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第七話 体調不良をお申し出ください

 ぴろりん。


 平素よりお世話になっております。このたびミッションを発令させていただきます。本日中に所属職場の女性従業員様に、額と額を合わせる形で体温をご確認いただけますでしょうか。なお体温計のご使用は不可とさせていただきます。制限時間は本日の終業までとなります。未達成の場合は死亡となります。何卒よろしくお願いいたします。


 何卒よろしくお願いいたします、と書いてある。

 額と額を合わせる、と書いてある。

 体温計は不可、と書いてある。


 俺はスマートフォンを伏せた。


「来た来た」りりが言った。「今回は何?」


「額と額を合わせて体温を確認しろ、と書いてある」


「ほうほう」


「体温計は不可、と書いてある」


「ほうほう」


「なんで不可なんだ。顔と顔が急接近してドキドキするみたいな昭和のノリじゃないか」


「いまだに昭和なんだよね、地獄のやることは」


「地獄じゃなくても昭和時代の考えの人がいるからね」


「まあね」りりはポップコーンを食べた。


 古い地獄のシステムが俺の命を握っている。嫌な話だ。


「ところで女性なら誰の額でもいいんだよな」


「誰でもいいみたい」


 社内の女性。鈴木さん。橘咲良。柚木のあ。総務の松本さん。営業の新入社員が二人。合計六人。


 俺は考えた。


「よし、体調が悪くなろう!」


「え」


「具合が悪そうにしていれば、誰かが額を合わせて確認してくれる」


「……仮病?」


「仮病だ」


「それ、ミッションの達成方法としてどうなの」


「どうなんだ」


「いや、私が聞いてる」


「普通に生活して額と額で熱を測るなんて場面はあるか?」


「……まあ、ないかな」


 ないよな。りりじゃなくてもそう思う。


 分析型なので、こういう計算は得意だ。ただ、こんなことに使いたくなかった。


「その作戦、行くの?」りりが言った。


「行く」


「なんか楽しそうに計画立ててるね」


「楽しくない。死にたくないだけだ」


「顔が楽しそう」


「錯覚だ」



 給湯室に入る。誰もいない。


 シンクの前に立つ。待つ。


 三分。誰も来ない。

 五分。誰も来ない。

 七分。来ない。


 シンクに水を出した。顔を洗う。額に冷水をあてる。これで顔色が青くなるかもしれない。


 ドアが開いた。


 部長だった。


 五十二歳。男性。何をしているのかよくわからない部長だ。


「おう、厄神か。顔色悪いな」


「少しぼんやりして」


「熱か。体温計あるか」


「見当たらなくて」


「じゃあ俺が測ってやる。おでこ貸せ」


「いえ」


「なんで」


「大丈夫です」


「大丈夫じゃなさそうだろ。貸せ」


「大丈夫です」


「遠慮するな。おでこ」


「いやです」


 部長が止まった。俺も止まった。「いやです」と言うとは思っていなかった。ただ口から出た。全力で出た。


「……なんで」


「部長にご迷惑をおかけするのも申し訳ないので」


「迷惑じゃない。貸せ」


「いやです」


 二回目だった。


 りりが隣でポップコーンを食べている。声を出して笑っている。


「部長、少し休めば治ると思うので」


「そうか、まあ無理するなよ」


 部長は出ていった。


 危なかった。


 ミッションの条件は「女性従業員」だ。部長は男性だ。部長の額と俺の額が合わさっても何も達成されない。それどころか何かが終わる。何が終わるかは考えたくなかった。


「惜しかったね」りりが言った。


「惜しくない。全力で回避した」


「部長、傷ついてたよ」


「優先順位がある」


 八分後、ドアが開いた。


 田中だった。


「厄神、顔色悪くね。熱か。おでこ」


「大丈夫です」


「いいから」


「大丈夫です」


「貸せって」


「田中、おまえは女性じゃない」


 田中が止まった。


「……そりゃそうだけど」


「だから大丈夫だ」


「なんで女性じゃないとだめなんだよ」


 答えられなかった。田中は「まあいいや」と言って出ていった。


「なんか、条件言っちゃったじゃん」りりが言った。


「言ってしまった」


「田中くん、変な顔してたよ」


「わかってる」


 ドアがまた開いた。


 柚木のあ(ゆずきのあ)だった。マグカップを持っている。


「あ、厄神さん。まだいたんですか」


 刺さった。給湯室に二十分以上いる男だと思われている。正しい。


「なんか、顔色悪くないですか。青い」


「少し頭が、ちょっとぼんやりして」


「熱じゃないですか。測りましたか」


「体温計が見当たらなくて」


 嘘だ。デスクの引き出しにある。ただミッションで不可なので使えない。


 柚木のあはコーヒーメーカーのボタンを押した。コーヒーが出るのを待った。マグカップを取った。


「お大事にしてくださいね」


 踵を返した。


「ちょっと待ってください」


「え?」


「熱、確認してもらえないですか。体温計がなくて。昔からやる方法で」


「昔からやる方法?」


「おでこ同士で」


 柚木のあは少し間を置いた。


「……ああ、あれですね」


「はい」


「やりますよ、別に」


 あっさり言った。普通のことのように言った。


 柚木のあが一歩近づいた。背伸びをした。俺は少し前かがみになった。


 額が合わさった。


 目の前にのあの顔がある。


 近い。


 近すぎる。


 顔が赤くなるのが自分でわかった。分析型なので自分の状態の変化には敏感だ。今回ばかりは敏感でなくてよかった。


 一秒。二秒。三秒。


「……熱、ありますよ。けっこう」


 離れた。のあが俺を見る。少し困った顔をした。


「今日、帰った方がよくないですか。無理しないでくださいね」


 コーヒーを持って出ていった。ふんわりと。


 ぴろりんと音がした。


 お疲れ様でございます。ミッション達成が確認されました。報酬スキルを付与いたします。当該スキルの内容は「相手が今、誰かに心配してほしいと思っているかどうかが直感でわかる能力」でございます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。


 俺はシンクの縁に手をついた。


 問題があった。


 柚木のあは「熱がある」と言った。



 デスクに戻るとりりが待っていた。


「達成したじゃん」


「した。ただ問題がある」


「何が」


「顔が赤くなった」


「熱じゃない?」


「のあさんの顔が近かったからだ」


「……そう」りりはポップコーンを一粒だけ丁寧に食べた。


「柚木さんが熱があると言った。本当に熱があったのか、恥ずかしくて赤くなっただけなのか、判別がつかない」


「測ってみれば」


 測った。


 三十七度八分だった。


「あった」


「仮病じゃなくて病気だよ」


「わかってる」


「帰れば?」


「帰る」


 上司に体調不良を申告した。「顔色悪いな、早く帰れ」と言われた。嘘ではなかった。


 会社を出た。りりがついてくる。


「なあ」


「なに」


「地獄のミッション管理者は、早く帰って休めという意味でこのミッションにしたのか」


「偶然だと思うよ」


「偶然とは思えない。熱がある人間に額を合わせてもらうミッションを出す。その結果、本人が早退する。出来すぎている」


「考えすぎじゃない」


「ただ偶然という言葉を俺は信じない」


 りりはポップコーンを食べた。


「スキルは?」


「相手が誰かに心配してほしいと思っているかどうかがわかる能力らしい。また地味だ」


「でも使えそうじゃん」


「どこで使うんだ」


「さあ」


 電車に乗った。体が重い。


 本当に熱があった。仮病で病気になるとは思っていなかった。のあさんの顔が近かったせいで顔が赤くなったのも本当だ。どちらが先かはわからない。わからないままでいい気がした。


 家に帰った。布団に入った。


 三十八度二分だった。


 ぼんやりしながら考えていた。柚木さん大丈夫かな。天然は大丈夫なのかなと、失礼なことも考えていた。



第七話 了

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