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さすがにこれは、お断りしたく存じます  作者: 九葉(くずは)


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第七話 強制されません

王妃マルガの声は、慈母のそれだった。

私はそれが、よく練習された声であることを、腰を下ろす前から察していた。

彼女が本当に慈母であったことのある相手は、実の息子である殿下の他に、私は思い当たらなかった。



馬車の窓から見える王都の並木道は、離れから王宮まで、ほとんど一直線に続いている。

私はマデリンと向かい合って座っていた。マデリンは膝の上に両手を重ねて置いていた。膝の上の指の間隔を、彼女はときおり、わずかに動かして直していた。気を張っているときの、彼女の小さな癖だった。


「奥様」


「なに」


「ご気分は、いかがですか」


「普段通りよ」


「……はい」


彼女はそれ以上、何も尋ねなかった。

王妃陛下からの私信への返信は、短いものにしていた。『お時間をいただきますこと、畏れ多く存じます。指定の日時に、お伺いいたします』。それだけだった。余計なことは、何も書き添えなかった。


王宮の東門が近づいてきた。

御者が、馬の速度を落とし始めた。



案内された部屋は、王宮の奥にある、小さな茶室の趣きの部屋だった。壁は薄い色の絹布で覆われている。窓からは、王宮の中庭の、手入れされた緑が見えた。

王妃マルガは、先に部屋にいた。


「クラリス嬢」


「王妃陛下にお目にかかり、光栄に存じます」


「そんな、お固くなさらないで。どうぞ、おかけになって」


王妃の所作は、やわらかかった。やわらかさを、幼い頃から身につけてきた人のやわらかさだった。

紅茶が、女官によって、私たちの前に置かれた。


「今日は、お詫びを申し上げたくて、あなたをお呼びしましたのよ」


王妃はそう切り出した。

私は、微笑むかたちに、口元を動かした。


「息子のしたことは、母として、胸が痛みます。半年前のあの日のことは、母親の私が出ていくべきことではありませんでしたが……あの子の判断が、感情に流されていたことは、いまでは、私もわかっております」


「……」


「あなたを、傷つけてしまいましたわね」


「傷、という言葉は、いささか、過分に思われます」


「あら」


「私はただ、あの日、殿下のお言葉に、お答えをいたしました。お答えを申し上げた以上のことは、していないかと存じます」


王妃は紅茶のカップに指を触れていた。触れたまま、持ち上げなかった。


「あなたは、変わらないのね」


「私が、半年前と変わっておりましたら、殿下の判断が正しかったことになってしまいます」


「……」


王妃は微笑を崩さなかった。崩さないまま、紅茶のカップから指を離した。


「母として、お願いがあるのです」


彼女は、柔らかく続けた。


「あの子の今後のために、あなたに、社交界で、ひとこと、ふたこと、言っていただきたいの。あなたは、もう、あの子を恨んではいない、と。寛容な心を、あなたは、お持ちになっている、と」


ここが、この面会の本体だった。

王妃のお詫びは、ここへ導くための、入り口にすぎなかった。


「陛下」


「はい」


「お詫びは、公の場で、公の書面でなさるべきものと存じます」


私はそう言った。

声は、高くなかった。


「私信にて、母としてのお詫びをいただきました。母としてのお詫びに対しては、一私人として、ありがたく、受け取らせていただきます」


「……」


「ただし、それを社交界に広めさせる役目は、私のものではございません。殿下の名誉の修復は、殿下ご自身と、王家のご判断のもとで、お進めいただくべきものかと存じます」


王妃の微笑は、そのままだった。

ただ、紅茶のカップに、再び指が伸びた。

今度はカップそのものに触れなかった。カップの横の、銀の皿に置かれた、小さな蓋のほうに、指先が触れた。

触れた、だけだった。載せは、しなかった。


私はそれを、目の端で見ていた。

王妃は、この場で、蓋を載せる権利を、自らに認めていなかった。自らに認められるだけの立場を、自らが持ち合わせていないということを、彼女は、指先が触れた段階で、悟ったのだろう。


「そう」


「ご配慮、痛み入ります」


「わかりました」


「恐れ入ります」


王妃はそれ以上、お詫びも、お願いも、口にしなかった。

面会は、そこで終わった。



茶室を辞し、回廊を歩いた。

マデリンが、すこし後ろを、静かについてきた。

王宮の回廊は、長かった。床の石はよく磨かれていて、自分の靴音が、いつもより鮮明に耳に返ってきた。

途中、すれ違った女官が、私に会釈をし、マデリンに会釈をし、通り過ぎた。女官の視線は、わずかに、私の顔に長く止まった。

彼女が何を見ていたのかは、わからなかった。見ていた、ということだけは、わかった。


東門のほうへ向かう、最後の角を曲がった。

そこに、男がひとり、立っていた。



ヴィクトル・フォン・エッセルだった。

彼は、私が現れるのを待っていた。


「お疲れさまでございました」


彼は短く、そう言った。


「お呼びしたわけではございませんが」


「存じております」


彼は軽く頭を下げた。


「外の並木道まで、お供してもよろしいでしょうか」


「……どうぞ」


私たちは並んで歩き出した。マデリンは距離を置いて、後ろからついてきた。

回廊の終わりから、外の庭の日差しが射していた。石畳は乾いていた。


「ヴィクトル様」


「はい」


「なぜ、ここへ」


「王宮の廊下に、知己の者がおります。今朝、王妃陛下の私信の件を耳にいたしまして、出口のあたりで、お待ちしておりました」


私は歩みを、少しだけ緩めた。


「招かれて、ではないのでしょう」


「私用での王宮出入りは、外交官には、自由にございます」


彼はそう言った。

自由、という言葉は、彼の口から出るときに、すこしだけ違った響きを持った。


私たちは、庭園の端の、小さな石の門の手前まで歩いた。門の向こうには、王宮の外の並木道があった。

ヴィクトルはそこで立ち止まった。

私も立ち止まった。


「余計なことを、申し上げてもよろしいでしょうか」


「はい」


「私の国では、そのような面会は、強制されません」


彼はゆっくりと、そう言った。

目は、石畳の上に伏せられていた。


「お詫びの名目の面会も、社交界での証言のご依頼も、王家からの令嬢への、こうしたかたちでの呼び出しも」


「……」


「私の国では、そもそも、そういう慣習が成立しにくくなっております。立ち上げるに至らなかった、と申し上げるほうが、正確かもしれません」


彼はそう付け加えた。


私は石畳の継ぎ目を、しばらく見ていた。

彼が口にしたのは、余計なことではなかった。

彼は、私がもし別の国に身を置く選択をするならば、今日のような面会に向き合わずに済む、と、そう言っていた。

そう言っていた。

そのことを、彼は一度も、『守りたい』という語にはしなかった。

彼の辞書には、そういう語は置かれていないらしかった。

置かれていないらしい、ということを、私は彼の声の低さのあたりで理解した。


「……ご厚意に、感謝いたします」


私はそう答えた。


「本日は、お役目、ご苦労さまでございました」


ヴィクトルはそう言って、軽く頭を下げた。

彼は馬車には戻らなかった。王宮の別の門から徒歩で出ていく姿が、ちらりと見えた。

歩き方に、迷いはなかった。


私はマデリンを伴って、馬車に乗り込んだ。



離れに戻ったのは、日が傾き始めた頃だった。

応接間の机の上に、マデリンが、郵便物を揃えて置いていた。

見慣れない封書が、ひとつ混ざっていた。

封蝋は王家の赤。ただし、先日の王妃の私信の封とは、蝋の押し方が違った。こちらのほうが、より正式で、硬い押し方だった。


封を解いた。

中は、厚い紙だった。


 ヴェルネシア王立議会

 ノーラン公爵令嬢 クラリス・フォン・ノーラン様へ


 来る審議日、王城・白亜議会の間において、

 王家に関する重要議題が、審議されます。

 つきましては、ご列席賜りたく、

 ここにご通知申し上げます。


私はその書面を、もう一度、読んだ。


『証言者としてのご列席と、解してよろしいのでしょうか』


私は書面に、心の中で尋ねかけた。

書面は、答えてくれなかった。

書面はただ、『ご列席を賜りたし』と、それだけを記していた。


その夕方、父からも、本邸の執事を通して、短い知らせが届いた。


殿下が、王位継承権剥奪の候補として、議会の内々のご審議にかけられることが決まった。

陛下のご意向は、まだ最終段階ではない。


私は、窓辺の椅子に戻り、外を見た。

庭の木立の向こう、本邸の屋根に、夕方の日差しがゆっくりと降りていた。

蓋のない紅茶のカップが、手元で冷えていくまでのあいだ、私は何の言葉も、思いつかなかった。

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