第4章:雨の抱擁、その冷たさ
その日の佐久市の空気は骨の髄まで刺すように冷たかったが、あかりの心の内の冷気はそれよりもずっと濃かった。今日は特別な日になるはずだった。あかりの10歳の誕生日だ。この「10」という数字が、両親の自分を見る目を変えてくれるのではないかと期待していた。せめて今日だけは、あの木造の家の中で「幽霊」ではなくなれるのだと。
あかりは鼓動を速めながら台所へ下りていった。髪には、自分が持っている唯一の綺麗な物である、少し色あせた赤いリボンをわざと結んでいた。
「お母さん、おはよう」あかりは食卓を輝く瞳で見つめながら、静かに声をかけた。
母は豪華な弁当箱を詰めるのに忙しそうだった。「あら、あかり。早く朝ごはんを済ませなさい。今日、江戸は学校の遠足だから、お弁当の準備で忙しいのよ」
お祝いの言葉も、抱擁もなかった。
「お母さん……今日が何の日か、覚えてる?」あかりの声が震えた。
母は一瞬手を止め、眉をひそめた。「5日?……ああ、そうね!お父さんが、今日の午後に江戸の新しいサッカースパイクを取りに行かなきゃいけないって言ってたわ。思い出させてくれてありがとう、あかり」
あかりの足元で世界が崩れ落ちるようだった。彼女は苦い唾を飲み込んだ。江戸にはサッカースパイク。一方で、あかりの通学靴のつま先には穴が開き、中に段ボールの切れ端を詰めてしのいでいるというのに。
苦しみは学校でも続いた。休み時間、激しい雨が降り出した。あかりは、友達が色とりどりの傘で迎えに来てもらうのを見ていた。校門に、父の車が停まるのが見えた。あかりは小走りで駆け寄った。今日は自分の誕生日だから、父が迎えに来てくれたのだと思い込んで。
しかし、車は友達と一緒に立っていた江戸の前で止まった。父は大きな傘を差して車から降り、江戸を抱きしめ、温かいホットチョコレートを渡した。
「さあ、乗れ、大将!風邪をひいちゃうぞ」父は笑いながら言った。
あかりはそこからわずか3メートル離れた場所で、ずぶ濡れになり、寒さに震えながら立っていた。彼女は父を見つめた。父は一瞬こちらを向き、泣きそうなのを堪えて赤くなったあかりの瞳を見た。しかし、父はただ鼻で冷たく笑っただけだった。
「あかり、歩いて帰りなさい!あんたはもう大きいんだから、弟みたいに甘えるんじゃない!だいたい、車のシートは江戸の荷物でいっぱいなんだ!」父はそう叫ぶと、車のドアを閉めて走り去った。あかりを排気ガスの煙と、痛いほどの雨の中に置き去りにして。
あかりは一人で歩いて帰った。濡れた足が踏み出すたびに、穴の開いた靴から「ベチャ、ベチャ」と水が入り込む音がした。道の途中で、彼女は泥沼に足を取られて転んだ。通学カバンは汚れ、肘からは血が流れた。
彼女は立ち上がらなかった。泥だらけの地面に座り込み、雨が涙を隠してくれるのに身を任せた。
家に着くと、事態はさらに悪化していた。母があかりの小さなタンスをひっくり返しているのを見つけたのだ。あかりの小さくなった服が床に放り出されていた。
「お母さん?何をしてるの?」
「江戸の新しいおもちゃのコレクションを置く場所が必要なの。あんたの服は裏の倉庫に移しなさい。あそこなら、片付ければ寝るスペースくらいあるわよ」母は罪の意識もなく言った。
裏の倉庫は暗く、湿っぽく、カビ臭かった。それは「不用品」を置く場所だった。そして今、あかりは自分の家で正式に「不用品」として扱われたのだ。
その夜、冷たい倉庫の中で、あかりは膝を抱えていた。壁に立てかけられた割れた鏡を見る。顔は青ざめ、瞳は空っぽだった。手には、自分で自分のために書いた誕生日のメッセージカードを握りしめていた。
『誕生日おめでとう、あかり。君が早く消えてなくなれますように』
彼女はその紙を、粉々になるまで握りつぶした。先ほどまでの涙という痛みは、今や鋭い「決意」へと凍りついた。もう認められる必要なんてない。ただ、正義が必要なだけだ。そしてあかりにとっての正義とは、自分が今感じているのと同じ大きさの「穴」を、彼らにも味わせることだった。
「あと一日」あかりは倉庫の暗闇に向かって囁いた。「あと一日だけ。彼らの『王子様』をふさわしい場所へ連れて行くまで」




