第3章:ひび割れた皿に残された祝祭の跡
その日の佐久市の朝、木造の鈴木家には炊きたての白米と味噌汁の香りが立ち込めていた。しかし、あかりにとって、その香りはいつも不公平な匂いがした。
食卓では、母が野菜を嫌がってぐずる江戸に食事を食べさせるのに忙しかった。「ほら、お母さんの小さな王子様。もう一口だけ頑張りましょう。そうすれば、後でロボットで遊ぶ力が湧いてくるわよ」母の声はとても優しかった。あかりが自分に向けられたことのない、そんな優しい声だった。
あかりは食卓の最も暗い隅に座っていた。目の前にあるのは、冷めきったご飯の茶碗と、小さな魚の食べ残しだけ。彼女は皿洗いのしすぎで荒れた自分の手を見つめ、それから江戸の白くて綺麗な手を見つめた。
「お母さん、今日学校で通知表が配られたの」あかりは静寂を破ろうと、静かに言った。「私の成績……クラスで1番だったよ」
新聞を読んでいた父は、紙面を下げようともしなかった。「よかったな。長女としての義務を果たしただけだ。調子に乗るな」
その時、江戸が突然叫んだ。「お母さん!見て!太陽を描けたよ!」
途端に、父は新聞を置き、母はスプーンを放した。二人は江戸に駆け寄り、まるでそれが世界的な傑作であるかのように、めちゃくちゃなクレヨンの落書きを褒め称えた。「すごいぞ、江戸!パパの子は天才だ!」父は誇らしげに江戸の髪をかき回した。
あかりは箸を強く握りしめ、指の関節が白くなった。学校での1番という成績は、甘やかされた子供のクレヨンの落書きほどの価値もなかったのだ。この家で、あかりは実績のある「幽霊」であり、江戸は決して間違わない「神様」だった。
悲劇の絶頂はその日の午後に訪れた。激しい雨が降り注ぎ、家の中は湿っぽくなっていた。あかりが小さな自分の部屋で勉強していると、居間からドスンという大きな音が聞こえ、続いて江戸の激しい泣き声が響いた。
あかりが駆け出すと、両親の結婚祝いであるアンティークの花瓶が粉々に砕け散っていた。江戸はそこに立ち、野球のボールを握りしめ、恐怖で顔を青ざめていた。
「何があったの?!」母がパニック状態で駆け込んできた。
あかりが声を出す前に、江戸は震える小さな指で彼女を指差した。「お姉ちゃんが……お姉ちゃんがボールを投げてきたんだ。それが花瓶に当たって……」
あかりのなかで、世界が止まった。「私じゃない!私は部屋に——」
パチッ!
激しい平手打ちがあかりの頬に飛んだ。犯人は、帰宅したばかりの父だった。「弟の面倒もまともに見れず、今度は罪をなすりつけるのか?!お前はなんて酷い姉なんだ、あかり!」
「でもお父さん、私は——」
「部屋に戻っていろ!今日の夕飯は抜きだ!」母が怒鳴り、母の肩越しにニヤリと薄笑いを浮かべる江戸を抱きしめた。その冷笑は、あかりにしか見えなかった。
その夜、あかりは冷たい自室の床で丸まっていた。空腹で腹痛がしたが、心の方がずっと痛かった。濡れた窓ガラスに映る自分の影を見つめる。左の頬はまだ赤く、ズキズキと疼いていた。
その瞬間、あかりの悲しみは蒸発し、固くて黒い、冷たい何かに取って代わった。彼女はもう泣かなかった。机の引き出しから小さな折りたたみナイフを取り出し、指先でその刃をなぞった。
「私がいなくなれば、あの人たちは悲しむ。でも、もし『あいつ』がいなくなれば……」あかりは暗闇に向かって囁いた。「……あの人たちも、ずっと崇めてきた光を失うのがどんな気持ちか、思い知るでしょうね」
その計画は、もはや単なる怒りではなかった。それは、自分自身の魂を救うための「使命」だった。あかりは手順を組み立て始めた。森、休日、そして「宝物」についての嘘の約束。




