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婚約破棄された悪役令嬢は、二度目の人生で愛する人を選びたい  作者: ましろゆきな
第一部 失う 

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3/6

第3話 僕は君に縛られていない

 その冬、エレノアの容態は急速に悪化した。


 十七歳になったばかりだった。婚約から三年。結婚の話も、両家の間で具体的に進み始めていた矢先のことだった。


 医師たちは口々に、はっきりしたことは言わなかった。ただ、誰の顔にも同じ諦めの色が浮かんでいた。魔力循環がうまくいかない。原因は分からない。対症療法しかない。ここ数十年、変わらず繰り返されてきた診立てだった。


 アルベールは、当時まだ学生の身分だった。正式な医師ではない。診断も、治療方針の決定権も持たない。彼にできたのは、屋敷の書庫と医学院の図書室を往復して、片っ端から症例を読み漁ることだけだった。


 似たような症例を探した。魔力枯渇症の記録、魔石療法の記録、原因不明のまま改善した記録。だが、それらは断片的で、体系化されていなかった。誰一人として、それらを一つの疾患として繋げて考えた者はいなかった。


 時間が、圧倒的に足りなかった。


「アルベール」


 窓辺の椅子で、うたた寝から覚めたアルベールに、エレノアが小さく声をかけた。


「……起こしたか」


「ずっとそこにいたの?」


「うん」


 当たり前のように頷くアルベールに、エレノアは小さく笑った。もう、以前のような血色は戻らない。頬はこけ、唇にも色がない。それでも彼女は、いつものように穏やかに笑おうとした。


「勉強、進んでる?」


「進んでる。……あと少しなんだ」


 嘘だった。あと少しでは、なかった。アルベールは自分でもそれを分かっていた。だが、それ以外の言葉が見つからなかった。


「もう少し待ってて。必ず、治す方法を見つける」


 エレノアは何も答えなかった。ただ、少しの間、窓の外を見つめていた。庭の薔薇は、もう何年も彼女の目に映っていなかった。窓辺まで来ることすら、今のエレノアには難しかった。


「……ねえ、アルベール」


「なに」


「もし、私が治らなかったら」


「治る」


 食い気味に、アルベールは言った。声に力を込めすぎて、少し掠れた。


「治るよ。だから、そんなこと」


「聞いて」


 エレノアの声は、静かだったが、はっきりしていた。


「もし治らなかったとしても、あなたは、ちゃんと自分の人生を生きて。私のために、時間を使いすぎないで」


「エレノア」


「私、ずっと考えてたの。あなたは、こんなに優秀なのに。次男だから家督もない。だから、自由に生きられたはずなのに。……私のせいで、ずっとここに縛りつけてしまっているんじゃないかって」


「違う」


 アルベールは即座に否定した。だが、その先の言葉が、いつものように出てこなかった。


 ――僕は縛られてなんかいない。僕自身が、君を選んでいるんだ。


 そう言おうとした。何度も、喉元まで出かかった。だが、エレノアの弱々しい呼吸を前にすると、その言葉はいつも、行き場を失って消えてしまう。まるで、今それを言うことが、彼女に対する押しつけであるかのように感じてしまう。


 アルベールは、代わりにただ、エレノアの手を握った。


 その手は、以前よりもずっと軽く、冷たかった。


 ◇◇◇


 春の初め、エレノアは静かに息を引き取った。


 その数日前、意識がまだはっきりしていたある夜、彼女はアルベールの手を握りながら、こう言った。


「アルベール」


「……なに」


「ありがとう。ずっと、そばにいてくれて」


「エレノア……」


「ごめんね。私にずっと縛り付けてしまって」


 その言葉を聞いた瞬間、アルベールの中で何かが崩れた。


「違う。僕は――」


 僕は君に縛られていたんじゃない。僕自身が、君を選んでいたんだ。


 そう言おうとした。だが、エレノアはもう、ゆっくりと目を閉じていた。まるで、長年抱えてきた罪悪感を、ようやく言葉にできて安堵したかのように。


 その安堵した表情が、アルベールにはたまらなく苦しかった。


 彼女は最後まで、自分が「縛っていた側」だと思ったまま逝ってしまった。


 アルベールがどれだけそばにいたかったか。どれだけ自分の意思で、彼女を選んでいたか。それを、最後まで、正しく伝えられなかった。


 葬儀の日、アルベールは誰の前でも涙を見せなかった。


 ただ、屋敷に戻ってから、一人で医学書の山の前に座り込み、何時間も動かなかった。


 ――間に合わなかった。


 その事実だけが、鉛のように胸の底に沈んでいった。


 もし、もう一度やり直せるなら。


 もし、もう一度、あの子に出会えるなら。


 今度こそ、間に合わせる。


 今度こそ、伝える。


 僕は君に縛られていたんじゃない。僕自身が、君を選んでいたんだと。


 そして、健康なあなたにも、それでも僕を選んでもらえるように――


 その願いが、どこかに届いたのかどうかは、分からない。


 だが、次にアルベールが目を開けたとき。


 そこは、六歳の自分の部屋だった。

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