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第六話 運命的な出会いを演出してください

 ぴろりん。


 平素よりお世話になっております。このたびミッションを発令させていただきます。本日の出勤途中において、パンを咥えた通学中の女子高生様とドラマチックな接触をしていただけますでしょうか。なお接触の形式は曲がり角における衝突が必須条件となります。制限時間は出勤までの残り時間でございます。未達成の場合は死亡となります。何卒よろしくお願いいたします。


 何卒よろしくお願いいたします、と書いてある。

 曲がり角での衝突が必須、と書いてある。

 女子高生、と書いてある。


 俺はスマートフォンを見つめた。


 五秒見つめた。


 十秒見つめた。


「来た来た」りりが言った。「今回は青春じゃん」


「女子高生だぞ」


「うん」


「俺は二十八歳だぞ」


「うん」


「曲がり角でぶつかれ、と書いてある」


「うん」


「これは漫画のやつだ。パンを咥えて遅刻しそうな女子高生と曲がり角でぶつかるやつだ」


「そうだね」


「今の時代にそんな女子高生がいると思うか」


 りりは少し考えた。本当に少しだけ。


「完全に殺す気だ」と俺は言った。「こんな女子高生、今の漫画でさえ登場しない。絶対に無理だ。あー殺す気だ」


「落ち着いて」


「殺す気だろ地獄のシステムは」


「落ち着いて」


 俺は深呼吸をした。冷静になろうとした。冷静になれなかった。


「パンを咥えた女子高生が曲がり角を走ってくる確率を考えたことがあるか」


「ないけど」


「ゼロだ。ほぼゼロだ。二〇二〇年代にそういう女子高生は存在しない。漫画の中にも存在しない。今の漫画はもっとリアルだ」


「でもミッションだから」


「ミッションだからで片付けるな」


 りりがポップコーンを食べた。


「まあ、一応確認してみようよ」


 りりが空中に手をかざした。


 光った。


 空間に何かが展開した。


 地図だった。立体的な地図だった。俺の現在地を中心に、周囲数百メートルの道が浮かび上がっている。建物の輪郭。交差点。路地。全部見える。


「すごいな地獄の能力」


「でしょ」りりは当然のように言った。「これ対象者のマーキングもできるから」


 地図の中に、光る点が一つ現れた。


 動いている。


 速い。


「……いるのか」


「いるね」りりが言った。笑顔だった。「パンも咥えてるよ」


「本当か」


「本当。しかも走りながら独り言言ってる」


「独り言」


「『体操着どこ置いたっけ、あ、置いてきた、まあいっか』って言いながら走ってる」


 置いてきたのにまあいっか、と言いながら走っている女子高生がいる。


 いた。


 存在した。


 しかもパンを咥えながら独り言だ。最近の女子高生は器用だ。


 二〇二〇年代に。


 俺はその光る点を見た。速い。確かに速い。走っている。しかもこちらに向かってくる方向に走っている。


「あの速度で走っていたら、このままでは交差点を先に通り過ぎてしまう」りりが地図を指でなぞった。「ここで曲がるでしょ。でもあなたが今の速度で歩いてたら間に合わない」


「急がないとぶつからない、ということか」


「そう。急がなきゃぶつからないよ。行って行って」


 りりが俺の背中を押した。


 俺は走り始めた。


 二十八歳の会社員が朝の住宅街を走っている。スーツを着て、鞄を持って、走っている。走りながら思った。これは何をしているのか。パンを咥えた女子高生とぶつかるために走っている。二十八歳が。



「もうちょっと速く」りりが横を走りながら言った。ポップコーンを食べながら走っていた。走りながらポップコーンを食べていた。


「おまえは走りながらポップコーンを食べるのか」


「食べる」


「こぼれないのか」


「地獄の力」


 地獄の力でポップコーンをこぼさず走れる。すごい技術の使い方だ。


「左に曲がって」りりが言った。「次の角を左」


 左に曲がった。


「もうちょっとだよ。あの子、今ちょうど角に向かってる」


「マーキングが見えるのか」


「見える。あなたには見えない?」


「見えない」


「じゃあ私の指示通りに動いて。次の角を右に曲がって、そのまま真っ直ぐ走って、七秒後に角を曲がる」


「七秒か」


「七秒。カウントするから」


 俺は走った。スーツが汗ばんできた。朝から汗をかいている。


「七、六、五」


 走った。


「四、三」


 走った。


「二、一」


 曲がった。



 いた。


 パンを咥えていた。


 本当に咥えていた。


 食パンだった。耳付きの食パンを口に咥えて、鞄を抱えて、制服のリボンを曲げたまま、猛然と走ってきていた。しかも走りながら何か喋っていた。


「あーもう数学のノートも忘れた気がする、まあ友達に見せてもらえばいっか、あと今日お弁当あったっけ、あ、ないや、まあ購買で——」


 目が合った。


 お互いに止まれなかった。


 ぶつかった。


 派手にぶつかった。鞄が飛んだ。食パンが飛んだ。俺も飛んだ。地面が来た。痛かった。


「いたー!」


 天川ほのか(あまかわほのか)が叫んだ。叫びながら地面に座り込んだ。制服のスカートを押さえて、髪が乱れて、飛んだ食パンが数メートル先の地面に落ちていた。耳付きのまま落ちていた。


 天川ほのかは俺を見た。


 俺が天川ほのかを見た。


 沈黙があった。


「……なんでおじさん走ってたんですか」


 おじさん、と言った。


「……通勤中です」


「え、仕事に遅刻しそうだったんですか」


「そういうわけでは」


「じゃあなんで走ってたんですか」


 答えられなかった。


「……体力づくりです」


「朝から? スーツで?」


「……はい」


 天川ほのかはしばらく俺を見ていた。純粋に意味がわからない、という目だった。


 それから立ち上がって、スカートを払った。飛んだ食パンを拾いに行った。拾って、眺めた。


「三秒ルール!」


「三秒過ぎてます」


「え、何秒?」


「十秒は経っています」


 天川ほのかは食パンを眺めた。眺めた。眺めた。


「まあいっか」


 咥えた。


 まあいっか、と言った。あっさり言った。体操着も数学のノートも弁当も食パンも、全部まあいっかで処理できる人間だった。


「怪我はないですか」


「ないです! おじさんは?」


「膝が少し」


「ごめんなさい! でも曲がり角は危ないですよ、飛び出したら」


 飛び出したのは俺だった。完全に俺だった。わざと飛び出したので反論できなかった。


「気をつけます」


「はい!」天川ほのかは鞄を拾った。また走り出す体勢になった。「あ、遅刻する!」


「急いでください」


「はい! おじさんも気をつけてください朝のランニング!」


「体力づくりです」


「同じです!」


 天川ほのかは走っていった。食パンを咥えたまま走っていった。


 走りながら「あーやばいやばい、あと体操着どこにあったっけ」という声が遠ざかっていった。


 さっきまあいっかと言っていた。もう心配している。食パンを咥えながら大声で独り言だ。やはり最近の女子高生は器用だ。


 ぴろりんと音がした。


 お疲れ様でございます。ミッション達成が確認されました。報酬スキルを付与いたします。当該スキルの内容は「相手が今、誰かに謝ってほしいと思っているかどうかが直感でわかる能力」でございます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。


 今後ともよろしくお願いいたします、と書いてある。


 俺は地面から立ち上がった。スーツの膝に砂がついていた。払った。鞄を拾った。


「すごかった」りりが言った。「パンが飛んだ」


「飛んだ」


「本当に咥えてたね」


「咥えていた」


「現代に存在したね」


「存在した」


「独り言もすごかった」


「数学のノートと体操着と弁当を同時に忘れていた」


「まあいっかって言ってたね」


「言っていた」


 りりがポップコーンを食べた。


「スキルもらった。相手が誰かに謝ってほしいと思っているかどうかがわかる能力らしい。また地味だ」


「でも使えそうじゃん」


「どこで使うんだ」


「さあ」


 さあ、と言った。


 俺は歩き始めた。会社に向かった。膝が痛かった。



第六話 了

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