第44話 作戦会議01
翌日。
まだ朝の光がやわらかく障子は開け放たれ、外からは爽やかな空気が流れてくる。
光が白く滲むように室内へと落ちていた頃、大和田館の一室には、どこか張りつめた静けさが満ちていた。
だが――その静けさは、外からの音によってわずかに揺れている。
「せいっ!」「ほいっ!」「ほうっ!」「そらっ!」「ふぉら!」
庭先から響く、鋭い掛け声。
木が打ち合う乾いた音が、それに重なる。
敦丸と希丸の修練だった。
少し前から、この大和田館に住う子供達は剣と槍の稽古を始めている。朝も早くから、庭に出ては木剣と木槍を振るっていた。
まだ幼さの残る動きではあるが、声だけは妙に真剣である。
――本来であれば、その場にもう一人いるはずだった。
不精者、貴丸である。
だが当の本人は、何かと理由をつけてその稽古を回避し続けていた。
足が…手が…頭が…歯が痛い、今日は無理。そうした言い訳を重ねた果てに、終いには「そもそも剣や槍で戦っている時点で負けだ」などと、もっともらしい屁理屈まで並べ立てた。
貴丸の言い分は、戦は策と軍の動きで決まるもので、大将が槍や剣で戦っている時点で負けているという理屈である。
そのうち慶久も、何も言わなくなった。
そして今――その貴丸が、部屋の中央に、いつもはダラダラしているのに、やけにきちんと座っていた。
呼び集められたのは、慶久、慶光、久秀、元伯、銀四郎、そして母の琴。
家の中枢に関わる者だけが揃い、場には妙に重い気配が漂っている。
外から、また声。「せぃっ!」
その一瞬だけ、貴丸の視線が障子の外の庭へ泳ぐ。すぐに戻し、何事もなかったように背筋を正す。
――逃げている。
それは、慶久も元伯も琴も、当然のように理解していた。だが今さら言葉にする者はもういない。
貴丸に言葉は通じず、説教は流され、理屈は別の屁理屈で上書きされるのだから。
いわば、貴丸の耳に念仏、貴丸に真珠、貴丸に腕押し、貴丸は死ななきゃ治らないのだ。
その諺だけが、妙に場に馴染んでいる。
貴丸は一度、室内を見渡す。
全員の視線が、自分に集まっているのを確認すると――
ほんのわずかに、息を吸って何かを言おうとした。
しかし、外から、また声。
「せいっ!」「ほうっ!」その響きが、わずかに残る。
貴丸の口元が、ほんの少しだけ動いた。
「……フォー……」自分でも気づかぬほどの、小さな呟き。
一瞬、間が空く。
そして――なぜか、すっと立ち上がる。
突然両手を高く掲げ、腰をくねらせては、大声で叫ぶ。
「今から貴丸考案、スペシャルビューティフォーな作戦会議をはじめます。フォー! セイ!」
沈黙。敦丸も希丸も何事かと室内に目を向けた次の瞬間。
「――貴丸! 貴方は何をいたしておるのです! 朝っぱらから、左様なはしたなき動き、即刻おやめなさい!」
顔を真っ赤にした琴に、耳を引っ張られて即座に座らされた。
そのまま――説教。
半刻。当然、誰も止めない。
元伯は肩を震わせ、慶久は目を閉じ、他の者たちはなんとも言えない顔でそれを聞いていた。
そして琴の説教が終わる頃には、庭での敦丸と希丸の修練も一区切りつき、汗を拭きながらそのまま部屋へと合流してきた。
そして、漸く慶久が眉をひそめながら語る。
「先程の……すぺしゃるなんちゃら、さくせんかいぎ、とは何なのだ……それに、その…腰振りは…」
問いは低く、しかし真剣である。
貴丸は一度だけ視線を宙に泳がせ、言葉を選ぶように間を置く。だが次の瞬間には、肩の力を抜いたまま答えた。
「軍議だよ。……それと…さっきのは…強い光線の賢い守り手?」
一同はその変わりようと、説明にポカーンだ。
慶久がお決まりの言葉紡ぐ。「また、訳の分からんことを…」
先ほどまでの妙な動きと雄叫びは謎のままだが、声だけは少し落ち着いた。
「……で、その軍議で何を決めるかだけどさ」
貴丸は腰に当てていた手を外し、軽く指先で床を叩いた。
「富岡の城、どうやって取るかを話す」
その言葉は、妙にあっさりとしていた。だが――その一言で空気が変わる。
室内の温度が、わずかに下がったように感じられた。
軽口の延長にあったはずの場が、静かに戦の場へと移り変わる。
貴丸はその変化を気にした様子もなく、いつもの調子で続ける。
「まぁ、いきなり攻めるわけじゃないけどね。順番があるから」
声に揺れはない。軽さは残っているのに、言葉が妙に重い。
そこから先は――淀みがなかった。
銀四郎に探らせた情報を下敷きに、富岡までの距離、街道の通り方、出入りの口、兵の動き。
頭の中ですでに組み上がっているものを、ただ順に並べていくかのように、言葉が途切れずに続いていく。
短く、簡潔に。だが、その一つひとつに迷いがない。削るべきものは削ぎ落とされている。
話が進むにつれ、慶久は腕を組み、低く唸った。
慶光と久秀は互いに一度だけ視線を交わし、それきり口を閉ざす。ただ聞く側に回ると決めた者の静けさがあった。
そして元伯は――やがて口元を歪め、堪えきれぬように笑い出す。
「はっ……はっはっは……! 面白い!」
場を割るような笑いだった。重く沈みかけていた空気を、力ずくで引き裂くような。
「よう考えおった。実に良い。これが成った暁には……計り知れぬ大事となるぞ」
その言葉にも、貴丸は頷きもしない。ただ当然のように、話を続けた。
「まず、親父様が今は直接動く必要はない。ただ、慶光叔父と久秀叔父には頼みたいことがある」
視線が慶久へ向き、そこから横へ流れる。
「富岡から出る主要な道は二つ。その脇に、足止めを仕込んでおいてほしい」
少しだけ間を置く。
「来るなら浜街道(現国道六号線)だと思うけどね」
言いながら、貴丸は手を上げた。空中に形を描く。
「そこに竹を束ねて、真ん中を縄で締める。両端は尖らせる」
指先が交差する。
「使うときは、こうやって交差させて置く。馬はこれで止まる。少なくとも、勢いは殺せる」
目に見えないはずの形が、その場に見えるようだ。簡潔な言葉。だが、効果は誰の目にも頭に浮かんだ。
「普段は道の脇に隠しておく。見えないように。必要な時だけ出す。これは今回だけじゃなく、今後も使える」
そのまま手が下り、今度は床へと向かう。
「道の脇に浅い塹壕……えぇと、穴を掘った間道ね。身を隠して 溝の中に潜んで、弓矢や印地から身を守りつつ、相手に攻撃する。いざとなったらその間道から逃れる。これも今回は使わないかもしれないけど、今後のためにね」
説明は淡々としている。だが、その動きは、まるですでにそこに地形が存在しているかのようだった。
誰も口を挟まない。ただ、指の軌跡と、抑えた声だけを追っている。
床の縁をなぞり、壁を滑り、やがて場の中央へと広がっていく。
その柔らかな光の中で、語られている内容だけが異質だった。
兵も動かず、旗も上がっていない。
だが――すでにこの場で、“戦”だけが先に動き出しているかのようだった。
「村の者には印地も教えておいてほしい。獣の皮紐があればいいけど、なければ布でも構わない。石を飛ばすやつね」
貴丸は言いながら、指先で輪を描くように軽く動かした。動きは小さいが、使い方を知る者には十分に伝わる形だ。
「使うなら……谷の上からかな。今回はそこになると思う。それと、これも今後の備えにはなる」
声は変わらず平板だった。だが落とされる言葉は乾いていて、その一つひとつが具体的な形を持っている。
「念のため、か」慶久が低く呟く。
「念のためがないと、死ぬからね。誰も死なせたくない」
あまりに迷いのない即答だった。ためらいも飾りもなく、ただ事実として置かれる。
室内の空気が、わずかに張りつめる。
貴丸は気にする様子もなく、そのまま言葉を重ねた。声を張ることもなく、ただ順に積み上げる。
「今から細かい準備をしておけば、急に戦になっても対応できる。やってないと、あとから全部一気に来る」
指が畳の縁を軽く叩く。言葉の区切りと同じように、規則的な動きだった。
その言葉に、慶久はゆっくりと息を吐いた。腕を組み直し、目を細める。
「……ずいぶんと、細かいところまで見ておるな」
貴丸は一拍も置かずに返す。
「細かくないと、勝てないからね」
またしても即答だった。
短い静寂が落ちる。
その隙間に、元伯がくつりと喉を鳴らした。
「算が多い、か」
楽しげに細められた目が、値踏みするように揺れる。
貴丸はそれに視線を向けることもなく、次の段へ進んだ。
「夏の終わり頃までに――米の収穫前に、富岡の兵をできるだけこっちに引っ張る」
その一言で、場の温度がわずかに変わる。
慶久が何かを言おうと、口を開きかけた。
だが――貴丸が軽く手を上げて、それを制した。
声は穏やかだった。だが、遮るように上げられた手に迷いはない。
「その時、城は空く。だから――その間に取る」
言い切りは短く、当然のように置かれた。
ありゃ、一話でおさまりませんでした。。。
前段に余計なこと書いたからだな。。
分かってましたが。。
ネトフリ、H木さんドラマ出演記念ということで。。




