初登校
朝は、少しだけ静かだった。
カーテンの隙間から差し込む光が、部屋の床を白く照らしている。
レイナはぼんやりと目を開けた。
見慣れた天井。
少し寝癖のついた前髪。
まだ眠い頭のまま、ゆっくり身体を起こす。
「……ん」
時計を見る。
六時四十分。
「うわ、学校……」
現実を思い出した瞬間、ベッドへ倒れ込みたくなった。
だが今日はそうもいかない。
今日はクロエの初登校の日だった。
レイナは重い身体を引きずるようにベッドから降りる。
二階の廊下へ出ると、家の中は静かだった。
けれど。
昨日までと違って、“誰かがいる気配”がする。
それだけで、少し不思議な気分になる。
階段を降りる。
すると、キッチンから小さな物音が聞こえた。
「……え」
レイナは目を瞬かせる。
キッチンにはクロエがいた。
エプロン姿。
少し慣れない手つきでフライパンを握っている。
その姿があまりにも自然で、一瞬現実感が薄れた。
「おはよ」
クロエが振り返る。
「……何してるの」
「朝ごはん」
「なんで?」
「なんでって食べるから」
「いやそうだけど」
レイナはゆっくりキッチンへ近づく。
テーブルにはトーストと簡単なサラダが並んでいた。
「起こそうと思ったんだけど」
クロエは少し笑う。
「寝顔すごい平和そうだったから」
「やめて」
「口半開きだった」
「最悪」
クロエが小さく吹き出す。
その笑い声が、朝の静かな家へ柔らかく広がった。
レイナはぼんやり思う。
あぁ。
本当に誰かいるんだ、と。
空っぽだった家に。
「……ありがと」
「ん」
クロエは少し照れくさそうに視線を逸らした。
二人で朝食を食べる。
窓の外では鳥が鳴いていた。
テレビもつけていない静かな朝。
なのに、不思議と居心地が悪くなかった。
「……で」
クロエがトーストをかじりながら呟く。
「学校」
「うん」
「緊張してきた」
「今?」
「今」
レイナは少し笑う。
「昨日まで割と平気そうだったのに」
「昨日までは昨日の私だったから」
「なにそれ」
「今の私は朝になって現実見た私」
「面倒くさい」
クロエは小さく息を吐いた。
「だって知らない人多いし」
「まぁ最初はそんなもん」
「ちゃんと話せるかな」
「大丈夫でしょ」
「その根拠のない自信どこから来るの」
「なんとなく」
「雑」
そんな会話をしているうちに、少しだけ空気が軽くなる。
レイナはそれに気づいていた。
クロエは緊張している。
でも。
“怖がりながら前へ進こうとしている”。
それが少し嬉しかった。
◇
登校中。
春の風が制服を揺らしていた。
通学路には同じ学校の生徒たちが歩いている。
その中でクロエは、少しだけレイナの隣へ寄って歩いていた。
「……なんか視線感じる」
「気のせい」
「絶対見られてる」
「転校生っぽい顔してるからじゃない?」
「どんな顔」
「綺麗な顔」
「急に適当」
クロエは呆れたように笑う。
けれど、その表情は少しだけ柔らかかった。
学校が見えてくる。
校門。
グラウンド。
朝の騒がしい空気。
クロエの歩幅が少しだけ小さくなった。
「……クロエ」
「ん」
「無理そうだったら保健室逃げてもいいからね」
クロエが少し目を丸くする。
「優しい」
「一応」
「レイナって、もっと雑なタイプかと思ってた」
「失礼」
「でも安心した」
その言葉に、レイナは少しだけ照れくさくなる。
教室へ近づくにつれ、賑やかな声が聞こえてきた。
クロエの表情が少し固くなる。
レイナは気づかないふりをした。
「はいはい、入るよ」
「うぅ……」
「頑張れ転校生」
「他人事」
レイナが教室の扉を開ける。
瞬間、クラスの視線が集まった。
「お、レイナー!」
「復活した」
「大丈夫だった?」
一気に声が飛んでくる。
レイナは軽く手を振った。
「ん、まぁなんとか」
そして。
みんなの視線がクロエへ向く。
一瞬だけ。
クロエの肩が小さく揺れた。
担任が教壇へ立つ。
「えー、今日から転入生が来ます」
教室が少しざわついた。
「じゃ、自己紹介お願い」
静かな空気。
クロエは一歩前へ出る。
少しだけ緊張した顔。
それでも、ちゃんと前を向いていた。
「……夕凪 クロエ、です」
教室が静まる。
「えっと……よろしくお願いします」
そこで止まる。
数秒の沈黙。
レイナが小さく笑った。
「終わり?」
クロエがちらっと睨む。
「……だめ?」
「短すぎでしょ」
その瞬間、教室に少し笑いが起きた。
空気が柔らかくなる。
「もっと趣味とかあるじゃん!」
「好きな食べ物とかー!」
「いや急にハードル高……」
クロエが困ったように視線を泳がせる。
その様子にまた小さな笑いが起きた。
でも。
嫌な空気じゃなかった。
クロエは少しだけ目を瞬かせる。
思っていたより。
教室は怖くなかった。
「……甘いもの、好きです」
ぽつりと呟く。
「おーかわいい」
「急に人間味出た」
「どういう意味!?」
また笑い声。
クロエは少し戸惑いながら、それでも小さく笑った。
その瞬間。
レイナは少しだけ安心する。
ちゃんとここへ立てている。
怖がりながらでも。
クロエは今、“日常”の中へ戻ろうとしていた。
第17話を読んでいただきありがとうございました。
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それでは、また次話で。




