも腰の剣を握った。

 外から、再び声が響く。


兵士「王都の命令だ!」


兵士「この工房を調べる!」


 扉が、さらに強く叩かれた。

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