4-3
街外れの工場跡地に忠志のSUVは止められていた。
人目につかないところいってもなかなか見つからないものだが、ここならば古い工場の陰になっており、誰にも見られる心配もないだろう。
SUVの運転席に座りながら奈津子はぼんやりと雲が青い空を流れていくのを眺めていた。
助手席では川渕忠志が眠っている。
海に向う途中、忠志はすぐにコーヒーにいれられた睡眠薬のために睡魔に襲われた。忠志は車を道路脇に止め、ほんの少しのつもりで仮眠を取った。その隙に奈津子は忠志を助手席に移し、自分で運転してここまで連れてきたのだ。
忠志の身体がモゾモゾと動く。
(そろそろかな……)
ちらりと腕時計を見た。
2時20分。そろそろ薬が切れる頃だ。
家族を失ってすぐに奈津子は病院から処方された睡眠薬を服用するようになった。どのくらいの量でどのくらい眠れるかは自分の身体で何度も試している。
すでに忠志の両手両足ともにガムテープでグルグルに結び付けられ、その身体もガムテープで助手席にしっかりと固定されている。
目が覚めても逃げることは出来ない。
たとえ非力な自分でも、これならば忠志の身体を自由にすることが出来るだろう。
奈津子は小さ目のペットボトルに口をつけると烏龍茶で喉を潤した。緊張感のせいか、やたら喉が渇いていた。
もう引き返す事は出来ない。
奈津子は大きく深呼吸すると隣へ身体を向けた。
「ねえ……」
軽く声をかける。
忠志は反応を示さなかった。
「ねえ」
奈津子は忠志の頬を軽く叩いた。
まだ反応を示さない。
奈津子は右手をあげると忠志の頬を思いっきり張った。パシンという音がして、忠志の顔が痛みに歪んだ。
「う……」
「起きた?」
その声にやっと忠志は薄目を開けて奈津子の顔を見た。
「……あれ……寝ちまったのか……」
大きく欠伸をして、そして、やっと自分の身体が自由に動かないことに気づく。「なに……なんなんです、これ」
その顔から眠気が一気に消えていく。
「教えて欲しいことがあるの」
静かに奈津子は言った。
「……いったい何の真似ですか? これは?!」
忠志は自由のきかない身体を揺すって周囲を見回した。「ここ、どこですか?」
「騒いでも誰も来ないから静かにして」
落ちついた声で奈津子は話し掛けた。
「いったい何のつもりですか?」
忠志はまっすぐに奈津子の顔を見た。
「教えて」
「何をですか?」
「去年の大晦日、あなたどこにいたの?」
「え……?」
「去年の大晦日よ」
「何言ってるんですか?」
忠志の顔に戸惑いの表情が浮かぶ。
「答えて」
「ひょっとして恵美に何か頼まれたんですか? 馬鹿なことやめてください」
「答えて」
奈津子が繰り返す。静かだが、低く鋭い声だった。
「何のために?」
「高速道路で起きた事故、憶えてるわよね」
その反応の全てを読み取ろうとするように、奈津子は忠志の顔を食い入るように見つめた。その様子に忠志の顔が緊張する。
「……何言ってるんだ? あなたは誰なんだ?」
忠志は不思議そうな目で奈津子を見た。
「あなた、そこにいたはずよね。あの事故の現場にいたわよね」
まるで親が子供を諭すときのように、穏やかな口調で奈津子は言った。
「なんでそんなことを?」
「これが誰かわかる?」
奈津子はポケットから一枚の写真を取り出した。一人の若い男が公園で小さな赤ん坊を抱きしめている写真だった。
すぐに忠志は首を振った。
「いや、知らない……誰なんだ?」
「私の主人と子供よ」
「え?」
忠志は眉をひそめた。
「あの事故で二人、亡くなった人がいたの。そのくらいは知ってるわよね」
「まさか、それが――?」
「そうよ」
「そうか……あなたも大変だったんだな。だが、それが俺に何の関係があるんだ?」
忠志は身を竦め、目だけ動かして周囲を確認した。周囲に人の姿はまったく見えない。
「ふざけないで。あなたがあの事故を起こしたんでしょ?」
「何言ってるんだ? どうして俺が――」
そんな忠志の言葉を遮るようにさらに奈津子は言った。
「私、知ってるのよ。あの日、あなた、長野に行ったでしょ」
「なぜ、そんなことを……」
「行ったわよね」
「ああ」
忠志は小さく頷いた。
「そして、その途中であの事故をおこした」
「違う。確かにあの日、俺は長野に行った。だが、あの事故とは何も関係がない」
「嘘つかないで!」
奈津子の声が大きくなった。
「奈津子さん……何か誤解してるんじゃないのか……誰からそんな話を聞いたのかはわからないがそれは間違ってる」
宥めるように忠志は言った。
「ふざけないで!」
「……」
「あなたよ。あなたが二人を殺したのよ」
鋭い口調で奈津子は言った。
「そうか……じゃあ、もし、俺があなたの捜している相手だとしたら、どうするつもりなんだ?」
「裁きよ」
「何?」
「あなたに裁きを与えるの」
「奈津子さん、あなたの気持ちはわからないわけじゃない。でも、そんなことをして何になるんだ? そもそも俺はあなたが捜している相手じゃない」
「あの子たちのためよ。あなたにはあの子たちのもとへ行って詫びてもらうわ」
「馬鹿なことを!」
思わず忠志は怒鳴った。「いいかげんにするんだ!」
「無駄よ」
その忠志の反応に奈津子は軽く鼻先で笑った。「そんなわざと大声出して誰か呼ぼうとしても、ここには誰も来ないわ」
「……」
忠志は身を起こして窓から周囲の様子を伺った。奈津子の言うように助けを呼ぼうにも人の姿がまるで見えない。
そんな忠志を見つめながら奈津子がさらに声をかける。
「あなたに教えて欲しいことがあるの……あの時、一緒に女の人がいたでしょ? あれは誰?」
「……何を……」
「事故をおこした時、運転していたのはあなた。でも、あなたは一人じゃなかった。この車のなかにもう一人、女性が乗っていたはずでしょ」
「違う。俺は一人で長野に行ったんだ。そもそも事故とは関係ない」
「また嘘ばっかり」
「嘘じゃない」
忠志は必死に逃れようとするが、まるで身動きが取れない。
「私、ちゃんと調べてるの。あなたが女性と一緒だったのはわかってるのよ」
「何言ってるんだ?」
「ホテルのロビーで女性と一緒だったのを見られてるのよ」
「そ、それは違う!」
正しは大きく首を振った。
「違う? 何が? あなたとその女がうちの子を殺したのよ! 答えて。その女は誰なの?」
「違うんだ」
「……ねえ、誰なの?」
忠志の言葉などまるで聞こえないかのように奈津子が繰り返す。
一瞬、沈黙が訪れた。忠志は何かを考えるように口を結んでいたが、やがて視線を奈津子に向けて口を開いた。
「やめたほうがいい」
「なんですって?」
「あなたの気持ちはわからないわけじゃない。けど、そんなことしたって旦那さんや子供が帰ってくるわけじゃない」
その忠志の目は、まるで自分を哀れんでいるように見えた。
「そんなつまらない話は聞きたくないわ。さあ、教えて」
奈津子の表情は変わらなかった。
「馬鹿なことやめるんだ」
その言葉に奈津子はぷいと顔を背けると、ドアを開けて車から降り、そして、すぐに後部座席のドアを開けて入りなおした。
「馬鹿なこと? あなたのせいよ。教えて。一緒にいた女の人は誰?」
背後からぬっと顔を突き出して奈津子は訊いた。
「そんなこと聞いてどうするんだ?」
「あなたの知ったことじゃないわ」
「殺すつもりなのか?」
「……そうね。そうなるかもしれないわ」
「じゃあ、そんなこと言えるはずないだろう」
忠志は奈津子の目を見てきっぱりと言った。「そもそもあなたは誤解してる。もっと冷静になってくれ」
「話にならないわ」
「ちゃんと話をしたいなら、俺の言うことを信じてくれないか」
「信じるから、一緒にいた人が誰なのか教えて」
「そんな人はいない。いない人間のことを言えるわけないだろう」
「言わなければ殺されないと思うの?」
奈津子は後部座席に置かれていた細く頑丈そうなロープを手にとると、すっと忠志の首にかけた。そして、皮の手袋をかけた手でそっと忠志の首を撫でた。
「やめろ」
「教えて……あの女は誰?」
そう訊きながら、自分の指先が震えていることに奈津子は気づいた。怒りのためか、それとも自分がやっていることに対する怖れのためか。
それでももう止めるわけにはいかなかった。
「やめろ!」
忠志は逃げようと必死に体を動かした。逃れようともがくのに合わせて車がゆさゆさと揺れる。
「あなただって死にたくないでしょう? 死にたくなかったら教えて」
「止めるんだ。あなたは勘違いしてるんだ」
忠志は振り返るような姿勢で後部座席に座る奈津子に言った。その目は決して死を怖れているようには見えない。
(終わりね)
これ以上、訊いてみても忠志は決して何も答えはしないだろう。
奈津子は覚悟を決めた。




