自分じゃない誰か
空が割れていた。
黒い亀裂。
まるで夜空そのものにヒビが入ったみたいに、巨大な裂け目が都市の上空へ広がっている。
そこから黒い粒子が降っていた。
雪みたいに。
静かに。
不気味なくらい穏やかに。
レイナは息を呑む。
「……何、あれ」
声が震える。
だが隣の少女は、空を睨んだまま表情を変えなかった。
いや。
変えられなかったのかもしれない。
その横顔には、僅かな焦りが浮かんでいた。
「影界の裂け目……」
「影界?」
「向こう側」
少女は静かに言う。
「世界の裏側」
意味が分からない。
けれど、その裂け目を見ているだけで本能が理解してしまう。
あれは危険だ。
絶対に、この世界へ存在してはいけないものだ。
空気が重い。
呼吸がしづらい。
周囲の景色まで少し歪んで見えた。
ビルの輪郭が揺らいでいる。
街灯の光が滲んでいる。
現実そのものが不安定になっていた。
少女は小さく舌打ちした。
「早すぎる……」
その瞬間。
空の裂け目が脈打つ。
黒い波紋。
次の瞬間だった。
――ギィィィィィ。
耳を裂くようなノイズ。
裂け目の中から、“何か”が落ちてくる。
巨大だった。
人型。
だが、まともな形をしていない。
全身が黒い影で構成され、複数の腕が歪に絡み合っている。
顔の位置には巨大な穴。
その奥だけが、真っ赤に光っていた。
落下。
轟音。
道路が陥没する。
衝撃波で周囲の窓ガラスが砕け散った。
レイナは思わず耳を塞ぐ。
「な、に……」
怪物はゆっくり立ち上がった。
高い。
ビル二階ほどある。
黒い霧を撒き散らしながら、その異形は空気を震わせた。
『――――』
鳴き声。
というより、世界が軋む音だった。
聞いているだけで頭が痛い。
吐き気がする。
少女は静かに前へ出た。
「下がって」
「でも……!」
「いいから」
レイナを庇うように立つ。
黒いコートが風に揺れた。
その足元で、影がゆっくり広がっていく。
少女の瞳が暗く染まる。
底の見えない黒。
さっきまでより深い。
冷たい。
人間味が薄れていくみたいに。
『影装冥滅具現陣』
低い詠唱。
瞬間。
影が爆発的に膨張した。
地面を覆う黒。
そこから無数の武器が生まれる。
剣。
槍。
鎖。
弓。
刃。
異形の兵装群。
空間そのものが武器庫になったみたいだった。
怪物が咆哮する。
同時に巨大な腕が振り下ろされた。
空気が裂ける。
少女は動かない。
代わりに。
影が動いた。
黒い槍群が一斉に射出される。
轟音。
衝突。
怪物の腕が吹き飛ぶ。
だが。
再生した。
黒い肉が蠢き、瞬時に元へ戻る。
少女の眉が僅かに寄る。
「再生型……」
次の瞬間。
怪物の胸部が裂けた。
中から無数の黒腕が飛び出す。
「っ!」
少女が跳ぶ。
だが避けきれない。
一本の腕が、少女の身体を貫いた。
レイナの視界が止まる。
「――ぁ」
赤。
鮮血が雨に混ざって散った。
少女の身体が吹き飛ぶ。
アスファルトを転がり、壁へ叩きつけられた。
「っ、ぁ……!」
レイナは駆け出す。
「待って!!」
少女は立ち上がろうとする。
だが右脇腹が大きく裂けていた。
黒い血。
いや。
血ですらない。
影みたいな液体が零れている。
怪物が近づく。
重い足音。
アスファルトが沈む。
少女は荒い息を吐きながら笑った。
「……最悪」
レイナは少女を支える。
「逃げよう!」
「無理」
「でも!」
「ここで止めないと、被害が広がる」
その声は異様に冷静だった。
まるで自分の傷なんてどうでもいいみたいに。
レイナは叫ぶ。
「そんな身体で何ができるの!?」
少女は少し黙った。
そして。
静かに呟く。
「……補完する」
瞬間。
空気が変わった。
少女の影が膨張する。
アスファルトを覆い、周囲の闇を飲み込み始める。
レイナは寒気を覚えた。
違う。
これはさっきまでの力じゃない。
もっと危険な何かだ。
少女はゆっくり目を閉じる。
『影冥自己補完機構 ー起動』
低い声。
次の瞬間。
周囲の影が一斉に少女へ流れ込んだ。
街灯の影。
ビルの影。
レイナの影。
全部。
黒い奔流となって少女の身体へ吸い込まれていく。
「っ……ぁ……!」
少女が苦しそうに身体を震わせる。
透けていた右腕が再構築される。
裂けた脇腹が塞がる。
だが。
同時に。
少女の瞳が変色していく。
黒。
深すぎる闇。
その奥に、別の“誰か”がいるみたいだった。
レイナは息を呑む。
「あなた……」
少女はゆっくり目を開く。
そして。
レイナを見た。
その視線に。
一瞬だけ。
“知らない誰か”が混ざっていた。
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それでは、また次話で。




