俺はただの高校生だ!
「やっほ。元気?」
「……セリス、か」
この光景は何度目だろうか。セリスがこちらの顔を覗きこみ、ソウマは腕に包帯を巻かれながら、彼女を見上げる。
そこは医務室。
人気の少ないだだっ広い空間を見渡しながら、ソウマは苦々しい面持ちで顔を背けた。
「……もう大丈夫だ。ミィアに直してもらったからな」
あれから二時間。
一応の為ということでメイアとフェルトナに連れられ、ソウマはこの医務室に運ばれたのだ。
そう、負けた相手に運ばれたのだ。
その悔しさが、腹の底でグルグルと渦を巻いて、吐き気を催していた。
勝ちたかった。
なのに――――
「……」
「何? 負けたのがそんなに悔しいの?」
「うるせぇ……」
じっと見つめる視線に恥ずかしいくらいだ。
ふてくされて顔を背けると、ソウマは腕に包帯を巻かれながら、首をかしげて覗きこむセリスのあどけない表情に視線を伏せた。
そんなどこかムスッとして頬を膨らませる青年の横顔に、セリスは困ったような笑みを見せた。
「まったく……事象兵器相手に生身の人間が生きてること自体がありえないんだから。生きてるだけで勝ちよ」
「……」
「知ってる? 事象兵器って何かって」
「しらねぇよ」
「なら教えてあげる」
そう言いつつ、セリスはベッドの縁に腰を落とすと、フイッと顔を背けるソウマの患衣の襟元をそっと整えた。
「事象兵器はね、簡単に言えば、この世界に存在することが許されない禁忌そのものなの」
「……」
「あらゆる時空間の中において、これを投入する事の許されない兵器。変異時空間が完全圧縮状態で保存されたコアを二つ以上装備していてね」
「わかりやすく」
「わかりやすく言えば、彼の兵器の中には、別の宇宙が最低でも二つ、装填されている」
「そう」
「まったく別の時間の流れ、全く別の事象地平線が構築されている。それ自体が一事象を支えるあらゆるシステムに干渉し、あらゆる存在体系のルーツを浸食していくの。
もっとわかりやすく言えば、それが存在するだけで、この宇宙を構築する時間は別の時間に組み込まれ、急速に浸食され、究極的には消滅する。
この兵器自体が、存在するだけで宇宙を破壊するの」
「ふぅん」
「わかってる?」
「そんな顔に見えるか?」
「そうね」
「メイアが言ってたナハト、フィリアって奴もそれか?」
「死にかけだったのによく覚えてるね」
「敵の顔と声は死んでも忘れないつもりさ」
「まさに猟犬」
「あんがとよ」
「……アロンダイトに搭載された虚数兵器であり三つある駆動機関の一つ【ナハトフィリア】だね。その中には空間という位置座標で捉えられない、虚数変異事象が内包されたもの。
【無】の空間。空間が無いことが有る空間。矛盾した事象そのもの。
全ての空間時間に規定された法則に基づく事象そのものを【否定】し変異させる、対事象兵器の為の兵器だね」
「……とんでもないな」
「そ。喰らえば本来その事象、存在は消失する。……文字通り、けし飛ぶわ」
「……」
「そんな相手に、平気な顔で立っていたんだから。すごいの一言で片づけられないわ。私だったら怖くて即、自分の事象兵器で抑え込みにかかるわ」
「セリスの?」
興味津々で目を見開きこっちを見るソウマに、セリスは少し複雑な表情を浮かべて頷いた。
「うん。【アルク・イゾルデ】っていうの。私はアルクって呼んでるわ」
「アルク……」
「もしくは、お父様、かな?」
「なんでだよ?」
「秘密」
クスクスと笑うと、セリスは口を閉ざし、腕の包帯を巻き終えて、ベッドから離れた。
「まぁ、ともあれ、あまり無茶はしないでね。あなたはそんなに強くないんだから。いざというときには私たちに任せて」
「……。ミィアは俺が護る」
そう言う彼の顔は、真剣そのものだった。
曇りのない眼差し。
譲る気のない信念が瞳を通して感じ取れ、セリスは熱っぽい視線に溜息をこぼして、呻いた。
「まったく……頑固ね」
「そう決めたからな」
「―――――初めて来たときは、どんなお坊ちゃんかと思ったけど、とんだ化け物ね。獣と言ってもいいわ」
「?」
「なんでもない。少し寝てなさい。五分もすればすぐに体力は回復するように霊術をかけておいてあげたから」
「どこに?」
「その包帯に」
「すまんな」
「そう思うんだったら、自重しなさいよ」
「メイアに言え」
「さんざん言ったわ。今フェルトナのおじさまと一緒にデート中。今頃こってり絞られているでしょうね」
「あのオッサン怒ることもあるんだ」
「たまにね」
そう言って医療用の包帯の束を取り上げると、セリスはスカートを翻してその場を去った。
残ったのは訪台を全身に巻いた、半裸のソウマ。
ベッドに座っているだけで、何もすることなく、退屈とけだるさが一緒にやってきて、眠気に変わって目尻を襲った。
五分。
身体の回復は寝ていようと、起きていようと、セリスの霊術は起動し、全ての傷をいやしてくれる。
だから眠るつもりもない。
それに――――
(……霊術、か)
―――――勝ちたかった。
負けたことが今でも心にチクリと針を残した。
強くなりたいと心が疼いた。
拳に血が巡り、力が入った。
負けたくないと――――
「……其れは、魂の慟哭」
声。
不思議な言葉だった。
胸の奥の底――――魂があるならきっとそこだろう――――どこまでも身体の根に響く声が、頭の先からつま先まで広がった。
それは水面に石を投げ広がる波紋のように、穏やかに広がる。
吐息が零れる。
ソウマはゆっくりと目を開き、顔を上げる――――
「……ここは」
暗闇。
何もない。
部屋の形も天井の形も、人の影も何もかもない。全てが黒く塗りつぶされ、凹凸のないのっぺりとした漆黒が広がっていた。
視力でも失ったか。
そんな疑いさえ覚えるような、深い深淵の底を見つめながら、ソウマは戸惑いにその瞳を見開いた。
「……なんだ?」
クシャリ……
驚きに拳を固めながら、自然とシーツが指に絡む。
ハッとなって手元を覗きこむと、そこには真っ白なベッドのシーツが下半身に掛けられていた。
どうやら視力はあるらしい。
となれば、暗闇が突然目の前に広がった――――前触れもなく、世界が暗く、夜の底に沈んだのだろう。。
或いは――――
(別世界……)
「ここは【原初の地平】――――――事象の起源となりし場所」
ソウマはベッドから足をおろしながら、困惑気味にあたりを見渡した。
暗闇に包まれた地平にはなんも見えず、ただどこまでいっても深淵ばかりが広がり、気が狂いそうになった。
なぜ、自分はここにいるのか。
なぜ。
「……黒き龍め。よくも面白い獣を見つけてくる」
声が近くなる。
後ろ。
ソウマはハッとなって目を赤く見開くと、振り返ってその拳を構えて腰を落とした。
そして、ベッドの上。いつの間にか、そこには一匹の影が座り込んでいた。
「久しい顔だ……」
「……誰だよ」
「災禍」
一言、そう言って佇むのは、大型の狼だ。
前身は真っ黒で、それでいて毛並みの一本一本が映えるほどに艶やかなもので、その両手足は太く爪がシーツに食い込んでいた。
すらりと伸びる長い背筋。太く長いしっぽがユラユラとシーツを撫でている。
突き出た鼻筋。ピンと尖った耳を退くつかせ、そこには黒毛の大狼がソウマの顔を覗きこみ、その牙を覗かせほくそ笑んでいた。
その紅い目が闇にぎらつき、ソウマを見つめる。
「……よく育ったものだ」
「見覚えがない」
「――――だろうな」
ニィと不気味に笑う黒い狼に、ソウマはムッと表情をさせながら、手首をさする。
「今更、ここがどこだのナンセンスな問答はしないさ。聞きたいのは、なんでアンタは俺の前に立つ?」
「……こっぴどく負けたな」
「人の心の根を綺麗に抉りやがる……」
顔をひきつらせ青筋を浮かべるソウマに、黒きオオカミは静かにその顔を覗きこむように首を僅かに伸ばして、その尖った耳を垂らした。
「問おう……なぜ殺そうとしなかった?」
「……」
「獣よ。お前は飼い犬になった。一人の女を護るために、その牙を収めた。だから殺そうとしなかった」
「……強すぎた、相手に勝てるわけがなかった」
「否」
「……」
「お前はあの女を殺せた。反証兵器を砕き女の喉元に刃を突きつけることは容易だった。そして世界を滅ぼす事が出来た」
「な……」
「あの日、お前の魂には、【刻印】が刻まれた」
そう囁く狼の視線の先、ソウマの身体にうっすらと黒い痣のような円模様が胸倉を中心に浮かびあがり広がっていく。
ゾクゾクとする感覚。
手足がしびれるような感覚が全身に走り、ソウマは慌てて広がる黒い刻印を止めるかのように、その胸元を掻きむしった。
「くそ、何しやがる……!」
「お前の魂には【災禍】が眠っている。お前の体には【災禍】が刻まれている」
苦しげに呻くソウマの体の表面に這うように蛇行して広がる黒いあざ。
それは身体に巻き付けた包帯の上からでもはっきりと見えるほどに浅黒く刻まれ、ソウマはそのたびに僅かな痛みを額の奥に刻む。
そして、霞む視界で暗闇の中に佇む黒き大狼を捉える――――
「なんだよ……気持ちわりぃ」
「忘れたわけではあるまい。お前はあの日、変革を受け入れたのだ」
「何の……話だよ」
ニィと狼は嗤う――――
「深き森の奥、人里離れた山の洞穴。お前は見たはずだ。人の境界線を」
ソウマは目を見開く。
その紅い目に映る黒きオオカミを睨みつけ、苦しげに牙を覗かせ、呻く。
「なんで知ってやがる……」
「【旧き災禍】はお前を選んだ。その深淵の底に眠りし真理の大樹は、お前の帰りを待っている」
「……知らない」
「お前は、人ではない」
「違う!」
闇に叫ぶ声が木霊する。
それでも動じることなく、黒きオオカミはたじろぐソウマへと、ベッドから飛び降りると、彼の足元まで歩み寄り、その苦悶に歪む顔を覗きこんだ。
「わかっているはずだ。……だから、力を抑えた。その力は、事象地平線の根源に眠る深き澱にあるものだから」
「知らん……俺はクガソウマ……ただの人間だ」
「既に契約は為された。その魂には、災禍の刻印が刻まれた」
グッ掻き毟る胸元はぽっかりと空いていた。
ソウマは後ずさり、胸に浮かぶ黒き文様を抑え、歯軋りを滲ませ呻いた。
「……もう、あの姿にはならない」
「身体は覚えているはずだ。痛みを、苦しみを、絶望を、渇望を」
「だとしても、俺は人間だ……」
「思い出せ。お前はすでに人ではない。お前は決して負けることはない」
「―――――アレは、あの力は絶対に使わない」
ソウマは力なく項垂れ、呻く。
「お前は【災禍の獣】だ」
「俺はただの高校生だ」
「お前は【災禍の魔王】だ……」
「俺はただの高校生だぁ!」
「ソウマ!」
闇に響くでかい声。
ハッとなってソウマがあたりを見渡せば、そこは真っ白な景色。
医務室。
ここに最初からのいたのだろうか。最初と同じく、ベッドに身体を投げ出し、目を見開き横たえ天井を見上げていたのだ。
先ほどの、のっぺりとした闇は見えない。
あるのは真っ白な天井。
そして、隣で心配そうに見つめるセリスの顔。
「……セリス・トリスタン」
「よかった……一瞬だけど次元境界値が恐ろしい数字で反転したわ。何かあったの?」
「……いや」
「夢でも?」
「……なぜ?」
「汗がびっしょり」
額を拭えば、そこには包帯が滲むほどの大粒の汗が掌に浮かんだ。
そして、その手のひらには、先ほどから浮かんでいた黒い痣模様は消え、汗に濡れた包帯と自分の掌が、天上の明かりに照らされ白く映っていた。
何も変わらない。
ただ、日常が目の前に広がっていた――――
「……」
「すごい顔……」
「……包帯をはずしてくれ」
「大丈夫?」
「……多分」
―――――この感情はなんだ。
胸を突く衝動。
怒り。恐怖。焦り、絶望。
いろんな感情がないまぜになりぐるぐると腹の底をめぐっていた。
そして何よりも一つの感情が、ベッドから起き上がり胸を掻きむしるソウマの心臓をわしづかみにしていた。
それは――――
(……懐かしい)
肌に残る懐かしい匂い。
森の匂い。獣の匂い。
そして、澱みの匂い。
どこかで嗅いだ事がある。
あの暗き場所に、いつの日か、いたことがある――――
―――――契約はすでに為された。
頭の中で声が聞こえる。
ソウマは腕を差し出し、セリスに包帯を解いてもらいながら、胸の奥から湧き上がる苛立ちにさらに顔をしかめた。
(なんだ、アレは……)
―――――災禍。
その言葉が頭に離れない。
心の底から湧き上がる、得体のしれない感情だけが、頭の奥をかき乱し、そのたびにソウマの顔が歪んだ。
「……くそ」
「……。アレ?」
「なんだよ……」
「ソウマ……その手」
「え……?」
ソウマはセリスに言われて、ふと包帯を解いた自分の左手を見下ろした。
そして、その紅い瞳を見開く――――
―――――さぁ、再び目覚めの時ぞ、【災禍の魔王】よ。
浮かびあがるは、小さな【印】
手の甲にうっすらと円形に浮かぶその模様は、太陽のように四方に茨の痣を浮かべて指先へと走り、手首を覆っていた。
小さく、だがくっきりと浮かんだ其れは【刻印】だった――――
―――――ソウマ。我が主よ。
「不思議な刻印……なんか特殊な霊術でも学んだの?」
「……」
「ソウマ?」
―――――汝はすでに人にあらず。闇の底を覗き、その深みに手を伸ばし、お前は【獣】になった。
意識の底、闇の中で、誰かが笑っていた。
それは狼の姿をしていた。




