顕現
影界の王。
その言葉が響いた瞬間。
世界の温度が落ちた。
レイナは呼吸を忘れる。
巨大な黒い人影。
夜そのものを切り取って作ったみたいな異形。
輪郭は曖昧なのに、“そこにいる”という圧力だけが異常なほど強かった。
存在感。
それだけで空間が軋んでいる。
白銀の少女――もう一人の“白煌レイナ”が、剣を握り締める。
だが、その手は震えていた。
「なんで……こんなに早く……」
影の王は答えない。
顔もない。
目もない。
なのに。
確かに“笑っていた”。
レイナは本能的に理解してしまう。
あれは、生き物じゃない。
もっと根源的な“闇”そのものだ。
影の少女が苦しそうに膝をついている。
黒い粒子が溢れ続けていた。
輪郭が崩壊している。
それでも。
彼女の影だけが異常なほど濃く広がっていた。
『――器』
声。
頭へ直接響く。
低く。
重く。
感情が存在しない声。
レイナは頭を押さえた。
「ぁ……っ……!」
聞くだけで意識が削られる。
“白煌レイナ”が前へ出る。
「黙れ……!」
『適合率、九十七』
『接続安定』
『顕現可能』
その瞬間。
影の少女の身体が跳ねた。
「がっ……!?」
苦悶。
黒い線が全身へ走る。
まるで内側から侵食されているみたいだった。
白銀の少女が叫ぶ。
「やめろ!!」
白光が放たれる。
巨大な光刃。
だが。
影の王は動かなかった。
触れた瞬間。
光が消える。
存在そのものを飲み込まれたみたいに。
白銀の少女の顔が強張る。
「そんな……」
格が違う。
レイナでも分かってしまった。
今までの怪物とは別次元だ。
影の王はゆっくり影の少女へ手を伸ばす。
黒い腕。
空間を侵食しながら近づいていく。
その時だった。
「……触るな」
低い声。
影の少女だった。
俯いたまま。
震えながら。
それでも立ち上がる。
黒い粒子が舞う。
崩壊しかけた身体。
それでも、その瞳だけはまだ消えていなかった。
「私は……まだ……」
影が揺れる。
周囲の闇が少女へ集束していく。
『影冥自己補完機構――過剰励起』
空気が震えた。
黒い奔流。
都市規模の影が、一斉に少女へ流れ込む。
街中の影。
ビルの隙間。
道路。
夜空。
あらゆる闇が吸い込まれていく。
レイナは息を呑んだ。
多すぎる。
こんなの、人間が耐えられる量じゃない。
白銀の少女が叫ぶ。
「駄目!! それ以上やったら、本当に――」
「うるさい」
瞬間。
黒い波動が爆発した。
白銀の少女が吹き飛ぶ。
光壁を展開しながらも、数十メートル後方へ叩き飛ばされた。
レイナは目を見開く。
影の少女が、ゆっくり顔を上げた。
瞳が変わっている。
黒。
その奥に赤い光が混ざっていた。
人間の目じゃない。
だが。
完全には飲まれていない。
少女はまだ、自分を保とうとしていた。
「私は……」
声がノイズ混じりに歪む。
「私は……」
そこで。
少女の動きが止まる。
苦しそうに頭を押さえる。
黒いノイズ。
壊れた映像みたいに、彼女の輪郭が乱れた。
レイナは思わず叫ぶ。
「名前……!」
少女の瞳が揺れる。
レイナを見る。
まるで、何かを探しているみたいに。
そして。
掠れた声で呟いた。
「……レイナ」
胸が跳ねた。
その呼び方。
その声。
どこか懐かしい。
知らないはずなのに。
忘れていた何かが、心の奥で軋む。
白銀の少女が息を呑む。
「思い出したの……?」
影の少女は苦しそうに笑った。
「少しだけ……」
次の瞬間。
レイナの脳裏へ、断片的な光景が流れ込む。
放課後。
夕焼け。
二人分の笑い声。
『レイナー! 早く帰ろ!』
黒髪の少女。
無邪気な笑顔。
いつも隣にいた誰か。
レイナの呼吸が止まる。
「……え」
頭が痛い。
記憶が無理やり開かれる。
教室。
帰り道。
コンビニで半分こしたアイス。
くだらない話で笑った夜。
ずっと隣にいた。
一番近くにいた。
なのに。
どうして忘れていた?
影の少女が、小さく呟く。
「やっと……思い出してくれた」
レイナの目が見開かれる。
「……嘘」
白銀の少女が静かに目を伏せる。
「この子は、あなたの親友だった」
静寂。
世界が止まったみたいだった。
「昔、影界の裂け目に巻き込まれて」
「あなたを庇って」
「影を引き受けた」
レイナの思考が真っ白になる。
庇った?
引き受けた?
「そのせいで、この子は侵食された」
「でも、あなたを守るために全部隠したの」
影の少女は苦しそうに笑う。
「だって……親友だったし」
その言葉が。
胸へ刺さった。
レイナの目から涙が零れる。
「なんで……」
震える声。
「なんで、言わなかったの……!」
影の少女は答えない。
ただ。
どこか安心したみたいに、少しだけ目を細めていた。
だが。
空の巨大な目が開く。
『接続安定』
『影王顕現開始』
黒い光が降り注ぐ。
世界が軋む。
影の少女の身体が闇へ飲まれていく。
レイナは叫んだ。
「待って!!」
手を伸ばす。
届かない。
崩壊する黒。
飲み込まれる少女。
それでも。
最後に。
影の少女は、昔と同じ笑い方で笑った。
「……レイナは、泣きすぎ」
その瞬間。
闇が、少女を完全に飲み込んだ。
第9話を読んでいただきありがとうございました。
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それでは、また次話で。




