第三話 取引先から個人的な連絡先をいただいてください
株式会社諸々企画の業務内容は、三年働いても俺にはよくわからない。
ただ外出はある。取引先への訪問という形で、月に数回発生する。今日がその日だった。
午後一時。電車に乗っていた。隣にりりがいた。
「電車も来るのか」
「担当者だから」
「公共交通機関まで来るとは思っていなかった」
「どこでも来るよ。地獄に距離は関係ない」
りりはポップコーンを食べていた。電車の中でポップコーンを食べていた。周囲には見えていないので問題ないのかもしれないが、俺には見えているので落ち着かなかった。
「取引先に行くの、初めて見る」
「外出は月に数回ある」
「どんな仕事してんの、普段」
「諸々だ」
「諸々って何」
「諸々だとしか言いようがない」
りりは納得していない顔をした。俺も納得していないので説明のしようがなかった。
訪問先は株式会社双葉商事という。業種はこちらと同様によくわからないが、取引は続いている。打ち合わせの目的は諸々の確認で、所要時間は一時間の予定だった。
そのとき、ぴろりん。
平素よりお世話になっております。このたびミッションを発令させていただきます。現在向かっている訪問先において、担当者の女性従業員様から個人的な連絡先をご提供いただけますでしょうか。なお達成の条件は相手方からの自発的な提供に限ります。こちらから要求された場合は不達成となります。制限時間は六十分でございます。未達成の場合は死亡となります。何卒よろしくお願いいたします。
何卒よろしくお願いいたします、と書いてある。
相手からの自発的な提供に限る、と書いてある。
六十分、と書いてある。
「来た来た」りりが言った。「今回は条件が細かいじゃん」
「自発的な提供に限る、という縛りがある」
「強引に聞き出したらアウト」
「一時間の打ち合わせで、初対面に近い取引先の担当者に、自分から連絡先を渡してもらわなければ俺は死ぬ」
「そうなるね」
電車が駅に着いた。降りた。りりもついてきた。
「取引先の担当者が女性だと、どこで知った」
「地獄側の情報」
「事前に教えてくれ」
「言ったじゃん、今」
言ったのは今だった。ミッションが発動してからだった。言い返す気力がなかった。
双葉商事のビルに入った。受付で名前を告げると、担当者が来ますのでお待ちくださいと言われた。ロビーのソファに座った。りりが隣に座った。ポップコーンを食べた。
エレベーターが開いた。
出てきた女性を見て、俺は一瞬、判断を止めた。
三十歳前後。背が高い。髪を後ろでまとめている。歩き方が速い。名刺入れを持っている。目が細く、表情は読みにくい。笑っていないが不機嫌でもない、という顔をしていた。
「お待たせしました。双葉商事の倉持奈緒と申します」
「株式会社諸々企画の厄神です。よろしくお願いします」
名刺を交換した。倉持奈緒の名刺には「営業二課 主任」と書いてあった。
りりが耳元で言った。「六十分ね」
時計を確認した。午後一時二十一分。
会議室に通された。
打ち合わせが始まった。
倉持奈緒は有能だった。説明が速い。正確だ。質問への答えが明確だ。感情的な起伏が少なく、余計なことを言わない。仕事の話だけをする。俺は分析型なので、こういう相手は話しやすいと感じる方だった。
ただ、連絡先を自発的に渡してもらえそうな雰囲気では全くなかった。
打ち合わせは順調に進んでいた。順調に進んでいるということは、終わりに近づいているということだった。
午後一時五十分。残り三十一分。内容は八割方終わっていた。
そこでスキルが反応した。
この人は今日、何も食べていない。
根拠はない。ただそう思った。昼食も取れていないか、食べるつもりで食べられていないか。確信に近いものがあった。
打ち合わせが一段落して、倉持奈緒がコーヒーを一口飲んだ。コーヒーだけだった。
「少し確認させてください」と言ってノートパソコンを開いた。三十秒ほど沈黙があった。
「倉持さん、昼食まだですか」
倉持奈緒が顔を上げた。無表情だったが、わずかに目が動いた。
「……なぜ」
「なんとなく」
間があった。
「……そうです。午前中に予定が詰まっていて」
「このあと時間はありますか」
「打ち合わせが終わり次第、別の予定があります」
昼食を取れないまま次の予定に行く、ということだった。
二つ目のスキルが静かに反応した。
この人は今、誰かに気にかけられることを拒絶しない。
「少し待ってもらえますか」
会議室を出た。廊下でりりが待っていた。ポップコーンを食べていた。
「何する気」
「自動販売機はあるか」
「ロビーにあったよ」
ロビーに下りた。自動販売機の前に立った。
直感が来た。
サンドイッチではない。おにぎりでもない。隣にスープの自販機があった。コーンスープ。
コーンスープを買った。会議室に戻った。倉持奈緒がパソコンから顔を上げた。
「これ、よければ」
差し出した。
倉持奈緒は三秒、それを見た。それから俺を見た。
「……なんで」
「なんとなく、これかと思って」
また同じ答えしか出てこなかった。
倉持奈緒はコーンスープを受け取った。一口飲んだ。何も言わなかった。打ち合わせを再開した。
打ち合わせが終わったのは午後二時七分だった。
残り十四分だった。
倉持奈緒が立ち上がり、資料をまとめ、名刺入れを手に取った。俺も立ち上がった。このまま終わると死ぬ。終わりそうだった。死にそうだった。
「本日はありがとうございました」
「こちらこそ」
終わった。終わってしまった。倉持奈緒が会議室のドアを開けた。
終わった。終わってしまった。死んだ、ああ、死んだ。くだらない人生だった。
出ようとして、止まった。
振り返った。
「厄神さん」
「はい」
「……LINEとか、ありますか」
俺は一秒かけてその言葉の意味を確認した。
「あ、ありますあります」
「次回の件で直接やり取りできた方が早いかと思って。よければ」
倉持奈緒がスマートフォンを差し出した。QRコードが表示されていた。
俺は自分のスマートフォンを取り出して、読み取った。背中が変な汗でびっしょりだった。
「失礼します」と倉持奈緒は言って、先に廊下に出た。表情は変わらなかった。
ぴろりんと音がした。
お疲れ様でございます。ミッション達成が確認されました。報酬スキルを付与いたします。当該スキルの内容は「相手が話したいことを抱えているかどうかが直感でわかる能力」でございます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
ビルを出た。りりが横を歩いていた。ポップコーンを食べていた。
「自発的に渡してきたね」
「そうなった」
「コーンスープが効いたんじゃない?」
「かもしれない」
「スキル便利じゃん」
「コーンスープを当てるためのスキルではないと思うが、そう使った」
りりがポップコーンを食べた。
「あの人、また連絡してくると思う?」
「次回の件で直接やり取りすると言っていた」
「業務上以外は」
「わからない」
わからない、と言ったが、倉持奈緒がドアの前で止まった瞬間のことを、俺は少し考えていた。あれは何かを言おうとして言わなかった止まり方だった。「次回の件で直接やり取りできた方が早い」というのは本当のことかもしれないし、そうでないかもしれない。どちらかはスキルではわからない。スキルは今この瞬間の状態を読むものであって、相手の考えを読むものではない。
「これも何の役に立つんだ」
「聞いてあげれば?」
「スキルは感知するだけで、聞くかどうかは俺が決める」
「そうだよ。それでいいじゃん」
りりは珍しく即答しなかった。ポップコーンを食べながら少し考えてから言った気がした。
電車に乗った。りりはポップコーンを食べた。俺は窓の外を見た。
スマートフォンの画面に、倉持奈緒からLINEが来ていた。
本日はありがとうございました。倉持。
それだけだった。次回の件には触れていなかった。
りりが横から覗いてきた。
「次回の件、書いてないじゃん」
「書いていない」
「なんで送ってきたんだろうね」りりが言った。「たぶん」
たぶん、というのがまた引っかかった。
電車に乗った。りりはポップコーンを食べた。俺は窓の外を見た。
三つのスキルが揃っていた。食べたいもの、触れられたいかどうか、話したいことを抱えているかどうか。どれも相手の今の状態を読む系統で、どれも恋愛攻略とは直接関係がない。
ただ、使えていた。
それが地獄のシステムの意図なのか、偶然なのか、あるいは俺がそういう使い方しかできないのかは、まだわからなかった。
会社に戻る時間だった。
第三話 了




